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憤怒の白閃光


 ミキオは森の中で出会った”獣の耳”を持つ少女を横たえる。

みれば見るほど、彼女は死んだ”森川 望”にそっくりだと思った。


――ダンタリオン、この子の容体は?

『随分と衰弱しているようだ。栄養状態も不良。複数の傷跡。様々な虐待を受けているようだ。特に臀部の傷は見るに耐えんな』

――傷?

『どうやらこの少女には元々”尻尾”のような器官があったようだ。傷口から察するに病によって切除したのではなさそうだ。誠、人間とは残虐なものよ。幾ら魔神である我々でもここまでせんな』


 ダンタリオンの見聞を聞き、ミキオは久方ぶりに、身体を迸る熱を感じる。

ここ数十年、永久凍土のように固く閉ざされていた心がゆっくりと溶解してゆく。


『ミキオ、この娘に興味があるのか?』


 ミキオはダンタリオンの声を聞き流し、魔力を高める。

そして少女へ、回復を含む、あらゆる治癒系の魔法を施した。

流石に切除された尻尾は再生されずとも、身体の傷はみるみる塞がり、呼吸が落ち着いて行く。


「うっ……」


 望にうり二つな猫のような耳を持つ少女が目を開けて行く。


「おはよ、気分はどう?」


 ミキオは努めて笑顔で、優しく少女へ挨拶をする。

少女はビクンと身体を震わせ飛び退こうとする。

しかし治癒したばかりの体は上手く動かず、僅かに身じろぎするだけだった。


「大丈夫、安心して。って、どこの馬の骨ともわかんない奴に言われても警戒するか。あはは」


 そう笑って見せる。

すると、彼女からやや警戒心が薄れたような気がした。


「貴方は……?」

「俺は、ミキオ! ミキオ=マツカタ! しがないソロの冒険者さ。良かったら君の名前、教えてくれない?」

「……」

「あはは、やっぱダメかぁ」

「オウバ……オウバ=アイスと申します」


 恐る恐るオウバは答える。

そんな少し神経質で、臆病そうな様子は、益々”望”を思い出させ、ミキオの胸を懐かしさで熱く焦がす。


「そっか、オウバちゃんか。それでこんなところで何してたの? なんか一生懸命逃げてたみたいだけど?」

「ッ!!」


 突然オウバはミキオへ飛び付いてきた。


「お願いです! 姉様を助けてくださいっ! お金はありませんけど、何でもします! 貴方のためにこの身を捧げますっ! だから……姉様を、シャギを……うっ、うっ、ひっく……」


 百年ぶりに胸のざわついた。

ミキオはオウバの肩を抱き、彼女の青い瞳へ自分を映す。


「オウバちゃん、教えて。君たちが今までどうしてたのかを。その姉さんって人のことを」


 ミキオはオウバの口より、彼女たちが玩具の奴隷として囚われていたことを、そして逃げ出す際に姉だけが捕まってしまったことを知る。


 途端、胸のざわつきは、熱となった。

久方ぶりの感覚だった。

二百数十年ぶりの感覚だった。


 かつて彼の仲間を罠に嵌め、殺したブライ、カトウ、カロンへ抱いたものと同じ感情。

それは怒り。

 しかしミキオはその想いを胸の奥へ押し込む。

そして泣きじゃくるオウバを宥めるよう髪を撫で、笑顔を送った。


「わかった。お姉さんのことは任せて。俺が必ず助けるから」


 ミキオは立ち上がり、そしてオウバの周囲を魔力障壁で覆った。


「オウバちゃん、そん中へいる限り、君は安全だからね! だから俺がお姉さんを連れて帰ってくるまでそこで大人しくしててね!」

「あ、あの!」

「ん?」

「お、御気を付けて……姉様のことを、お願いしますっ」


 ミキオはにっこり笑顔を浮かべて頷き、そして走り出す。

 途端、笑顔は崩れ、彼の瞳は鋭さを増した。

ミキオは足だけを素早く動かし、矢の如くの速度で、闇に沈む森の中を駆け抜けて行く。


『ほう、珍しいな。ミキオが他人に、しかも女性に関心を持つとは。どのような心境か、後学のために教えてはくれないか?』


 こんな場面でも、感情が行動原理の基本となる魔神の声が響く。

特に”未知のことを知りたがる”ダンタリオン。

答える暇も惜しいほどだが、ここで答えなければ、ダンタリオンがへそを曲げると判断したミキオは、


――なんとなくね。放っておけなくてね。

『あのオウバという娘が、森川 望にうり二つだったから? かつての仲間を思い出し、救援しようと思ったのではないか?』

――そうだね、うん、きっと、そう……


 勿論、その気持ちもあった。

しかし根幹はよこしまな、正義感とはかけな離れた、一つの想い。


 漠然としていた。確証は無かった。しかし、あそこで”望”にそっくりとなオウバと出会ったことは、彼に期待を抱かせていた。

200年の間追い求めても決して、満たされることは無かった欲望。

渇望し、影を追い求め続けた彼女の存在。

もはや存在しない、いるはずの無い最愛の人。


 だがミキオは、200年ぶりに”松方幹夫”となって、期待と不安で胸を躍らせながら闇の中を白い閃光となって疾駆する。


「ここか……」


 やがて、彼は森を抜け、闇に沈む平野へ至る。

立派で巨大な館が目前に佇んでいた。

門扉は真っ赤に燃える松明で彩られ、人の息吹を感じさせる。

 館の中から僅かにオウバとよく似た魔力の反応を感知し、ここが目的地であると理解する。

 幹夫は心臓を高鳴らせながら一歩を踏み出す。

そしてはたりと立ち止まり、神速の回し蹴りを放った。


 飛びかかってきた四足の影が潰れ、短い悲鳴を上げて倒れる。

幹夫の足元には、凶暴さで名高い地獄番犬ヘルハウンドの死骸がゴロっと転がっていた。

 だが、地獄番犬は一匹に有らず。

森の中、下生えなどから次々とこの館を侵入者から守る、獰猛な狼が白刃を覗かせながら、次々と姿を現す。


「俺の邪魔をするな……!」


 幹夫は自分へ”増幅ブースト”のスキルを掛けた。

何度も、何度も、何度も。

そして”加速アクセル”を発動させれば、彼は世界を置いてきぼりにし、一人になった世界を突き進む。

 もはや地獄番犬程度では彼を阻むことはできなかった。



●●●



「だめじゃないかぁ。犬は大人しく檻の中へ居なくちゃ?」


 主人の粘着質な声が調教部屋に響く。

薄い襤褸一枚を着せられ、壁に鎖で繋がれたシャギは、威嚇するようにでっぷり太った主人を睨む。


「犬だって主人が嫌でしたら逃げ出しますわ。あと、これからは他の犬にもきちんと餌を与えないと、同じことの繰り返しよ? だって私が誘ったら、看守の犬はホイホイ私を貪りに来ましたからね?」

「シャギちゃん、随分と男を誘うのが上手になったようだねぇ」

「ええ、お陰様で。貴方の調教のお陰よ?」


 シャギは恐怖で今にでも震えあがりそうな自分を律して、わざと軽口を返す。

全ては妹のオウバのためだった。

 少なくともここで主人とやり取りをしている間、興味は自分だけに向かっている。

自分への興味が長ければ長いほど、それだけオウバは遠くに逃げられる。

再び囚われてしまった自分にできることはこの程度のことしかない。


――オウバ、逃げて。今のうちにもっと遠くへ……!


 その時、主人の従者がシャギの左腕を取った。

手首と肩をしっかり掴んで伸ばす。

主人はそんなシャギの細腕を見て下舐めずりをする。

 シャギの胸に嫌な予感が過った。


「そんなに男と絡むのが好きだったらずっとさせてあげるよ。でも、今回のように逃げられると面倒だからねぇ……」


 主人は従者が渡した立派な剣を持ち、構える。


「な、何を、するつもり、なの……?」


 思わずシャギは声を震わせ、そう聞いた。

そんな様子は結果的に主人を更に喜ばせてしまった様子だった。


「もう逃げられないようにね、ちょっとシャギちゃんの綺麗な手足をスパッとね。大丈夫、死なないようにちゃんと治癒魔法はかけてあげるし、傷口もつるんと綺麗にしてあげるから安心してねぇ」


 主人の持つ剣が鋭く煌めき、彼は悪魔のような笑顔を浮かべる。

シャギの中で、心が砕けた。


「や、やめて! そ、それだけは! それだけはっ!!」


 シャギは必死に身じろぎ、懇願する。

しかし彼女は遥かに力のある従者に押さえ込まれた。

 足がガクガクと震え、あまりの恐怖に小水がビタビタと漏れ出す。

 そんなシャギを見て、主人は無慈悲に剣の柄を握りしめる。


「さぁて、いくよー」

「いやぁぁぁぁーっ!」


 白刃が振り落とされ、シャギは目を閉じて身構えた。


「あ、ああっ……」


 そして聞こえたのは何故か、主人の情けない声だった。

腕への衝撃は一向に来る気配を見せない。

ゆっくりと目を開けてみる。彼女の目の前へ真新しい剣が落ち、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった情けない顔をした自分が写った。


「ぼ、僕の、僕の腕ガァァァァ!」


 主人は押しつぶされ、見るも無残になった自分の右腕を押さえ蹲る。


「どう? 今、君がこのいたいけな女の子にしようとしてたことをやってみせたんだけど。痛いでしょ?」


 恐る恐るシャギは視線を上げる。

そこには白銀の髪を持つ不思議な雰囲気を放つ青年がいた。

彼は爽やかなが笑顔を浮かべて、石畳みの上をのたうち回る主人を見下ろしていた。


「き、貴様ぁ!」


 シャギの腕を掴んでいた従者が吠え、白銀の彼へ襲い掛かる。

彼は、真っ赤に染まった右腕を血振りする。

そして次の瞬間にはもう、従者は血飛沫を上げ、その場に崩れていた。

 次々と部屋にいた従者が剣を抜き、彼へ襲い掛かる。


 彼の拳は従者を壁まで吹き飛ばし、鋭い蹴りは相手の首をあらぬ方向へ押し曲げる。

彼へ立ち向かった全ての従者は、シャギの目の前で瞬き一つの間に駆逐されていたのだった。


 そんな中、主人は芋虫のように這いつくばりながら、天井にぶら下がる縄へ向かって行く。どうやら館から更に応援を呼ぶつもりらしい。


「はい、ダメ―」


そんな主人の頭を白髪の青年は彼は無造作に踏みつけ、動きを封じた。


「貴様! こんなことをしてただで済むと思っているのか! 僕は、シャトー家の親戚なんだぞっ!」

「ふーん、そうなんだ。もしかしてアレかい? この下劣な趣味はダルマイヤックに仕込まれたのかい?」

「貴様、当主様を呼び捨てにするなんて……」


 突然、主人は口を噤み、ギロリとミキオを見た。

そして次の顔に浮かべたのは驚愕だった。


「も、もしかして、貴様は白閃光ホワイトグリント!? まさか、ありえない! あいつはもう100年も前――」

「君、べらべら煩いよ。もう黙れ」

「ぎゃっ――ッ!!」


 瞬時に主人の所へ移動した白銀の彼は靴底で頭を踏む。

主人の頭はまるで果物のように破裂して、でっぷりとした体はピクリとも動かなくなった。


 彼はくるりと踵を返し、軽い足取りでシャギへ向かってくる。

得体のしれない青年に恐怖を感じたシャギの身体が震える。


「よっと」


 彼はシャギを拘束する鎖をあっさり壁から引き抜く。

あまりの恐怖のためか、シャギはその場へぺたりと座り込んだ。

すると彼は目線を合わせるようにしゃがみ込む。


「こんばんわ。俺はミキオ=マツカタ。君がシャギ=アイスちゃんで間違いない?」

「は、はい」

「そっか! 間に合ってよかった、間一髪ってやつだったね」


 彼、ミキオ=マツカタは少年のように親しみのある笑顔を浮かべた。

辺境の村に住んでいたシャギでさえも、彼のことは聞き及んでいた。


 この世界で初めてDRアイテムを序列迷宮から持ち帰り、至高のブラッククラスにまで上り詰めた存在。しかしその逸話はもう100年以上も前のことで、半ば伝説と化している。

 彼が本当に”白閃光ホワイトグリント”なのかは定かではない。

そうだったとしてもそんな伝説の存在が、何故自分を助けに来たのかが分からなかった。


「えっと、その……」

「オウバちゃんにね、頼まれたんだ。君を救ってほしいってね」

「オウバが!? あの子は無事なのですか!?」

「うん。俺が保護してるよ。安心して」

「良かった……」

「さっ、シャギちゃんもこんなばっちいところからさっさとバイバイしよっか。立てる?」


 彼は優し気に手を差し伸べて来る。

しかし体力の限界を迎えていたシャギはその手を取ることができなかった。


「あはー。じゃあ、失礼するね」

「え……ちょ、ちょっと……!」


 彼はシャギの背中と足に手を回し持ち上げる。

彼女が彼の腕の中にストンと納まった。


 得体のしれない白銀の青年。

しかし、少なくとも先ほどまで彼に抱いていた恐怖心は無くなっていた。

むしろ彼に抱かれるたことで、強い安心感を抱く自分に気が付く。

それはきっと、腕から彼の不思議な心臓の鼓動を感じたからか、否か。


「もっとその、くっ付いて貰えるかな? あんまし遠慮していると振り落としちゃうよ?」

「あの、えっと……」


 シャギはビタビタに濡れている股をきゅっと結ぶ。


「もしかして俺の服が汚れるの気にしてる? 大丈夫、君のだったら気にしないから」

「なっ……!? 私のって……」


 羞恥なのか、はたまた別の感情が沸いたのか、シャギは顔を真っ赤に染めて、心臓を高鳴らせた。


「ほら、遠慮しないで」

「は、はい……」


 シャギは言われるがまま彼の首に腕を回し身を寄せる。

彼の鼓動がより強まったように感じた。


――なんだろう。どうして私はこんなに安心しているの? 初めて会った人だというのに、どうして……?


 不思議と安らぎを得たシャギはミキオに身を任せる。


「シャギちゃん」

「何ですか……?」


 彼は深く彼女を抱きしめ、


「よく頑張ったね。シャギちゃんは良いお姉ちゃんだ」


 ささやく彼の声に、シャギの胸は大きく高鳴る。

生まれて初めて感じる鼓動。

しかし彼女はその理由を既に理解していた。


「じゃあ、行くよ!」

「宜しく、お願いします……!」


彼はシャギを抱き、行く手を塞ぐ様々な障害をあっさりと一蹴する。

そして、颯爽と館から出て行くのだった。

 

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