再会
「お、おい、なんで泣いてんだよ?」
ようやく見つけだしたムートンは、再会して早々泣きじゃくっていた。
「だって、急に、えっく、師匠、出て来たんですもん……! ひっく」
「いや、急にってお前……」
二の句が繋げなかった。
たとえ世界で指折りの存在になったとしても、こうした状況にあまり出くわしたことのないケンはどうしてよいか分からなかった。
――リオンもラフィもあんましこんな風に泣かないし、どうしたら……
だけどこのまま放置するのも気が利かないと思ったケンは、
「ほ、ほら、泣くな! 大丈夫だから!」
まるで子供のように言い聞かせながら、とりあえず頭を撫でる。
「えっぐ、ひっく、大丈夫って、何がですかぁ……」
「あーいや、それは……やっぱ止めようか?」
「ひっく……続けてください。お願いします」
「お、おう」
対処はあながち間違ってはいなかったらしい。
ケンはムートンが泣き止むまで暫く頭を撫で続けたのだった。
……
……
……
「すみません師匠、ありがとうございました」
ようやく泣き止み、いつものムートンに戻る。
ケンは彼女に促され、並んでベッドに腰を据えていた。
「気にすんな」
「でも嬉しいです。こうしてわざわざ師匠が会いに来てくださって、本当に……でもどこからいらっしゃったんですか?」
「下からな」
「そうですか……じゃあご覧になりましたね? 下でのこと」
「あ、ああ、まぁな」
「……」
それっきりムートンは黙ってしまった。
ケンも話の成り行きとはいえ、このままこの話題を続けてはいけないと思う。
「にしてもすげぇ家だな! 家っていうか、城だよな、ここ!」
「私と同じで広くて頑丈なだけが取り柄ですけどね」
「こんな立派な家に住んでたんだったら、なんでお前は危険な冒険者を選んだんだ? 此処に住んでた方が、なんだ、その色々楽だったんじゃないか?」
「そうかもしれませんね」
「じゃあなんで家出なんてしたんだよ」
「シャトー家が許せなかったからです」
ムートンはすかさず、よどみなく言い切る。
その言葉にはっきりとした怒りを感じたケンは心を構えなおす。
「下でのことをか?」
「はい。本来は昇天する筈だった魂を無理やりつなぎ留めて、酷使する。シャトー家も、この迷宮都市も、いえ、この世界そのものが兵士の皆さんの犠牲の上に成り立っている……そんな最低な世界を生み出す原因を作ったのがシャトー家です……こんなの許されるはずがありません。ホムンクルス製造に匹敵する悪行です」
「ホムンクスルって、地下にあった?」
「彼らは奴隷兵士以前にシャトー家が開発した迷宮探索要員なんです。人造された彼らには人としての尊厳は無く、搾取され、使い捨てられる……命を弄び、使い捨てにするシャトー家が私は許せませんでした。でも、そんな時、私は天空神様にお会いできたんです」
”天空神ロットシルト”
彼女は信奉し、聖騎士として使える『公平と慈愛』を司る神の名。
その名を口にした途端、ムートンの言葉に温かさが戻った気がした。
「私のお父さんは、母上の数多くいる夫の一人で、ロットシルト様に使える教会の牧師だったんです。だから私の近くには常に、ロットシルト様がいらっしゃいました」
「そっか。じゃあその親父さんは?」
「既に亡くなってます」
「あ、わりぃ……」
「いえ、気にしないでください。仕方のないことですからね。ただ亡くなってもお父さんが教えてくださったロットシルト様の教えは、私の胸の中に今でも生きていました。だから、私はずっと教会で祈りを捧げつづけたんです。シャトー家の人間として、少しでも、なにかできないかと思って……」
そう語るムートンの顔は穏やかだった。
そして今目の前にいるムートンこそが、彼女の本当の姿だと思った。
「だからお前は聖騎士に成れたんだな」
ケンの言葉にムートンは「そうかもしれませんね」と穏やかに答える。
「聖騎士に成れたのは何かの運命だと思いました。だから私はシャトー家を捨てて、冒険者となったんです」
「だったらさムートン、なんでお前は帰ったんだ? やっぱりシャトー家の力にビビったのか?」
「それは……」
ムートンはケンから視線を外して俯く。
いよいよ核心に迫るべく、ケンは口を開いた。
「確かにこの世界じゃシャトー家は凄い力を持ってるかしれない。だけど
お前が心底嫌だって言うなら、俺はお前のことを全力で守ってやるぜ?」
「あの、えっと……」
「なにかあるなら正直に言え。これは師匠から弟子への命令だ。何言ったって怒ったりしねぇからさ」
「ずるいです、このタイミングでその言い方は……」
ゆっくりとムートンが顔を上げる。
彼女は蒼い瞳にケンを写した。
「私はその……師匠やラフィが”奴隷兵士だったから帰りました」
「そっか。やっぱ身分差か?」
「違います! そんなことじゃありません! 師匠たちを奴隷兵士として苦しめ続けたのは、シャトー家です。私はそこの人間です。貴方たちを苦しめ続けた家系の人間が、仲間面して一緒にいるだなんてダメだと思って……」
「ド阿保」
「あいた! し、師匠!?」
ケンがおでこへ軽く手刀を当てると、ムートンが素っ頓狂な声を上げた。
真実が実にムートンらしい考えで、ケンはホッと胸を撫でおろしていた。
だからこそ彼は彼自身の言葉を舌へ乗せる。
「確かにシャトー家は憎いよ。でも、それはそれで、別にムートンとは関係ないじゃないか。お前はラフィやリオン、俺にとって頼りになる聖騎士で、それ以前に大切な家族だ」
「……」
「俺もラフィもリオンもお前がシャトー家の人間だろうがなんだろが気にしないぜ。それはそれ、これはこれだ」
「……」
「俺たち、ずっとお前の帰りを待ってるんだぜ?」
「師匠……」
ケンはうっすらと涙を浮かべるムートンの蒼く透き通る瞳を見つめた。
「ここが嫌なら帰って来い。もしシャトー家が追っかけて来るなら俺は、俺たちは全力でお前のことを守る。約束する」
「ありがとうございます。でも、今の私にはこれが……これには呪印と同じ効果が込められてるんです。これがある限り私はこの城から出られません……」
ムートンは首に付けられた真っ赤な首輪を摘まみながら、消え入りそうな声で語る。
「んなもん俺がどうにかしてやるよ。忘れたか? 俺はDRアイテムの所持者で、史上六番目のブラッククラス”黒皇ケン=スガワラだぜ?」
「できるんですか、本当に?」
「ああ! 朝飯前だ。その辺の心配はすんな!」
「全く、貴方は相変わらず無茶苦茶ですね」
「それが俺だ!」
「ふふ、確かに」
ムートンは穏やかな笑顔を浮かべて、ケンへもたれかかった。
そんなムートンをケンは優しく抱きとめる。
「なら私は帰りたいです。ラフィや、リオンちゃん、みんなの、師匠のところへ……勝手に出て行った私が言えた義理ではありませんが」
「良いさ。細かいことは気にすんな」
「ありがとうございます。では、よろしくお願いします」
「お願いされた。任せろ」
「お嬢様を誑かすのはそこまでにして貰おうか、黒皇」
凛然とした冷たい声が聞こえ、ケンとムートンは同時にお互いの体を離す。
二人の視線の先、そこにはくノ一のような軽装鎧を装着し、鋭い殺気を放つシャトー家の奴隷兵士メイの姿があった。
ムートンを突き飛ばし、ケン自身もベッドからすぐさま飛び退く。
刹那、メイの苦無のような武器がマットレスを切り裂き、羽毛を散らす。
「師匠! うくっ!?」
首輪が血のような真っ赤な輝きを放ち、立ち上がったばかりのムートンを床へ縛り付ける。
「うふ、ネズミが忍び込んだとは思ってましたが、まさか六番目のブラッククラス殿がいらっしゃるとはねぇ」
妖艶な声が聞こえて、メイはすぐさま傅く。
いつの間にか、ケンの目の前には、禍々しいドレスを着こんだ、年齢不詳の女が佇んでいた。
当に魔女。
そう表現するにふさわしい不気味な女の掌からは淡い魔力の輝きが見える。
「控えろ、黒皇! このお方をどなたの心得る! 恐れ多くも、現シャトー家代1972代当主、ダルマイヤック=シャトー様であらせられるぞ!」
「良いのよ、メイ。私も一度、バカ娘がお世話になった新たなブラッククラス殿にお会いしたいと思いましてね」
メイの口上に、ダルマイヤックは微笑み返した。
「しかし!」
「貴様こそ黙れ、奴隷兵士。娘の側用人だろうと、貴様は所詮奴隷兵士。口を慎め」
「っ……申し訳ございませんでした」
「それで良いのよ。メイは良い子ね」
「ッ……」
ダルマイヤックの青い瞳がケンを捉えた。
ムートンは違い、やや濁り、得体の知れない奮起を放つダルマイヤックの眼光。
しかし圧倒的で優雅な雰囲気に、ケンは一瞬気圧されそうになる。
「改めましてダルマイヤック=シャトーと申します。お会いできて光栄ですわ。史上六番目のブラッククラス:黒皇ケン=スガワラ様?」
「それはこっちの台詞だ。わざわざギルド総代で、シャトー家のご当主が来てくれて光栄な限りだぜ」
ダルマイヤックの圧倒的な雰囲気に、ケンは強気の言葉を返す。
「うふ、良いわねその勇ましさ。気に入ったわ。どうかしら? 娘とではなく私のお相手をしませんこと? 生娘では味わえない、極上の快楽を約束しますよ?」
「悪いがお断りだ。あんたに興味はねぇ。あるのはムートンだけだ!」
「あらら、情熱的ですこと。お仲間の皆様もさぞ、娘との逢瀬を楽しみにしていますでしょうねぇ」
――くそっ、潜入がバレてたか!
「ああ、そうだな。みんなムートンに会いたがるし、こいつも帰りたがってる。お袋として娘の希望を聞いてやる気はねぇか?」
負けん気一つでケンは余裕を装った言葉を返す。
「それはダメですね。ムートンは私がお腹を痛めて産んだ可愛い可愛い娘。好きにする権利はこの私だけにありましてよ!」
ダルマイヤックの杖が床を叩く。
すると天井から、壁から、床から、次々と黒装束を身にまとい、腕に虎爪が鋲止めされた”ホムンクルス兵”がぞろぞろと姿を現す。
部屋は一瞬でホムンクルス兵に埋め尽くされる。
『兄弟、やるか?』
――いや。
アスモデウスにケンは否定を返す。
突破しようと思えばできる。
しかしダルマイヤックは既に、ケンや彼の仲間たちが迷宮都市に潜入していることを嗅ぎつけていた。
むしろそちらの方がまずい。
「ムートン、必ずお前を連れだすからな! 待ってろ!」
「お待ちしてます、師匠ッ! いつまでも!」
ケンは床を強く踏みしめ、窓ガラスに身体をぶつけた。
ガラスが粉々に砕け、ケンは窓の外へ自分の体を放り出す。
が、すぐに壁面へ靴底を付けて体勢を整えた。
靴底で壁面を蹴り、カベルネ城の城壁の上まで一気に飛ぶ。
「追え! 逃がすな!」
メイの指示が飛び、ケンに続いて、ホムンクルス兵が次々と追従してくる。
しかしケンは構うことなく地を蹴り、更に飛んだ。




