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彼女は、彼を想う(*ムートン視点)


 迷宮都市全域に祝福の号砲が上がっていた。

町中には音楽が鳴り響き、祝いのムードは最高潮を迎えている。

 しかし迷宮都市の中心、シャトー家の邸宅であるカベルネ城の地下は平常運転。

祝いの日の今日も、奴隷兵士と探索用ホムンクルスは過酷な迷宮探索を強いられ、使い捨てられていた。

 そんな怨念渦巻く闇の世界に、明らかに異質な部屋があった。

 整えられた絨毯、立派な調度品の数々。

数多の犠牲の上に成り立っている豪華絢爛なそこは、シャトー家の血縁者のみが使用を許される貴賓室だった。


 そんな貴賓室に純白のドレスに身を包み、ただ静かにその時を待つ、シャトー家の三女:ムートン=シャトーの姿があった。


 彼女は一人目を閉じ、静かに椅子へ腰を据えている。


 そんな彼女の脇にあった扉が仄かに輝いた。

魔術が解除され、固く閉ざされた扉が開き、品の良い女給仕が数人姿を見せる。


「お待たせいたしましたムートン様」


 従者の声を聴き、ムートンはゆっくりと目を開けた。

ゆるりと扉の前に佇む従者たちを一人一人眺める。


「あれ? メイはいないの?」

「メイは式の警備に当たっております。それに奴めはムートン様の側用人であろうと、所詮奴隷兵士。御身の神聖な儀式には参列させられません」


――そっか。せめてメイだけにはきちんとお別れを言いたかったな。


 ぼんやりとムートンはそんなことを思う。

この家で唯一、本音を語れた彼女。

ムートンにとっては彼女は実の母親や姉たちよりも、心を許せる存在だった。

しかしいくらシャトー家の直系のムートンがそう思えど、周りは彼女を”奴隷兵士”と蔑み、決して対等に扱おうとはしない。


――でもこれで良いのかも。もしメイが迎えに来たら、ちょっと気持ちが揺らいでたかもしれないし。


「参りましょう、ムートン様」

「はぁーい」


気の有る様な無いような、半端で軽い返事を返したムートンは椅子から降りる。

そして女給仕たちに続いて、地下施設を跡にした。


 隔離されていた地下から久々に屋敷の中庭に出たムートンは、陽の光が眩しくて思わず顔を顰める。

 中庭には既に儀礼用の黒装束を着たホムンクルス兵がずらりと並んでいる。

彼らはまるで置物のように整然と並んで、屋敷へ向けての花道を形作っていた。


 ムートンは穏やかな気持ちで、黒の花道を歩き始めた。

ムートンの頭上では庭師が放った白鳩が翼を広げて飛び立つ。

どこからともなく色とりどりの花びらが降り注ぎ、シャトー家のムートンと、オーパス家の長男ワンとの婚姻の儀を祝福する。だが彼女の心はそこに有らずだった。


――いつも、あの人はそうだ。


 自分がゴブリンに殺されかけていた時、気持が沈んでいた時、

そしてこの間だってそうだった、とムートンは思い出す。


――あの人は必ずやってきて、私のことを救ってくれる。


 婚姻の儀が行われる、シャトー家の”宣誓の塔”

ムートンがその果てしなく長い階段へ足を付けた途端、荘厳なパイプオルガンの音色が響き始めた。

心を揺り動かすような、荘厳で圧倒的な音色。

しかしそれでもムートンの心は揺らがず、ただ静かに、そして穏やかに階段を踏みしめる。


 やがて長い階段の果て、そこには豪奢なドレスに身を包んだ、シャトー家の当主でムートンの母親であるダルマイヤックが待ち受けていた。


 母の微笑みに、娘もにっこりと笑顔を返す。

 ムートンがダルマイヤックの手を取ると、目前の二枚扉がゆっくりと開いた。



 真っ赤に伸びるヴァージンロード。

左右には彼女の姉や、この世界の有力者が祝福に駆けつけ、花嫁姿のムートンへ注目する。

 宣誓台の前では、でっぷりとした腹を張り出した花婿のワンが、緊張しきった様子で直立し、待ち構えていた。


 ムートンは母親に手を引かれ、一歩一歩ヴァージンロードを踏みしめる。

その度に彼女の心臓は高鳴り、鼓動が全身へ響く。

 しかしその高鳴りはこの結婚式の厳かな雰囲気にでも、ましてや花婿のワンに対してでもなかった。


 ただムートンの胸の中には一人の男の姿しかなかった。


 目つきが鋭く、黒髪の、逞しくてだけど心優しい彼。

師匠と仰ぎ、尊敬して止まない黒皇ブラックキング

 これまで、自分は”彼の弟子”として自分を戒めていた。

勿論これからも彼を慕うのは変わりない。


――ああ、もう……師匠のこと考えたらまたお腹の辺りがきゅうきゅうし始めたよ。

こういうところばっか母上に似てやんなるな……


 しかし自分は母親とは違う、とムートンは思った。

彼女の母は異常に性欲が強く、シャトー家の威光を振りかざし、手当たり次第に男と交わっていたと聞く。

 噂では今日、花婿として迎えられるワンの筆おろしもしたとか、しないとか。


――でも私は母上とは違う。もしこの身を捧げるなら、私はあの人以外考えられない。


 もはや、自らに課した戒めは力を失っていた。

溢れた気持ちは止めどもなく、ただ彼のことしか考えられないムートンがそこにいた。

師弟愛を超え、ずっと傍に居たい彼。

 溢れ出たケンへの思慕はムートンの心を熱く燃やす。


――これからはラフィに気づかれないようにしないとなぁ……


 などと今後のことを既に考える始末。



「汝、ワン=オーパスよ。この女を妻とし、永遠の愛を誓うか?」

 

 宣教師の声が聞こえ、ムートンの意識は結婚式へ戻った。


「ふぅー、ふぅー……ち、誓います!」


 緊張しきっているオーパスの御曹司に、ムートンはベールの向こう側で苦笑いを浮かべた。


「汝、ムートン=シャトー。この男を夫とし、永遠の愛を誓うか?」

「あー、えっと……」


 例え嘘であっても誓いは立てられず、ムートンは言い淀む。

式場はざわめきに包まれ、母親のダルマイヤックは鋭い視線でムートンを睨む。

 式場のざわめきは最高潮に達し、今だ宣誓をしないムートンに業を煮やした、ダルマイヤックがハイヒールを蹴る。


「その結婚、ちょっと待ったぁッ!」


 突然、扉がけ破られ、凛とした男の声が響いた。

一瞬で式場から音が消え、空気が凍りつく。

 だが一人、胸に熱いものを秘めていたムートンは、迷わず踵を返した。


 ヴァージンロードの先、そこにいたのはムートンが尊敬し、そして愛するただ一人の男。


「待たせたな、愛弟子! 約束通り迎えに来たぜ!」


 彼は、黒皇ブラックキングこと、ケン=スガワラは逞しい腕を差し出す。

 自然と、意図せず、ムートンの瞳から一筋に涙が零れ落ちた。


「来い、ムートン!」

「はい、師匠!」


 ムートンはベールを脱ぎ捨てると、思いきりヴァージンロードを蹴って走り出した。


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