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リオンの気持ち


「すっごぉーい!」


 リオンは嬉しそうに声を上げ、ケンも思わず目の前の光景に感動で唸った。

 辺り一面に咲き誇る色とりどりの花々。

 花はそよ風に揺らて花弁を散らし、甘く香しい蜜の匂いを漂わせる。


 流れる小川はどこまでも澄んでいて、せせらぎは風の音と混じり合い美しく清らかな音を奏でる。

それはさながら一つの音楽を想像させた。


「あうー! わー!」


 広大な花畑へ降り立ったリオンは無邪気にその中を走り回った。

美しい花を眺め、蜜の匂いを堪能し、笑顔を浮かべる。

 天真爛漫なリオンの姿は、この花園によく似合っていた。


「そら、リオン飯にするぞ。こっちこい」

「あう!」


 小高い丘の上に陣取ったケンがそう叫ぶ。

リオンは素早く、しかし一切花を踏みつぶすことなく、駆け寄ってきた。



 【リオン】


 ケンとは違う世界から奴隷兵士スレイブソルジャーとして、この世界に転移転生しょうかんさせられた獣の耳と尻尾を持つ少女。

 彼女はかつて、最強最悪のブラッククラスパーティー:グリモワールの双子魔導士アイス姉妹の奴隷兵士として囚われていた。

彼女は自らが集めた孤児たちを守るため、ケンの命を付け狙っていた。

 詳しくは分からないが、リオンはケンとは違う”戦争が日常”となっている世界からこちらへ呼び込まれたらしい。

そこで彼女は悲しい別れを経験したようだった。

だからこそリオンは同じ悲しみを繰り返さないためにも、必死に孤児達を守り、情け容赦のないアイス姉妹の酷い仕打ちにも耐えていた。

 しかし今や、リオンはケンのお陰でアイス姉妹の呪縛から解き放たれ、彼女が元々持っていた天真爛漫さを取り戻している。


「ぱく、もぐ! はむぅ……んー!」


 ケンの隣でリオンは尻尾をゆらゆらと揺らしながら、ラフィが作ったサンドイッチを口一杯に頬張っている。

 その様子は彼女が集めた子供達と何ら変わりなく、無邪気で、あどけない。


「旨いか?」


 ケンもまたサンドイッチを齧りつつ横目でリオンへそう問いかけた。


「あう! んまぁーい!」

「そっか、そいつは良かった。ほら、もっと食え。遠慮すんな」

「あう!」


 幼い容姿、そして立ち振る舞い……ケンにとってリオンは、いうならば”自分の子供”か”少し年の離れた妹”のような存在だと思っていた。


『リオンちゃん、もしかするとケンさんに何かお話したいことがあるかもしれません』


 再びムートンの言葉が思い出される。


『確証はありません。だけどなんとなく、今のリオンちゃんを見ていると、昨日までの私みたいで……』


――まさか、そんな。


『とにかく、今日一日あの子に真剣に向き合ってあげてください。お願いします』


――それにリオンが好きなのは俺じゃなくて、ラフィの方だろ?


 リオンは呪縛から解放されてケンの傍にいるようになってからというもの、気が付けばラフィの傍にいた印象が強い。

 きっと同じように耳と尻尾があるからだろう。

ラフィもまた、危なっかしいリオンを放っておけないのか、はたまた同族愛に近いものなのか、事あるごとに世話を焼いている。


――きっとムートンの思い違いだろうさ。言葉通リオンは昨日、一人除け者にされたのが寂しくて、だから……


「ケン」


 いやに神妙なリオンの声が聞こえ、ケンは我へ帰る。


「どうした?」


 ケンがそう問いかけると、リオンは食べかけのサンドイッチをそっと、弁当箱の中へ置く。

そして丸いエメラルドのような瞳に、ケンの姿をしっかりと映した。


「……」

「リオン?」

「ごめん。僕、嘘ついた……」

「嘘?」

「あう……僕、本当は知ってる。みんな、昨日、何してたか……」


 霞にかかった物言いだったが、ケンの心臓が強く跳ねた。


「それ、マジ、か……?」


 思わずそう聞き返すと、リオンははっきり首を縦に振って肯定を現す。


「バルバトスのお婆さん教えてくれた。そして僕が、アイス姉妹から受けてた、罰のことも……あの、身体が熱くなって、僕が僕でなくなるような、感覚……昨日、ケン達がしてたことは僕が受けてた”罰”と一緒、だって……」


――バルバトスめ、余計な真似を……


 リオンはかつてアイス姉妹によって下腹部へ絶対服従の証である呪印を刻まれていた。

呪印は刻まれた箇所を中心に全身へ魔力を行き渡らせて、心と体の自由を奪う。

その前段階として、その施された箇所に激しい苦痛を伴うのだった。


 胸や首であれば呼吸を、瞳であれば視力を奪い去る。

 そんなものが下腹部へ、しかも施したのがあのねじ曲がった性格のアイス姉妹。

 ”罰”と称してあの姉妹が、かつてリオンに何をしていたかは容易に想像できた。


 意図せず、この小さな身体に刻まれてしまった、早すぎる快楽の感覚。

 それは苦痛と結びつくものではなく、男女が、互いを慈しみ合うために必要なこと。

新しい命を紡ぐために不可欠な行為。

 そのことをリオンの成長に合わせて、ゆっくりと語り聞かせ、いつの日か本当に愛する人と深くつながってほしい。

 そうケンは考えていた。


 突然、袖が引かれた。

俯き加減のリオンは幼い指先で、ケンの袖を摘まんでいた。


「僕、ケンに感謝してる」

「……」

「ケン、いなかったら僕、ずっと苦しかった。子供たちも、不幸だった。でも、今、みんないて、とっても楽しい。嬉しい。そうしてくれたのケン……」

「リオン、お前……」

「だから……僕も、ラフィとムーみたいに、ケンと”あー”とか”うー”とかしたい! ケンがそれで嬉しいなら、僕も嬉しい!」

「……」

「ケン、する! 僕と、”あー”とか”うー”! ここで!」


 リオンが飛び出し、花が散る。

 リオンの小さな体はケンの胸元へ飛び込んできた。


「早く、する! 僕、大丈夫! アイス姉妹のおかげで、慣れてる!」


 リオンは小さな体を必死に摺り寄せ、上目遣いにケンを見つめる。


 ケンは、そこまでリオンが自分に感謝しているとは夢にも思っていなかった。

そのためにこの少女が、自分と何をしようとしているのかも理解はできた。

だがリオン自身、行為の内容と結果は知りえていても、その名前も、意味さえも理解している様子ではなかった。

だからこそ、リオンの気持ちに対して自分は、はっきりと答えるべきだと決めた。


「ダメだ」


 そう切り捨て、飛び込んできたリオンを引き離す。

瞬間、リオンの丸い瞳がくしゃりと歪む。


「なんで!? 僕の感謝、いらない!? 僕じゃダメなの!?」

「ダメなものはダメだ」

「うー、なんで!」

「ダメって言ったらダメだ!」


 ケンは敢えて語気を強くし、言葉をぶつけた。


「なんで……ううっ……」


 リオンの瞳に溜まった涙が堰を切ったかのように流れだした。

艶やかで瑞々しいリオンに、清らかな涙の軌跡が幾つも刻まれる。

 可哀そうだとは思った。

リオンは心の底から感謝の意を、その体をもって表そうとしている。

その気持ち自体は嬉しくて堪らない。

しかしそれでも、”今のリオン”を受け入れるわけには行かない。

 ケンは心を鬼にして続ける。


「リオン、あれは誰も彼もするもんじゃない。本当に好きな相手とする、大切なことだ」

「僕、ケン、好き! だから!」

「いや、違う。今、お前が感じてる好きじゃダメだ」

「なん……ッ!?」


 ケンは小さなリオンを抱きしめた。

 小さな体の中で暴走した気持ちを静めるよう、優しく、しかし力強く。


「今のお前は感謝と、好きを勘違いしているだけだ。気持は嬉しい。だけど、今はダメだ。どんなにお前が言ってこようと、俺はお前を受け取らない。お前には未だ早すぎる」

「どうして、なんで、僕じゃ……」


 リオンはケンを振りほどこうとせず、彼の胸の中で丸くなりむせび泣く。

それだけ否定が悲しく、悔しい気持ちがあるのだろう。

ケンは、それだけ自分が想われているのだと感じ、深い感謝の念を抱く。


「リオン、お前がもう少し大きくなって、それでも今と同じような気持ちを持っていたら、今度は俺が謝る。そしてお前の気持ちを受け入れると約束する。必ず」


 半分は今のリオンを納得させるための方便。

しかしもう半分は、ケンの本心だった。


「うー……」


 リオンは唸りを上げて、やはりどこか納得のいかない様子を見せる。


「頼む、分かってくれ。この通りだ。今の俺が嬉しいこと、それはリオンが今は大人しく俺の頼みを聞いてくれること。今はグッと堪えて、時間が経つのを待って欲しい」


 ケンがそう優しく囁くと、リオンはぴたりと泣き止んだ。


「おっきいって、どれくらい?」

「そうだな、せめてラフィかムートンくらいには、だな」

「おっぱいおっきくなったくらい?」

「ええっと、胸は、関係ないかな……お前が俺の言っていることを全部、きちんと理解できるようになった時だな」

「……」

「リオン?」

「……わかった!」


 リオンが身を捩り、ケンは彼女を解放する。

彼から少し距離を置いたリオンはゴシゴシと涙を拭う。

そこにはケンの良く知っている、天真爛漫なリオンの姿があった。


「僕、絶対にケンへの気持ち無くさない! ラフィやムーくらいおっきくなっても、僕のこの気持ち変わらない! だから、その時は、ケン、僕と”あー”とか”うー”とかする! たくさんする! 絶対!」


 まっすぐで純真なはっきりと熱のこもったリオンの声。

 意図せずケンの胸が高鳴り、子供だと侮っていたことを恥じる。


「了解だ。待ってるぜ」


 ケンがリオンの髪をくしゃりと撫でると、彼女は嬉しそうに顔を綻ばせる。


 果たしてリオンの気持ちは本物なのだろうか。

 ただ助けられた感謝の念だけではないのか。

 正直なところケンにも本当のところは分からなかった。


――だったら待ってみるしかないさ。

この子が大きくなった頃、自ずと答えは出るだろうし。


 しかし今はこの線を越えてはいけない。

 リオンの将来のためにも。


 すっかり元気を取り戻したリオンは再び花を眺めながら、サンドイッチにあり付く。

 ケンはそんなリオンの横顔を眺めながら、この笑顔をこれからも守り続けようと、心に強く誓うのだった。


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