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ムートン(*ムートン視点)


「お嬢様、そのようなお顔のままでは殿下へ失礼です」

「わかってるよ、もう……」


 ムートンは髪を丁寧に解きほぐしてくれている従者のメイに云われた通り、鏡に向かって作り笑いを浮かべた。

 精一杯笑顔を浮かべたつもりだったがどこか違和感がある。

 やはり首に付けられた”赤い首輪”が気になり、それが原因か否か。


「これやだなぁ……」

「お嬢様、貴方には出奔した前科がございます。この処遇は自業自得かと」


ピシャりと言い切ったメイに、ムートンは苦笑いを浮かべる。


「相変わらずメイは厳しいんだから」

「犬のような首輪がお嫌でしたら、今後は態度で示されれば良いでしょう。今後はダルマイヤック様にお許しいただけるよう精進なさってください」

「はいはい、せいぜい頑張りますよ」

「お願いいたします……整いました」


目の前の鏡には綺麗な青いドレスを着て、化粧を整えたムートンが静かに佇んでいる。


「参りましょう」

「うん」


ムートンはメイに手を引かれ、部屋を後にした。


 ムートンが立派な赤絨毯の上を歩く度、すれ違う全ての人が立ち止まって深々と頭を下げる。

 実家に住んでいた頃からこの恭しさに辟易していたが、戻ってきてからは余計に強く感じるようになっていた。


――師匠たちと一緒に居た頃は誰もこんな風にしなかったもんな。

むしろ結構イジられてたっけ?


 遂懐かしさで頬が緩む。

 まだシャトー家に戻ってあまり時間が経っていないのに、ケン達と過ごした時間が遥か遠い昔のことにように思われた。


「お嬢様、ワン様の前では今と同じお顔でお願いいたします」

「えっ?」

「微笑んでおられました。心ここに有らずで構いません。ただその笑顔だけはゆめゆめお忘れなきように」

「うん、分かった。ありがとう、メイ」

「いえ」


 気づくとムートンは既に”謁見の間”へ続く豪奢な扉の前へ立っていた。


 メイが扉を開く。

この先は高貴な身分の者しか立ち入ることのできない領域。

 本当はメイに同行して貰いたいムートンだったが、奴隷兵士の彼女は立ち入れない決まりだった。


「じゃあ行ってくるよ」

「いってらっしゃいませ、お嬢様」


 ムートンはメイを過り”謁見の間”へ踏み込む。


相変わらずの甘ったるい花の匂いにムートンは思わず顔をしかめた。

部屋中に飾られた色とりどりの花々。

調度品は壁から、絨毯の隅にある刺繍まで、悪趣味な程、豪華絢爛だった。


「ムートン、待ってたよぉ!」


 突然、野太い男の声が響いた。

目前の立派な長机に座っていた紺の礼服を着た、脂ぎった男が飛び出し、ムートンを両腕で強く抱きしめる。


「お、お久しゅうございます、ワン殿下……」


 漂う苦手な体臭に顔をしかめながら、しかしそれを気取られないようムートンは冷静に挨拶をかわす。


「相変わらず君は美人だねぇ。ここだって……」

「ッ!?」


 ワンはドレスのスカート越しにムートンの体へ指を付けた。

 大木の肢体からは想像できないほどの、軽やかな彼の指先が、遠慮なくムートンの太腿を這い、尻を撫でまわす。


「んっ……」


 思わず出そうになった声を、ムートンを噛みころす。

 この醜悪な男から想像できないほど、彼の指はムートンの肌の上を触れるか触れないかの絶妙な動きをし、ムートンの女の体は意図せず反応を示してしまっていた。


「いいねぇ、その顔! 早く、この先がしたいねぇ……」


 ワンはムートンの耳元でそう囁く。

瞬間、末路を想像したムートンは不快感を感じ、肩に力を込めた。

が、首輪が僅かにしまり、身体から抵抗する力が抜け落ちた。

 首輪の魔力が、外からムートンの身体を支配し、抵抗する力を奪う。


「あらあら殿下、お手がお早いこと。この分ですとお子を成すのもすぐのことでしょうね」


 甘ったるい匂いと共に、緋色の豪華なドレスを着た、彼女の母親が脇へ現れて満面の笑みを浮かべていた。

 皺ひとつない瑞々しい肌に、均等の取れた手足。

瞳は宝石のように輝き、娘のムートンと殆ど変らない若さに満ち溢れている。

しかしそれは全て、シャトー家当主の証、DRアイテム「煉獄双剣」が放つ、強大な魔力で保っているに過ぎない。


――相変わらず、この人は、魔女だなぁ……


 ムートンは内心、実母で、シャトー家当主、そしてギルド総代表の地位にある:ダルマイヤック=シャトーをそう評するのだった。


「殿下、そろそろ宜しいでしょうか? 話を進めませんと。私も少々立て込んでおりまして」


やや冷やかなダルマイヤックの声に、ワンは背筋を伸ばす。


「そ、そうか。分かった、婚儀の話を進めよう。さぁ、ムートン、ふぅー……こっち!」


 ムートンはワンに手首を思い切り掴まれ、そして長机へ並んで座らされた。


 対面に座り込んだダルマイヤックは脇に控えていた、シャトー家の長女でムートンの姉のヴァスコスから婚儀に関する書類を受け取る。

そしてムートンのシャトー家と、ワンのオーパス家の間で執り行われる、婚礼の儀に関する話が始まった。


 ダルマイヤックの狙い、それはシャトー家と共に世界へ覇を唱えるオーパス家と繋がりを持つことで、更なる勢力拡大を成すためだった。


 長女のヴァスコスは既に次期シャトー家当主に内定していて、家の存続は盤石。

他の姉妹も既にこの世界の有力者の下へ嫁として送り込まれている。

 そして遂には出奔したムートンにでさえ白羽の矢が立ち、今に至る。


――結局、ダルマイヤック(この人)にとって自分以外の存在は、

全部道具に過ぎないんだ……



 それはシャトー家そのものもだと云えるし、この呪われた家系の根幹を成す考え方とももいえる。

迷宮都市の地下では今日も、シャトー家の次女でムートンの姉のロスによって、迷宮経済が回っている。

 大量の迷宮探索用ホムンクルスが製造され、他世界のさ迷う魂を捉えて、奴隷兵士スレイブソルジャーが生み出されている。

 そしてこの家の栄華も、迷宮都市の繁栄も、全て彼らの犠牲の上に成り立っていた。


――ここに天空神ロットシルトの「慈愛と公平」の教えは存在しない。


が、ここに戻った時点で、もはや逃れることなどできない。

これを自分の運命として受け入れ、シャトー家の道具として生きてゆく。

もはやそれしか、ムートンに残された生き方は無かった。


――仕方ないんだ。この家に生まれた私には結局生き方を選ぶことなんてできないんだ。


 師匠と敬愛した史上六番目のブラッククラス、ケン

 初めてできた親友と呼べる存在の、ラフィ。

 実の妹のように強い愛情を感じていた、リオン。


ムートンにとってかけがえのない人々。

しかし彼らは皆、ムートンの生家であるシャトー家に奴隷兵士として苦しめられていた。

一緒にいることで、ムートンは罪悪感に苛まれた。

申し訳なさを感じた。

仲間面をする自分自身に嫌悪感を抱いた。

だからこそ、離れると決めた。

離れなきゃいけないと思った。




「やはり気になりますか?」

「えっ?」


 ワンとの婚儀の話を終え部屋に戻り、メイが彼女の髪を解きほぐしながら声をかけてきた。


黒皇ブラックキングのことをお考えではないかと思いまして」

「あはは、やっぱメイって凄いね。私のことよくわかってる……」


 小さい頃より身の回りの世話から、身辺警護、そしてひそかに剣術を教わっていたメイ。

この家で唯一、シャトー家の三女であるムートンへ意見する彼女。

そんな彼女の存在はムートンにとって、本当の家族以上の愛情を感じていた。


「しかしお嬢様、どうか彼らのことはお忘れください。所詮彼らもまた我らがシャトー家の駒。今後、お嬢様がこの世界という盤上で操り、時には切り捨てる駒に過ぎません。それは私も同じこと」

「駒って、そんな……メイは私にとって本当の家族以上の家族だよ?」


本心を語る。

しかしメイは冷たく鋭い眼光を瞳に宿したまま、首を横へ振った。


「……お嬢様、そのようなことは仰ってはなりません。私は所詮奴隷兵士。貴方様が行けと仰れば進み、死ねと云われれば死ぬ存在です」

「だけど!」

「貴方はここへ戻られた時点で再びシャトー家の人間となりました。その責はゆめゆめお忘れならないよう」

「……」

「終わりました。それでは私はこれで」


 髪をとかし終えたメイは一礼しムートンから離れた。

 どんなに厳しいことを云われようと、ムートンにとってメイの存在は、この家の中では特別だった。


「あ、あのさ、メイ。たまには一緒にお茶でもしない?」


 もう少しメイと一緒に居たいと思ったムートンはそう提案するが、


「ありがとうございます。しかしこの後、迷宮探索の任があります。またの機会にして頂けませんか?」

「そっか……そ、そうだよね。ごめん」

「こちらこそ申し訳ございません。次こそは必ず」

「うん、楽しみにしてる。迷宮探索、気を付けてね」

「はっ、ありがとうございます。それでは行って参ります」


 メイが退出し部屋が静寂に包まれた。

そうするとふいに、寂しさがこみ上げてくる。


 この屋敷は大勢の人がいる。

しかしムートンは一人きり。

肌寒さを感じてムートンは自分の肩を抱く。

そして脳裏を霞めたのはやはり、ケン達のことだった。


――私は自分から離れるって決めたんだ。

一緒にいちゃいけないって自分で決めたんだ。

私が決めたこと、選んだんだ。


 何度も自分へそう言い聞かせる。

しかしそうすればそうするほど、想いは募り、余計に楽しかった日々のことが思い出される。


 リオンと稽古をして、ラフィのご飯をみんなで食べて、尊敬する師匠の、ケンの暖かさに触れたあの時。

 次々と浮かび上がる彼らと過ごした数多の日々。


――駄目だ駄目だ駄目だ! 忘れろ! 忘れるんだ私!


 勢いに任せてベッドへ寝そべり、何度も自分へそう言い聞かせる。


そんなムートンの胸の内は今にも張り裂けそうに痛む。


一緒に居てはいけないのに、一緒に居たい。

離れたくはなかったが、自らの意思で離れた。

自己矛盾が渦を巻き、胸の内を苛む。


「会いたいな、やっぱり、みんなに、師匠に……」


 こぼれ出た一言。

やはりそれが本音なのだと思い、ムートンは一人苦笑いを浮かべる。


しかしようやく本音に気付いたとしても後の祭りだった。


既にムートンの首は二度と脱走をさせないよう、呪印と同じ力を持つ”呪術の込められた首輪”がはめられていた。

これがある以上、ダルマイヤックの許可なしに、カベルネ城から出ることはおろか、迷宮都市の外にさえ行けない。


その時、不意に柔らかい風がムートンの頬を撫でた。

ふわりと感じる嗅ぎ覚えのある匂い。

 自然と心臓が高鳴り、ムートンはそっとベッドから身を起こす。


「なにらしくねぇ顔してんだよ、ムートン」


 何故か彼はそこにいた。

いつも来て欲しい時、言葉を駆けてほしい時にいつも傍に居てくれる彼。


強く、優しい、ムートンが敬愛する彼は、彼の特徴である黒髪を夜風で靡かせ、今目の前に佇んでいた


――どうしてこの人は、いっつも良いところに現れるんだろう。

なんでいっつもこんなにタイミングが良いんだろう。


「うっ、ひっく……なんでこんなところにいるんですかぁ……師匠?」


 突然現れたケンを前にし、ムートンは喜びのあまり涙するのだった。


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