逃亡のブラッククラス
「ケンさん!? どうしたんですか!?」
ラフィは椅子から飛び跳ね、すぐさまケンの肩を抱く。
「わ、悪い、しくじった。すぐに逃げるぞ!」
迷宮都市三番街にある宿屋の二階へ、窓から飛び込んだケンは謝罪を口にする。
瞬間、ケンの帰りを待っていたラフィ、リオン、マルゴが表情を凍りつかせた。
「しくじったって!?」
「話はあとでする。マルゴ、荷物をまとめろ! リオン、お前は階下の様子を見てきてくれ!」
「へ、へい!」
「あう!」
リオンは弓を担いで飛び出し、マルゴは素早く荷物袋を掲げる。
「ケン、おかしい!」
階下からリオンの声が聞こえ、ケン達は宿屋の部屋を飛び出した。
一階の広間は何故かガランとしていて、人っ子一人見当たらなかった。
番頭も居ない始末。
次の瞬間、宿の扉がけ破られ、腕に鋼の爪を装着した集団がぞろぞろと押し入る。
ほんの一瞬で誰もいなかった広間はシャトー家の”ホムンクルス兵”に埋め尽くされていた。
宣告も何もなく、ただ無言で無慈悲にホムンクルス兵がケン達へ、鋼の爪を繰り出す。
しかしすぐさま、冷鉄手刀を腕に纏ったケンは、鋼の爪を受け止める。
「おらっ!」
「ッ!?」
受け流し、前のめりに体勢を崩したホムンクルス兵の腹へ、膝蹴りを叩きこむ。
兵は四肢を揺らしながら吹っ飛び、椅子を散らし、数人のホムンクスル兵を巻き込みながら、ボーリングピンのように倒れて折り重なる。
しかし”痛覚”を完全に遮断している兵は、衝撃などものともせずに起き上がり、再び攻撃態勢を取ろとする。
が、その時既に、ケンは折り重なったホムンクルス兵を視界にとらえていた。
”氷属性魔法lv2”で、大剣並みに肥大化させた冷鉄手刀を振り落とす。
一刀両断。
ホムンクルス兵の山は、真っ二つに切り裂かれた。
流石に胴が離れ、首が飛んだ兵が再び動き出すことはない。
『兄弟、後ろ!』
アスモデウスの言葉に従い、振り向きざまに氷の刃を振る。
刃は複数のホムンクルス兵から繰り出された鉈爪の斬撃を、赤い火花を散らしながら受け止めていた。
「せい! やぁっ!」
ラフィは床の上で何回もステップを踏み、その度に細かな蹴りを繰り出す。
魔力を帯びたつま先は空気に実体を与えて、刃を形作り、リーチ範囲外のホムンクルス兵を切り裂く。
ラフィが体得している狼牙拳の技が一つ、【狼牙爪拳】
だが、腕を失った程度ではホムンクルス兵の前進は止まらない。
「ウウー! ガルゥッ!」
流石に弓が使えないリオンは身体能力を向上させる、”獣化”をして、伸びた爪と、片手へ逆手に構えた短剣で応戦していた。
リオンの攻撃は素早く細やかで、ホムンクルス兵を近づけさせない。
しかしダメージ総量は少なく、痛覚の無い兵士は、細かな傷程度は気にも留めず、彼女への接近を続けていた。
「うっ、くっ!」
マルゴの構える盾にホムンクルス兵が群がり波状攻撃を仕掛けていた。
マルゴはその場から動けず、盾を構えて必死に耐えている。
そんな彼の背後へ別のホムンクルス兵が迫る。
「マルゴッ!」
ケンは目前の兵を蹴り飛ばし、
床を蹴って、一っ飛でマルゴの背後へ向かう。
着地の瞬間、上半身を捻れば、突き出した足が鋭く兵の黒頭巾を殴打した。
兵の靴底は床から離れ、少し宙に浮き、駒のように回転しなが飛んで行く。
「どりゃー!」
すると背後のマルゴも、盾を一気に押し出し、ホムンクルス兵を突き飛ばした。
「大丈夫か、マルゴ!?」
「へ、へい! すいやせん、兄貴」
逃亡からこれまで、ほとんど休息をとっていないケンは、やや疲れを感じ始めていた。
休まず、ただ無言で無慈悲に疲れ知らずで襲い掛かってくるホムンクルス兵。
――このままじゃ消耗戦だ。
状況を返すべくケンは、拳を繰り出しながら考え続ける。
そして一つの考えに至った。
「みんな、俺の傍へ来い!」
ケンが声を上げると、ホムンクルス兵に立ち向かっていたそれぞれが、疑う余地もなくケンの近くへ寄ってくる。
『大丈夫だ、みんな範囲内に入ったぜ!』
アスモデウスの報告を聞き、ケンはすぐさまDRアイテム「星廻りの指輪」が嵌った右手を床へ押し当てた。
「壁召喚!」
ケン達の集まった床へ瞬時に亀裂が入り盛り上がる。
「ラフィ!」
「はい!」
「「そりゃっ!!」」
ケンとラフィが同時に拳と足を繰り出し、天井へ向けて放った。
召喚された壁とケンとラフィの拳は宿屋を垂直に突き破り、迷宮都市の風景が一望できる屋根の上へ昇らせる。
ケン達は屋根から屋根へ飛び移り、宿屋からどんどん離れてゆく。
同じように黒装束を身にまとったホムンクルス兵が、まるでサルのように四肢で屋根を蹴り、追跡してきていた。
「多段矢!}
ようやく弓が扱えるフィールドへ出たリオンは、魔力で切り取られた偽りの迷宮都市の空へ向かって、矢を放った。
八位魔神バルバトスの宿る、DRアイテム「反逆の弓」は、燃え盛る翡翠の魔力を空で爆発させ、
無数の矢の雨となった。
ランダムに落下しているように見える無数の矢。
しかしその全てはリオンの意思に沿って、ホムンクルス兵だけを狙って、突き刺さる。
「ケンさん!」
しかしラフィの声が聞こえて、ケンは靴底を立てて急制動。
既に目の前には別のホムンクスル兵が居て、鉈爪を振りかざしていた。
「おらっ!」
ケンはトーキックを放ち、目前のホムンクスル兵を屋根の上から突き落とす。
「はぃっ!」
彼の後ろではラフィも敵を蹴落としていた。
「あうあッ!」
「リオンはやらせねぞ!」
矢を放ち続けるリオンを守るように、マルゴは盾を構え、戦斧でホムンクスル兵をなぎ倒している。
だが敵の追跡の勢いは衰えず、屋根から幾ら蹴落としても、ホムンクルス兵は平然と再び壁に爪を突き立てて迫る。
「あ、兄貴! ここは一旦、迷宮へ逃げ込みやしょう!」
「迷宮へ!?」
マルゴが迷宮都市の天井を指し示す。
魔力で切り取られた空の一部。
そこには不自然にも石の天井が浮かんでいる。
「あそこは迷宮の回廊です! あそこまでは奴らも追ってこられない筈ですぜ!」
「そうか、分かった!」
ケンは再び意識を「星廻りの指輪」へ注いだ。
彼の意思と、アスモデウスの魔力が融合し、瞬時に屋根へと伝播する。
そして洋屋根瓦がまるで水のように俄かに泡立った。
「行くぞ、しっかりつかまってろ! 魔神飛翔拳!」
屋根瓦から轟音が響き、中から岩の拳が飛び出した。
光属性魔法と火炎放射の推力は、重い岩の拳を瞬時に加速させる。
岩の拳は屋根瓦を紙のように散らして、その上にいたホムンクルス兵でさえ吹き飛ばす。
迷宮都市で平穏を謳歌していた住民は、突然吹き荒れた暴風と、轟音に何事かと、誰もが偽りの空を見上げた。
巨大な岩のようなものが迷宮都市を滑るように飛び、そして天井を突き破り、消えたのだった。
「けほ、ごほっ……みんな、無事か!?」
砂煙の中、ケンが叫ぶと、むせびつつもラフィ、リオン、マルゴの応答が返ってきた。
しかし安心したのも束の間、
ケンは殺気を感じ、その場から飛び退く。 鋭く過る、ロングソードの軌跡。
砂煙の向こうに、ちらりと見える鎧の陰影。
何故かケン達の前には装備をした無数の戦士たちの姿がった。
首筋や頬等、様々な箇所へまるで刺青のような禍々しい”魔方陣”が深く刻まれている。
――奴隷兵士!? まさかシャトー家の連中が!?
『おいおい、随分と準備が良いじゃねぇかよ。なんなんだよ、コレ?』
――ああ、全くだ。
ケンは冷鉄手刀を展開し、臨戦態勢を取る。
明らかに目の前の奴隷兵士達は、ケン達への殺気を放っていたからだった。
「俺らの姿を見た奴は誰だろうと生かしておけねぇ、やっちまえ!」
リーダー格と思しき、奴隷兵士が叫び、
雄たけびを上げながら一党が向かってくる。
――やるしかないなのか……!
ホムンクルス兵とは違い、自分と同じ立場だった奴隷兵士。
ケンは躊躇いをグッと堪え、迷宮の砂を踏みしめた。
刹那、眩い”白い閃光”がほとばしった。
「こっちだ、早く!」
白色に染まる光の中、誰かが大きな動作で、ケン達を招いていた。
状況は良く分からないが、撤退できることにこしたことはない。
「みんな、今の声に続け!」
ケンは真っ先に声のした方へ向かい、ケンの一派も迷うことなく続く。
白い閃光の中を抜け、ケン達は必死に迷宮の側道を、見知らぬ”白い法衣のようなものを着た男”の背中を追って、走り続けたのだった。
……
……
……
「はぁ、はぁ、はぁ……」
ケンは迷宮の岩壁に背中を預けて呼吸を整えながら、皆が無事かを確認する。
彼同様にラフィも、リオンも、マルゴも呼吸を整えているが、目立った傷は無く、ひとまずホッと胸を撫でおろす。
「ここまでくればもう安心だよ」
気持ちの良い響きのある青年の声に、ケンは顔を上げる。
そこには人懐っこそうな笑顔を浮かべた、銀髪の青年が佇んでいた。
「ありがとう。君のお陰で助かったよ」
「いえいえ、迷宮で困った時はお互い様。冒険者は助け合わないとね」
「俺はスガワラ ケン。君は?」
「俺は、ミキ……あーっと、ミッキー=カーティス! しがないソロの冒険者さ」
前の世界でそんなアーティストがいたような気がした。
もしくはネズミか。
聞き覚えのありそうな固有名詞と、なによりも親しみが持てそうな青年の笑顔に、ケンは自然と好感を覚えた。
「ありがとうミッキー。本当に助かったよ」
「あは! そんな何度も御礼、良いって!」
「にしても、なんであんなところに奴隷兵士が居たんだ? 何か知ってるか?」
「さぁ? でも近々、シャトー家で、あそこの娘さんとオーパス家の御曹司との盛大な結婚式があるんだって。それに向けて何か企んでるんじゃないかな?」
――奴隷兵士が? まさか。
呪印があるため彼らは主であるシャトー家へ反意を示すことなどできない。
そうした時点で呪印の力によって殺されてしまうのが関の山。
「まっ、俺には良くわかんないけどね。でも最近、ここの迷宮に潜ってる奴隷兵士の皆さん、なんだか凄く気が立ってるみたいだからせいぜい気を付けてね」
「分かった。情報ありがとう」
「いえいえ。そんじゃ、俺はこの辺で! またどこかで逢えたら良いね、スガワラ ケンさん!」
ミッキー=カーティスは一方的にそう云って、純白の法衣の裾を靡かせて、足取り軽く迷宮の奥へと姿を消す。
――不思議な男だったな。でも、また会えたらいいな。
彼に対してケンはそんな感想を抱くのだった。
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迷宮都市の偽りの空の先。
そこには今でもモンスターが生息し、命が物のようにやりとりされている六位迷宮アモンが広がっていた。
その中に佇む一人の黒衣の忍者。
彼は腕に巻きつけた蛇で、バジリスクを切り殺し、巨大なワームをたった一人で、平然と駆逐する。
「やっほーシャドウ、たっだいまー!」
響きの良い声が迷宮へ鳴る。
ワームからの剥ぎ取りを終えたばかりの、グリモワールの暗殺者:シャドウはゆっくりと立ち上がり、銀髪の青年へ振り返った。
「リーダー、お帰り」
「おっ? こりゃまたでっかいワームだね! 流石シャドウ!」
「ミキオ、何故奴を助けた?」
シャドウは兜の奥で赤い双眸を明滅させながら問う。
彼の持つDRアイテム「正義毒蛇」の探知スキルは、ミキオが、仇敵である黒皇ケン=スガワラを助けていたこと知らせていた。
「いやぁー一度彼とはゆっくりと話をしてみたいと思ってね。こんな機会、滅多にないだろうし。後は、保険かな」
「保険?」
「なんか黒皇、何か企んでるような気がしたからさ。俺たちの宣戦布告のためのお祭りは大きければ大きいほど良いと思ってね」
「把握。ならばリーダー、然る後、奴を良いか?」
シャドウは赤い目を更に光らせる。
すると、グリモワールのリーダー:ミキオ=マツカタは満面の笑みを浮かべた。
「勿論! それも織り込み済みさ!」




