ホムンクルスと迷宮孤児【後編】
【生体反応有】
「人間、か……」
彼、ライン番号29 Z0049ホムンクルスは立ち止まった。
目の前には大の字で仰向けに倒れる小さな人の姿。
搭載されている魔石から魔力を回路へ流し、解析魔法を発現させる。
発達段階の骨格、新鮮な臓器、くすみの無い髪。
雄の人間の幼体、と判断して間違いなかった。
そんな幼体は血みどろで、ピクリとも動かず、呼吸をしていることさえも、見た目だけでは分からなかった。
しかし彼の搭載する生体感知の魔術センサーは、幼体の生存を確認している。
――よくあることだ。
彼はそう思う。
ここは危険なモンスターが跋扈し、人間や奴隷兵士、そして彼のようなホムンクルスが日常的に命を散らすところ。
序列迷宮ではごく当たり前な、ありふれた光景。
珍しくもなんともない。
それに彼は今や、指揮官殺しによって”暴走ホムンクルス”とされ、追われる身だった。
立ち止まることは危険を意味し、先に進まなければならない。
だが彼のつま先は、雄の人間の幼体――少年へ向かっていった。
彼自身、何故自分がそんな判断を下したか分からなかった。
頭の演算器では放っておくべきとの判断が下っていた。
しかしその判断に反するよう彼の胸部に搭載されている魔力ジェネレーターが小刻みに震え、鈍色の身体をざわつかせる。
それにここでもしこの少年を放置しては、自分もシャトー家の連中と一緒だと思った。
命を弄ぶ邪悪な連中と同列にはなりたくない。
彼は虫の息の少年へ膝を突いて屈みこみ、再び解析魔法をかけた。
暴行による骨及び臓器への激しい損傷。それでも少年は幸い、ギリギリのところで命をつなぎ留めていた。
彼は迷わず、左太腿の外側に内蔵されているアイテムラックを展開させる。
そこからSRアイテム:万能霊薬の入った小瓶を取り出す。
襤褸雑巾のような少年を苦しませないようそっと抱き起こす。
そして薄く開いた唇へ小瓶をあてがい、紫紺に輝く液体を静かに流し込んだ。
水のようにさらりとした液体は、難なく少年の身体の中へ流れて行く。
すると、少年の身体が紫紺の輝きを帯びた。
ゆっくりとだが傷口が塞がり、呼吸が安定し始める。
【計測……完全治癒まで300:00:00】
彼は呼吸が安定し、穏やかな寝息を上げる少年をそっと横たえる。
右太ももの外側のアイテムラックを展開し、ダガーを取り出すと、柄を強く握りしめて少年を守るように前へと座った。
ここは数多の危険が存在する序列迷宮。
五時間安静を保つには、彼が少年を守る必要があった。
未だに彼の演算器は、ここまでの一連の行動を否定し、今すぐこの場から立ち去るべしと命じて来る。
だが彼は演算器の判断を無視し、ジェネレーターの振動のまま、”少年を守る”という行動に出た。
――オレは何しているんだ? この少年を守るメリットがあるのか?
自問自答するも、答えは出ず。それでも彼は座りつつも、周囲に鋭く気を張り時間を過ごす。
ゆっくりと確実に回復してゆく少年を見て、彼のジェネレーターが僅かに熱を持つのだった。
……
……
……
「うっ、くっ……」
センサーがより強く生体反応を感知する。
現状の目視確認のために振り返ると、そこにはすっかり回復し、肌に艶を取り戻した少年の姿があった。
解析魔法をかけようとするが、彼の視界に【術式起動不能】の文字が浮かぶ。
魔石からの魔力供給が足りなかった。
「お、お前誰だっ!?」
少年は怯えた声でそう叫ぶと、彼から一気に距離を置き、身体を丸くする。
「か、金ならねぇぞ! もう銅貨一枚だってねぇぞっ! だからもう勘弁してくれぇ!」
「身体の具合はどうだ?」
「へっ……?」
「申し訳ないが解析魔法をかけるほど魔力が残量が無い。君の肉体損傷状況に関する情報を口頭での開示を求む」
「?」
少年は彼を訝しみつつも、全身をくまなく探る。
口元で乾いていた血の跡を拭っても、その下には傷一つ無かった。
「あれ、治ってる?」
「損傷状況に関する情報開示を口頭で求む」
「あ、えっと……なんで治っているの、オイラ?」
「それは”完治した”との回答か?」
「う、うん。まぁ、すっかり元通りだな……でも、なんで……?」
その時、彼の魔力探知センサーが、少年以外のものを複数確認する。
識別反応は青。どうやらシャトー家の追手が接近してきてるようだった。
更に迷宮深くまで潜らねば、捕獲の上、破壊されてしまう。
「速やかに迷宮より脱出せよ。この回廊を直進し、交差点を四度右へ曲れば、最も早く出口へたどり着く」
彼はそう少年へ伝えて立ち上がり、足早にその場を立ち去る。
「ちょ、おま! ま、待てよ!」
するとなぜか少年は彼を追って来た。
「オイラを助けててくれたのアンタだろ!?」
「そうだ」
彼は立ち止まり、踵を返して答えた。
「なんでだよ!? 見ず知らずの相手に、こんな高級品なんて使って! 訳わかんねぇよ! 何が目的なんだよ!? 金なんて全部取られちまったから銅貨一枚すらねぇぞ!?」
少年の疑問は最もだった。それは同時に、彼自身の疑問でもあった。
何故、この少年を助けたのか。演算器へ状況情報を転送しても、答えは返って来ず。
むしろ万能霊薬の再補給と、魔石の魔力残量がじきに限界を迎えてしまうことを必死に伝えてくる始末だった。
ただあるのはジェネレーターが発する僅かな熱と、満ち足りた気分。
”満足”そして”安堵”
そう表現するに相応しい感情を彼が抱いていたのは間違いなかった。
「むっ……?」
そんな彼のセンサーが複数のモンスターの反応を感知した。
――敵影5。オーク種4、解析不明種1
「下がれ」
彼は後ろを付いてくる少年へ静止を促し、左太腿のアイテムラックからダガーを取り出す。それは彼から発せられる【形状変化】の指令を受けて、内包する魔力を解放した。
多段式の刃が伸長し、”太刀”のようになった武器の柄を強く握りしめ、まるで侍さながらの正眼の構えを取る。
そして闇の中から4匹のオークが飛び出し、彼は地を蹴った。
真っ赤に輝く双眸で最も近いオークを標的ロック、攻撃判定に異常は無し。
闇の中で太刀の刃が煌めき、一刀の下、鮮やかにオークの首を跳ねる。
しかしホムンクルスである彼の神経は、敵を倒したとしても緊張感を解かない。
センサーが脅威を判定し、視界外の敵をロックし、その方向へ向けて太刀を横薙ぐ。
二匹目のオークは肩から腰までをバッサリ切り裂かれ、絶命した。
冷酷無比で正確な太刀筋は一撃で醜悪なモンスターを切り伏せ、次々と撃破してゆく。その時、彼のセンサーが遠方から飛翔体を感知した。
「ッ!」
「うわぁっ!?」
少年の下へ飛び、左腕を掲げる。
彼の腕には無数の針が突き刺さっていた。
視界には腕の回路に異常が発生したとの表示がされる。
【痙攣毒混入。自浄作用開……異常。魔力残量が足りません】
彼は動かなくなった左腕をだらんと下げ、右腕のみで太刀を鋭く構え踵を返した。
目前でうねる不可思議なモンスター。
青白い半透明の塊に、鶏冠のような帆を生やした不気味な生物。
スライム属ではあろうが、生憎”接敵情報”の大部分が破損し、判別ができない。
故に対処方法も分からない。
本来は逃亡すべき場面だが、敵は色鮮やかな鶏冠から、毒を含む針の発射体制に入っている。
ここで回避や逃亡に移ること――それすなわち、少年を危険に晒すことに他ならない。
「ヌオォォォッ!」
だから彼は正面へ向けて地を蹴った。
刹那、敵の鶏冠から彼へ向けて毒針が放たれる。
彼は太刀を振る。
何本かは切り払うことができた。
しかし2本の毒針が左足へ突き刺さり、機能不全を起こし、動かなくなる。
だが、利き足の右が生きていることは幸いだった。
「殲滅ッ!」
右足をグッと踏み込み、上段から鋭く太刀を振り落とす。
心技体が揃った打ち込みは敵を鶏冠から地面まで両断する。
一瞬敵の動きが止まった。
しかし生体反応は未だ健在だった。
「ッ!?」
両断された鶏冠から毒針が放たれ、彼の全身に突き刺さる。
四肢が完全に機能不全を起こし、彼の右手から太刀が滑り落ちる。
そして膝を突いた彼へ、敵は体表を水のように波立たせ、飛びかかる。
センサーは”回避”を訴えて来るも、機能不全を起こした彼は一歩たりとも動けない。
そんな彼の視界へ炎のように真っ赤に燃える”魔石”が投げ込まれた。
「Kiyaaaaaaaaaaaaaaa!!」
赤い魔石が触れた途端、敵は真っ赤な炎に彩られ、甲高い悲鳴を上げる。
炎は敵を溶かし、燃やし尽くしてゆく。
「おい、大丈夫かよ!? おい!」
少年はうつ伏せに倒れた彼を必死に揺する。
しかし機能不全に加え、もう殆ど魔力の残量が無い彼は指一本さえも動かせなかった。
――ここまでか……だが、これで良い……
シャトー家の追手に破壊されるよりは何倍もマシな幕引きだった。
不思議と興味を注がれる少年を助けられたのだ。
少なくとも命を弄ぶシャトー家とは正反対な、”命を大事にする”生き方が少しでもできた。
もう思い残すことは何もなかった。
演算器が徐々に処理を止め、ジェネレーターの熱が失われ始める。
コンバーターも動きを鈍らせ、アクチュエーターに流れていた魔力が先細って行く。
そんな彼へ介入する別の魔力の気配。どこか懐かしい、興味をそそられる力の流れ。
それだけで彼は、介入してきた魔力が”少年”のものだと判断した。
「待ってろ、すぐに戻るからな! それまで死ぬんじゃねぇぞ、分かったな!?」
少年はそう叫び、足音が遠ざかってゆく。
彼の視界が霞み、視野に映る魔力残量のゲージのみがはっきりと赤の明滅を示している。
【魔力残量ゼ……】
瞬間、彼の意識はプツリと途切れた。
……
……
……
……
――起動術式……問題無し。
――魔力ジェネレータ……問題無し。
――魔力コンバーター……起動確認。
――各アクチュエーター……駆動確認。
――各項目異常なし。ライン番号29 Z0043 再起動開始
視界が開け、視野が一瞬にして広がる。
「おっ、動いた動いた! 聞こえるか? おーい!」
何故か”少年”は彼へ向かって叫んでいる。
「オレは……?」
難なく音声が発せられ、少年は破顔した。
「よし、成功っと。たぶんもう動けるはずだから試してみてくれよ」
少年に促され、彼は五指のアクチュエーターへ魔力を伝える。
指先がスムーズに動いた。拳を握りしめても十分な握力が出た。
視野に映る魔力の残量ゲージは満タンを現す緑色に変化していた。
「あんた、確か”ホムンクルス”ってやつだろ? 魔石が飯だなんてすげぇ贅沢だな?」
「飯……オレは食事は取らん」
「だって魔石の魔力で動くんだろ、お前? だったら飯みてぇなもんじゃん!」
「そうか」
彼は難なく立ち上がる。若干麻痺毒が残っているようだが、自浄機能が再開しているため、毒気が抜けるのも時間の問題だった。
そんな彼のつま先に、コツンと輝きを失った拳程度の魔石の残りかすが当たった。
「君が魔石を交換してくれたのか?」
状況からそう判断して聞くと、少年は得意げに「まぁな! 捕ってくるのめっちゃ大変だったけど」と答える。
「そうか。感謝する」
「へへっ! オイラだってアンタに助けて貰ったんだ。これでお相子だって」
少年の笑顔が、彼の回路に焼き付いて離れない。
出会ってさほど時間は経っていない。
しかし彼はこの少年をずっと昔から知っているような気がしてならなかった。
冷たい合金の身体が僅かに熱を持ったような感覚さえ抱いた。
どうしてそうなるのか、彼は必死になって演算を繰り返す。
「それでアンタ、名前は?」
少年の声を聴き彼は演算を打ち切り、
「ライン番号29 Z0043」
「なんだそりゃ?」
「オレの製造番号だ。個体としての識別名は無い」
「へへっ、じゃあオイラと同じ”名無し”ってことだな、アンタは!」
少年は今までの中で一番の笑顔を浮かべる。
彼のジェネレーターがひと際熱を放つのだった。
それからなし崩し的だった。
彼はシャトー家の追手から迷宮で逃げ惑い、少年はそんな彼の後ろを追う。
彼が戦えば、少年は援護する。
魔石が必要となれば少年が他の冒険者から盗み、代わりに彼は戦ってアイテムを差し出す。
パーティーとして契約はしてない。
しかし彼と少年はいつしかパーティーのように行動を共にし、持ちつ持たれつの関係を自然と築く。
「へへっ! 今日も大儲けだな!」
少年は迷宮の中に設けた結界の中で、大量の魔石やアイテムを前にして満足げに笑みを浮かべる。
彼はそんな少年の姿をみるのが好きで、赤い双眸を明滅させる。
「この調子でがっぽがっぽ稼ごうぜ、相棒!」
少年が握りこぶしを突き出し、彼も応じて軽く拳をぶつける。
「ああ。そうだな。任せろ」
だがそんな満ち足りた時間は、長くは続かなかった。
●●●
「いたぞ、こっちだ!」
「探せ、この近くにいるはずだ!」
「こちら第三班! ライン番号29 Z0043を発見した。至急応援を求む!」
迷宮にシャトー家の人間の声が響き、彼と同じ姿をした”ホムンクルス”が鈍重な足音を響かせながら迫る。
彼とそして少年は、追っ手から逃れるために必死に荒い呼吸を響かせていた。
「君は逃げろ! オレと一緒に殺されるぞ!」
彼は走りながら叫ぶ。
「冗談じゃねぇ! ここまで付き合ったんだ。オイラはお前と一緒だ! どこまでも、いつまでも!」
しかし少年は頑なに譲らず、ずっと彼の横にぴったりくっついて走り続ける。
その言葉自体、彼は嬉しかった。
そして同時に少年の身を案じる彼も居た。
既に少年の負けん気が強く、頑固な性格を把握していた彼はこれ以上の説得を諦める。
「振り切るぞ!」
「あいよ!」
彼と少年は暗い迷宮の中をひた走る。
彼らの自由と安住を求め、ただひたすらに。




