家督継承
「ムーさん、もう一人でどっか行っちゃだめですよ! 約束してください!」
「ムー! めっ!」
「ごめん二人とも……もう絶対にしないから。約束するから……」
ムートンはそっとラフィとリオンを抱きしめた。
二人も応じ、三人は久しぶりの再会を喜び合う。
マルゴは疲れているのか、壁に背を預けたまま一人項垂れている。
そんな彼女たちへ背を向け、ケンはシャトー家の本拠地:カベルネ城の城壁の上から、迷宮都市の現状を見渡した。
都市の至る所では黒煙と炎が上がっていた。
怒号、悲鳴、慟哭。
あらゆる負の感情を孕んだ声が風に乗ってケンの鼓膜を揺らす。
ムートンが城の兵に聞いたところ、この事態はメイを中心とする”奴隷兵士”の反乱によって引き起こされているらしい。
城は専属魔導士の魔方陣によって辛くも敵の侵入を防いでいるというが、それがいつまで持つかは全く分からないという。
「ムートン様、ケン様」
女の声が聞こえ、ケンとムートンは振り返る。
従者の女は二人へ向けて深く一礼をすると、
「当主様がお呼びです。ご足労願います」
「行きましょう、師匠」
「ああ」
ケンとムートンは従者に先導され、カベルネ城の中へ入る。
この中でも奴隷兵士とのぶつかり合いがあったのか、城の中は血の匂いで塗れ、調度品は滅茶苦茶に壊れ、壁や床は傷だらだけになっていた。
「メイ……ここに侵攻してきた奴隷兵士達はどうしたの?」
ムートンは先行する従者に聞く。
「奴らめは城の精鋭部隊と交戦。不利を悟り、アモン迷宮へ逃げ込みました」
流石は世界の三分の一を統べる、シャトー家の牙城を守る精鋭部隊だとケンは思った。
――大方、俺たちを退けたグリモワールの連中と合流して、一気に叩くつもりだったんだろう。
俺も買いかぶられたもんだ。
「姉様達やワンはどうなったんだい?」
歩きながらムートンは更に従者へ聞く。
「私はありのままが知りたい。遠慮なく聞かせて」
「では……残念ながらムートン様のご姉妹、花婿のワン様共々既にお亡くなりになりました」
「そっか」
「あの場で生還されたのはダルマイヤック様ただお一人でございます」
「母上の容体は?」
「正直芳しくありません。魔導士共が必死に治癒にあたっておりますが……」
「良いよ、正直に聞かせて」
「はっ。もはや御身のお命は風前の灯です。辛うじて右の御手は動かせるようですがそれ以外は……遺されたのはムートン様、貴方様ただ一人。お覚悟をされますよう願います」
「分かった、聞かせてくれてありがとう」
やがて長い回廊の果てにひと際巨大で、禍々しい装飾の扉が現われた。
それは軋みながら一人でに開いた。
まるでホールを思わせるほど広いダルマイヤックの私室。
部屋の至る所には甘ったるい香りを放つ色とりどりの花が生けられ部屋を彩っている。
しかしそんな香りの中に交じる、血の匂い。
そして延々を繰り返される魔導士の治癒の呪文。
ムートンとケンは立派なベッドの上に横たわる瀕死のダルマイヤックへ歩み寄った。
「ご当主様、ムートン様とケン様をお連れ致しました」
従者がそう声をかけると、やつれたダルマイヤックがうっすらと目を開ける。
しかしムートンはただ黙ったまま。
ダルマイヤックも母親らしい声などをかけず、従者へ震える指先で何かを指示した。
すると、従者がムートンとケンの前へ、台座に鎮座する”真っ青な魔石”を見せた。
「これは、迷宮都市の最上階へ行くための、魔石よ……」
「知っていますよ母上。これで私に何をしろと?」
「グリモワールに呪印のを解除された奴隷兵士共は、都市の最上階へ向かった……狙いは、おそらく、我がシャトー家の家宝”煉獄双剣”」
「……」
「ムートン、私の可愛い娘よ……どうか、邪悪な連中から、シャトー家の誇りを、守って……そして我らシャトー家に逆らった奴隷兵士とグリモワールへ正義の鉄槌を……!」
「分かったよ。やる」
ムートンは端的にそう言い放ち、魔石を手に取った。
ダルマイヤックはケンを見る。
暗く力の無い瞳。
しかしそこには、はっきりとした怒りが感じられた。
「ブラッククラス、貴様の所業は神聖なるシャトー家の婚礼の儀へ泥を塗った。例え、貴様が六番目のブラッククラスであろうと、万死に値する愚劣な行為と心得よ……」
「承知している。申し訳なかった」
「だが……愚かなグリモワールを退けたのもまた貴様だ……よって、ギルド総代表ダルマイヤック=シャトーの名において命じる……わが愛しの娘、ムートンに助力し、DRアイテムを守り抜くのだ。達成の暁には此度の愚行を不問とする……」
「承りました。寛大なるお裁き、痛み入ります」
恭しく頭を下げたケンなど興味なさげにダルマイヤックは再びムートンを瞳へ写す。
「ムートン……」
「はい」
「ああ、可愛い可愛い私の最後の娘よ……次は貴方の時代よ……」
ダルマイヤックは一呼吸置きそして、
「こ、ここに、私1972代シャトー家当主ダルマイヤック=シャトーは……引退を宣言、する! ムートン、貴方こそ、当主……1973代シャトー家当主:ムートン=シャトー!」
ダルマイヤックの宣言が高らかに響いた。
しかしムートンは静かに会釈をし、
「分かりました。亡き姉ヴァスコスに代わり、承ります」
「ああ、ムートン! 私の可愛い最後の娘! 貴方の手でシャトー家へ更なる栄華と繁栄……う、ぐふ、げほ、ごほっ! あああー!」」
ダルマイヤックが咽び、純白のシーツが吐血で真っ赤に染まる。
従者は慌ててダルマイヤックを寝かしつけ、魔導師は詠唱の声を速める。
そんなダルマイヤックへムートンは深々と頭を下げる。
そして素早く踵を返した。
「行きましょう、師匠」
「あ、ああ」
足早に退出するムートンにケンもまた続いた。
「おい、良いのか? あのままじゃ……」
素人目に見てもダルマイヤックは危険な状況だった。
今のが最後の逢瀬になってしまってもおかしくは無いとケンは感じる。
「良いんです。私は確かにあの人の腹から生まれました。でも、あの人を家族と思ったことは一度もありません」
「ムートン、お前……」
「私の家族は亡き父、そして……ラフィや、リオンちゃん、マルゴさんと一家の皆さん、子供たち……そして、師匠、貴方です」
ケンとムートンは城を出て、再び城壁の上へ戻る。
するとそこではラフィ、リオン、そしてマルゴが待ち受けていた。
「シャトー家のために私は戦いません」
立ち止まったムートンが声を上げる。
「この都市とホムンクルス兵は全て、DRアイテム【煉獄双剣】の魔力の支配下にあります。もしもアレが奪われ、所有権が変わってしまえば、この都市全体が私たちの敵になってしまいます。もっと言えば、この都市が奴らに手に渡ってしまえば、世界の脅威になりかねません。グリモワールは何を企んでいるかはわかりませんが、彼らに煉獄双剣を渡してはいけない。私はそう思います」
凛々しく、力強いムートンの言葉に、ケンの胸は強く打たれた。
気迫、態度共に、高貴さを感じさせるその振る舞いこそ、ムートンが本来持ち得ていたものであると、ケンは感じた。
「俺も同感だ。だったら守ろうぜ、その煉獄双剣ってやつをな」
ケンがそう強く宣言すると、
「私も手伝います!」
「僕も、僕も!」
ラフィとリオンも力強く頼もしい返答を返してきた。
そんな彼女達の横では、マルゴが悔しそうに拳を握りしめていた。
「すいやせん、兄貴! 一緒に行きてぇ気持ちはありやすが、今の俺じゃ足手まといになりやす……」
マルゴはシャドウの戦いで大敗を期していた。
その悔しい気持ちは同じ戦う者としてケンは理解できる。
そしてそれでも尚、自分のことを考え、身を引いてくれた彼にケンは深い感謝の念を覚えた。
「マルゴ、お前に頼みたいことがある」
「へい、なんでしょうか?」
「旨い酒の用意を頼む。樽で、何本も。お前の目利きでな」
ケンがそう云って肩を叩くとマルゴの顔にいつもの力が戻った。
「へい! お任せくだせぇ! 極上の品を用意しておきます!」
「だったらマルゴさん、食材のお買い物もお願いできますか?」
ラフィはくるりと振り返りムートンを見ると、ニッコリ笑顔を浮かべた。
「だって今夜は久々にムーさんと一緒にご飯が食べれるんですよ! とびっきり美味しいのを作りますからみんなで食べましょうね!」
「だったら私も手伝うよ」
「いえ、今日のムーさんがゲストです! そういうのは良いですって!」
「僕もやる僕もやる僕もやる!」
リオンはピョンピョンと跳ねて声を上げた。
「相変わらずリオンちゃんは可愛いなぁ、でへへ」
「ウーウーガルゥ!」
「ひ、ひゃぁ!?」
「ムー、気持ち悪い目で見ない! ガルゥ!」
「久々なんだから怒んないでよぉー!」
久方ぶりのひょうきんなムートンが見れ、ケンは心を和ませる。
そして彼は迷宮都市の天井を睨みつけた。
天井には巨大な穴が穿たれ、そこには偽りの空は無く、ただ寒々しい岩肌が見えるだけ。
きっとグリモワールはあそこにいる。
連中があのまま引き下がるとは考えられない。
――待っていろグリモワール、いやミキオ=マツカタ。てめぇの好きにはさせねぇぞ!
ケンはそう再び決意をするのだった。




