南国での平穏
――何してるんだ、俺?
バシャバシャと上がる水しぶきを前にケンはそう思う。
対して海面でケンに手を引かれるシャトー家のうら若き当主は、必死な形相でバタ足を繰り返し、懸命に泳ぎを続けていた。
――なんで、俺ムートンに泳ぎなんて教えてるんだ?
未だに状況が理解できないケンなのだった。
事の発端はなんだっか、と彼は思い返す。
全ての始まりは今日の午前中にまで遡る。
宿泊するシルヴァーナ城で起きて早々、何故かラフィは「海へ行きましょう!」と提案してきたのだった。
ラフィ曰く、『これから凄く忙しくなりそうだから、家族で思い出を作っておきましょう!』とのことらしい。
何故かムートンも行く気満々で、
『良いですね! じゃ、じゃあ、今日は一日家族水入らずで遊びましょう!』
と言う始末。
リオンは云わずもなが。
そうは決まったものの、流石にシャトー家の当主と、その補佐官が一般客に交じってビーチへ繰り出す訳には行かない。
しかし何故か準備が良く、ムートンは既にロバートへ拝み倒して、オーパス家が所有するプライベートビーチを丸一日貸し切る約束を取り付けていた。
――ロバートも残念だったろうな。
ビーチへ向かう道中、至極残念そうに肩を落とし、飛竜の発着場へ向かってゆくロバートの切なそうな横顔がケンの脳裏を過った。
「あぶ! し、師匠、ぶくっ!」
うっかり手を離してしまい、ムートンが溺れていた。
「あ、わりぃ」
ムートンの手を取り直した。。しかし、ここは浅瀬。
小さなリオンでも胸ほどしか沈まない深さだった。
「ありがとうございます。ふぅー……」
「ここ浅瀬だぜ? 溺れる深さじゃねぇよな?」
「ほら、私のDRアイテムって火属性が主じゃないですか。水は天敵なんで」
「じゃあなんで”海へ行こう”なんて突然言い出したんだよ?」
「それは、その……あっはは~、気分的に?」
「んだよ、それ……」
と、悪態を突きつつ、ムートンから視線を逸らす。
何故ならば、目の前には特大の、たわわな胸が浮かんでいるからだった。
ラフィよりも遥かにスタイルが良く、彫像のように美しいフォルムを持つムートンが、異常に表面積の少ないビキニ風の青い水着を着ているものだから目のやりどころに困ってしまう。
いつもは降ろしている長い青い髪は、後ろで一本に束ねられ、蠱惑的なうなじが覗き、一瞬でも気を許せば、心臓が跳ねそうになる。
「ど、どうかしましたか……?」
ムートンはたわわな胸を二の腕でギュッと締めて谷間を強調し、仄かに頬を朱に染めながら、覗き込むようにケンを見上げる。
気が付けばひざ下程度の浅瀬まで戻っているとようやく気が付いた。
「あ、いや、別に特には……それよりも、俺とばっかり良いのかよ?」
ケンは視線を、あさっての方向へ向けた。
その時、海面が割れ、
「やったー! 獲れたぁー!」
真っ赤な鱗を持つ、まるで鯛のような魚を手にしたラフィが海中から現れた。
黄色いフリルのあしらわれたトップスの中で、ムートンよりは控えめなものの、それでもはっきりと存在感を現す胸が大きく下から上へ振れる。
「獲ったどー!」
次に海中から現れたのはリオン。
彼女はラフィよりも遥かに巨大でグロテスクな魚を高く掲げ、満足げな笑顔を浮かべている。
未だ発展途上の幼い身体を、緑色をしたスクール水着にみえるレオタードは、リオンに良く似合っていた。
「泳げない私はあそこに混ざれませんよ」
逞し二人を見てムートンはぼそりとそう呟き、
「だな。やっぱアレかな、耳と尻尾があるから野生が目覚める的な?」
「ですかね?……あ、あの、師匠は、その……ああいうワイルドな方が良いですか?」
「いや、だったらお前に泳ぎを教えてる方が良いな。アウトドアは飽きたし」
「アウトドア?」
「ええっと……外で生活するのに飽きたって言えば良いかな。昔はラフィと毎晩野宿したり野草食ったりしてたからな」
「へぇ、師匠にもそんな時期があったんですね」
「まぁな。でも今はお前のお陰で大分良い生活をさせて貰ってるよ。ありがとう」
「いやぁ、それほどでも……」
するとケンとムートンの視線に気づいたラフィが魚を手にしたまま、大きく手を振る。
「ケンさーん、ムーさーん! 次はみんなで遊びましょー!」
●●●
燦々と煌く太陽と煌く白い砂浜。
海は青く澄み渡り、水平線はどこまでも続いている。
砂浜に上に建てられた高いネットが潮風に吹かれ、緩やかに揺れる。
それを挟んで、ケンとムートン、ラフィとリオンに分かれたペアが対峙していた。
「なぁ、ムートン、このスポーツってもしかしてビーチバレーか?」
「はい、よくご存じで! 流石です、師匠!」
前衛のムートンは元気よく答えた。
何故か、またこのペアだった。
ラフィ曰く、この間の組み手の仕切り直し、ということらしい。
「こっちにもこのスポーツあんだな」
「もしかして師匠の世界にも?」
「全く同じのがな」
「へぇ! じゃあ師匠のようにこの世界に呼び出されたどなたかが広めたのかもしれませんね」
「そうかもな」
「ケンさん、ムーさん! そろそろ始めますよぉ!」
ネットの向こうでラフィが叫ぶ。
コートの外で丸いボールを構えたリオンが、ゲームの開始を今か今かと期待し、目をキラキラと輝かせている。
「守りは任せてください。師匠は、攻撃に専念を!」」
前衛でディフェンスを買って出たムートンは腰を落とし、腕を下に構える。
「おっし、いっちょやってやるか弟子!」
「はい、師匠!」
ケンもまた気持ちを勝負へ切り替え、身構える。
「行くっ!」」
リオンの鋭いサーブを合図に、ゲームが幕を開けた。
リオンが放ったボールの勢いが凄まじく、若干歪んで見えるのは気のせいではない。
「させるかぁ!」
すかさずムートンががレシーブを決める。
ムートンの足が砂浜に少しめり込み、衝撃の凄まじさを物語る。
若干、勢いの削がれたボールは垂直に飛ぶ。
「師匠!」
ムートン声が響き、ケンは飛んだ。
「おらっ!」
勢い良く飛んだケンは思い切り右腕を振りかざし、ボールを鋭く打ち付けた。
「甘いです!」
そんなケンの前へ、ネット越しにラフィが現れた。
ラフィは見事のブロックを決め、ボールをコートへ押し戻す。
だがすかさずムートンが飛び込み、ボールを打ち上げた。
緩やかに宙を舞うボールに向かってケンは飛ぶ。
ケンが狙うところには誰もいない。
「そらぁっ!」
「あう!」
「ナイス、リーちゃん!」
転がるように現れたがリオンがケンのスパイクをレシーブしてみせた。
垂直に飛んだボールをラフィがトス。
リオンは砂煙を巻き起こしながら飛んだ。
「させるかぁッ!」
ムートンが飛び、ブロックへ入る。
ムートンとリオンは空中で真正面から睨み合う体勢でいる。
しかしリオンは構わずスパイクを放った。
「ッ!?」
驚きの表情と共にムートンの体が弾き飛ばされた。
ボールの勢いは凄まじく彼女をすり抜ける。
反応しきれなかったケンの真横へボールが落ち、砂柱が上がっていた。
ボールは摩擦で少し煙を上げている。
「すみませんでしたブロック仕切れず!」
「気にすんな。次、頼むぜ?」
「はい! 頑張ります!」
「行く……あうあ!」
リオンはサーブを繰り出した。
豪速のボールが飛ぶ。
ケンは華麗にレシーブを決めた。
ムートンは減速したボールの下へ潜る。
彼女は僅かに拳を脇に構え、鋭くボールを睨みつけた。
「このボール、貰ったぁ!」
拳を突き上げ、落下してきたボールを思い切り垂直に飛ばした。
「師匠!」
「ナイス、ムートン!」
ダッと地を蹴り、走り出したケンは、ムートンの差し出した腕をステップに飛んだ。
ネットを遥かに超え、空高くまで登ったボールへケンはあっという間に達する。
慌ててラフィがブロックに飛ぶが、間に合っていない。
「行って、リーちゃん!」
「あう!」
するとラフィの背中を蹴って、矢のようにリオンが迫る。
その時既に、ケンはスパイクの体勢に入っていた。
「ずおぉりゃ!」
全力全開でケンはスパイクを放つ。
その衝撃は凄まじく、未だ宙にいたラフィとリオンを紙切れのように吹き飛ばす。
ボールはコートの砂浜へ鋭く突き刺さり、深くめり込むのだった。
「ナイスプレー、ムートン」」
「流石です、師匠!」
着地したケンはムートンと手を合わせた。
水着の中でムートンの大ぶりな胸が震えて、ケンは一瞬目を逸らす。
「師匠?」
「あ、いや、こほん……そ、そら、集中しろ! 試合は未だ終わってねぇぞ」
気恥ずかしくなったケンは、さっさと砂煙をモクモクと上げるコートの向こう側を向く。
横目に見えたムートンは何故か、頬を緩めていた。
そんな中、モクモクと立ち昇る砂煙の中に、二つの輝きが浮かび上がる。
「モウ許サナイ! 僕モ全力全開!」
魔力を解放し獣化したリオンは爪と牙を伸ばして、タタっとボールを片手にコートの外へ駆けて行った。
力を解放したリオンの激しいサーブが飛んでくる。
既に見切っていたムートンは落下点へ回転レシーブで飛び込んだ。
勢いを削ぎ切れなかったボールは、コート外へ飛んで行く。
ケンは飛び出し、つま先でボールをコートへ戻した。
ボールが綺麗な弧の軌道を描く。
それを見てムートンは飛んだ。
「それっ!」
ムートンの腕が鋭くボールを打ち付け、スパイクを叩きこむ。
だがムートンの真似をしたのか、ラフィも回転レシーブを繰り出し、ボールを受け止めた。
リオンが長い尻尾でボールを弾き角度を修正。
「行って、リーちゃん!」
ラフィもふさふさの尻尾で綺麗なトスを決め、リオンが飛ぶ。
「貰ウ!」
「いや、あげない!」
リオンが再びスパイクの体勢に入り、ムートンがブロックに飛ぶ。
ネット越しに睨み合う二人。
するとリオンはにやりと八重歯を覗かせ、ボールを狙う右腕に魔力を収束させる。
「爆破球!」
「ッ!?」
リオンが激しくボールを打ち付け、翡翠色に燃えるソレが、ブロックに飛んだムートンを衝撃で吹き飛ばす。
「なっ!?」
ケンの真横にさっきのものとは比較にならない巨大な砂柱が上がっていた。
ボールは摩擦で少し煙を上げている。
しかしボールは無事。
――さっきから散々な目にあってるけど、随分このボール頑丈なんだな。
「リオンちゃん、魔力使うなんてずるいよ! 何考えてるの!?」
ムートンは冷や汗を浮かべながら叫ぶが、
「関係ナイ! 勝ツノ僕ト、ラフィ!」
リオンは自信満々に答えた。
横のラフィも苦笑い笑浮かべるだけ。
どうやら良いらしい。
「師匠、どうしましょう?」
ムートンの問いに、ケンは、
「あっちがその気ならこっちもだ。行くぜ?」
「はい、師匠!」
ケンは戦いの時と同じく強く気持ちを引き締めた。
「多段球!」
リオンが魔力を帯びた手でサーブを繰り出す。
空高く舞い上がった翡翠に燃える球は、宙で無数に分裂し、容赦なくケン達のコートへ降り注ぐ。
「プロテクトシルトッ!」
ムートンが蒼い魔力の輝きを帯びた腕を突きだす。
DRアイテムの所持者となり魔力を増幅させたムートンの周囲へ数えきれない程の光の盾が出現する。
その一つ一つはムートンの意思を的確に受け、次々と降り注ぐ分裂した球を弾き上げる。
ケンが飛び、そして、
「おらっ!」
ムートンが弾いた球を、ケンはレベル100の力を駆使し、次々とスパイクを叩きこむ。
「はい! やぁ! はいぃ!」
しかしラフィも負けじと球を殴り、蹴り上げ落下を阻止していた。
それでもケンは構わずに次々とスパイクを打ち続ける。
「師匠、これで最後です!」
ムートンが最後の球を魔力の蒼い盾で高く弾いた。
「おう!」
ケンは飛び出し、そしてレシーブ。
更に球速が安定し、ボールは高く舞い上がる。
そしてムートンが大きな胸を揺らしながら飛んだ。
ネット越しにラフィもまた飛ぶ。
するとムートンがにやりと笑みを浮かべた。
「かかったね、ラフィ!」
「えっ!?」
ケンはムートンの背中を超え、背後から更に舞い上がった。
「これで決めだぁ!」
ケンは力と魔力を全開にし、ムートンの背後からボールを思い切り叩いた。
凄まじいボールの勢いはつむじ風を巻き起こし、ブロックに飛んだラフィの姿勢を崩す。
――よし、点取った!
そう確信したケンだったが、
「なっ――!?」
「アウアッ!」
ラフィの背後から突然現れたリオンが拳でボールを叩く。
ボールの力が反転し、着地したばかりで無防備なムートンへ突き進む。
彼女は目を見開いて驚くことしたかできていない。
「チッ! リオンの野郎!」
ケンは悪態を突きつつ、足元へ魔力を発生させ、それをステップに全店宙返りをした。
ムートンを飛び越え着地したケンは、彼女の前へ立つ。
「がはっ!?」
リオンの全力全開のボールがケンの顔面を直撃した。
遂にボールは弾け、ついでにケンもよろよろとその場に崩れ去る。
「し、師匠!? 大丈夫ですか!?」
慌てふためくムートンの声が聞こえ、
「ちょ、ちょっとリーちゃんやり過ぎだよ! ダメでしょ!?」
「あうぅ……ごめん」
ラフィとリオンのそんな会話を聞きつつ、ケンはこてりと意識を失うのだった。
●●●
「ラフィ、どう?」
「眠ってるだけみたいですね。ちょっとお仕事の疲れが溜まってたのかもしれませんね」
「そっか、良かったぁ……」
「それよりもムーさん、これチャンスですよ! 告白の!」
「あ、えっと……そ、そう?」
「はい! わたしリーちゃんと一回お城に戻りますから、その間に!」
「う、うーん……でもどうなんだろ……師匠が私のことをどう見てたかなんて全然わかんないよぉ……」
「大丈夫です! ケンさん、さっきからチラチラムーさんのおっぱいみてました! きっと大丈夫です!」
「いや、だけど男の人ってさぁ……」
「ムーさん! そんな弱気でどうするんですか! このままで良いんですか!? わたし、これからも一杯いーっぱい、ケンさんに甘えますよ? ムーさんがして貰いたいこと、みんなケンさんにして貰っちゃいますよ? それでも良いんですか? 指を加えて見てるだけですか?」
「あー……それは……」
「だったらチャンスは今日においてありません! リーちゃんを寝かせたら、わたしも様子を見に来ます! 安心してください」
「あはは、なんか、師匠の恋人のラフィに応援されるってなんか変な感じするね……」
「明日からはムーさんも、でしょ?」
「なっ……!? う、うん、そうだね……ふぅ……大丈夫成功する、大丈夫成功する、大丈夫成功する……よし! 私、頑張るよラフィ!」
「はい! その意気です! それじゃあまた後で! 頑張ってくださいね。ムーさんの女見せてください!」
「うん! ありがとね、ラフィ!」




