リビングデット
マルゴとマルゴ一家が作成した地図によると、迷宮都市はケンの村の北方にあった。
塔の形をしたそこはギルド評議委員会の議事堂や、豪商の本拠地などがあり、いわばこの世界の経済を回す大きな歯車の一つと言っても過言ではないところだという。
そのようなところなのだから当然、迅速に、そして安全に人の往来ができるよう、雄大な山脈を背景にして、扇状に整備された街道が伸びていた。
”迷宮都市”へ行く。
そのこと自体は容易。
徒歩であれば一週間、早馬を飛ばせば三日ほど、整備された街道をひた走れば良いだけ。
だがケン達はそんな正攻法を使うわけには行かなかった。
迷宮都市へ入場するには迷宮都市側、厳密にはシャトー家の許可が必要となる。
史上六番のブラッククラスで、黒皇の二つ名を持つケンが、正面から願い出れば許可自体はあっさりと下りる。
しかしそれは同時にシャトー家へ、ケンが迷宮都市へ入ったことを知らせることにもなる。
――俺の入場が知られれば、奴等は必ず警戒し、マークしてくるはず。
そうなってしまえばシャトー家の令嬢であるムートンと話すことは愚か、一目見ることさえ容易ではなくなってしまう。
だからこそケン達は迷宮都市に向かって伸びる街道を外れ、再び森に入り、山を登り、モンスターを蹴散らしながら、けもの道を進む。
そして村を旅立ってから二日後、ケン達は山のすそ野にひっそりと闇を呈する、アモン迷宮の枝洞の入り口にたどり着いていた。
確かに道程は険しい。
しかし普段から序列迷宮へ潜ったり、モンスターを相手取っている、戦闘職にとってはさほど苦労するものではなかった。
そんなところにも関わらず、洞窟の入り口付近には人っ子一人いない。
――なにかあるな、これは。
「ここ! 行く!」
そんなケンの警戒心もなんのその。
案内役のリオンは先行して洞窟へ飛び込んでゆく。
ケン達もまた、リオンへ続き、迷宮の闇へ踏み込む。
静寂に包まれた暗澹たる洞窟を進む。
既に外の光は背後から差し込んでいない。
異様な静けさと、淀んだ空気。
「ッ!? 口を塞げ!」
嫌な予感のしたケンが叫び、ラフィとマルゴは咄嗟に腕で鼻と口を覆った。
洞窟の奥からゆらゆらと煙のような霞が漂ってくる。
甘ったるく、まとわりつくような不快な臭い。
――毒霧か。
よく見てみれば、足元の闇の中に、白骨化した躯や、装備品の残骸がそこら中に転がっている。
『なるどな、毒霧のせいでこの枝洞には誰もいなかったんだな』
――参ったな。この状況はあまり芳しくない。
毒霧は腕で口と鼻を抑えれば防げる。
しかしこの状態で敵と邂逅するのは、片腕をもがれた状態で戦うのと同じ。
「あう? みんな遅い? なんで?」
そんな毒霧の中で、リオンは平然と首を傾げていた。
どうやらリオンには毒への耐性があるらしい。
そもそもここに毒があると気づいていないので、この道を選んだとも考えられる。
――なら、この【状況】へスキルライブラリ サーチを掛けるか?
【状況】へのサーチは、【個体】へのサーチ以上に、
身体への負担が大きい。
ならば引き返して別の道を探すべきか?
進むべきか否か逡巡するケンの肩を、ラフィがツンツン突く。
「……? ッ!?」
ケンの目の前でラフィは鼻と口を覆っていた腕を高く掲げた。
「レジスタンス ポイズン!」
毒霧を吸い込みながら、ラフィの声が洞窟へ高らかに響き渡った。
瞬間、彼女から紫の輝きが、粒となってケンとマルゴ、そして彼女自身へ降り注ぐ。
「けほ、ごほっ……も、もう腕外して大丈夫ですよ。毒耐性を付与しましたから。けほ……」
少しむせながらラフィが言い皆が腕を外す。
目には毒の霞が見える。
しかし花は不快な臭いを一切感じず、灰を満たす空気は外のソレと変わらず、清々しいものに変わっていた。
「こりゃスゲェ! 流石姉さんですぜ!」
マルゴは興奮気味にそう云い、
「えへへ。これがレベル69の回復士の力ですよ、マルゴさん! いたっ!」
胸を張って自慢するラフィのおでこをケンは軽くデコピンで弾いた。
「い、いきなりなにするんですかぁ! 女の子に暴力は良くないですよ?」
「バカ、調子に乗んな。毒、少し吸っただろ? 大丈夫なのか?」
「え? ああ、まぁ、少しですから……けほ」
「ほら、云わんこっちゃない。さっさと飲め」
ケンはラフィへ小瓶へ詰めた液状の解毒剤を握らせた。
ラフィは云われるがまま飲み干す。
少し青ざめていた頬が朱色を取り戻した。
「ふぅー、落ち着きました。ありがとうございます」
「今度こういう場面があったらさっさと解毒剤飲めよ? 良いな?」
「わかりました、ごめんなさい」
「分かってくれりゃそれで良いよ。ラフィにその……なんかあっちゃ困る」
「あっ……そ、そうですよね。そうですよね! えへへ……」
「へいへい、甘々もそこら辺にしてとてくだせぇ兄貴に姉さん?」
にんまり笑顔を浮かべたマルゴは、赤面するケンとラフィの間へ割って入るのだった。
「先、急ぐぞ」
「はい!」
毒霧の問題を克服したケン達は更に、枝洞を潜ってゆく。
先へ進めば進むほど、地面に転がる装備の残骸や、風化し辛うじて原形を留めている白骨の量が増してゆく。
やがて先の闇が大きく広がった。
狭いトンネルを抜けた先は、どこまでも闇が頭上に広がる巨大なフロア。
そんなだだっ広いフロアに、ぬちゃり、と不快な音が響く。
一つだった音は二つに、三つにと広がり、やがてフロア全体に反響するまでに広がった。
「来るぞ」
ケンの言葉にリオンはDRアイテム「反逆の弓」へ指を絡め、ラフィは狼牙拳の構えと取って、
マルゴは得物の戦斧を腰から下へ構え、丸盾を前へ押し出し構える。
ケンもまた右手の手刀へ、凍てつく氷の刃、スキルウェポン:【冷鉄手刀】を付与し、臨戦態勢を取る。
「ああううあああ!」
闇から飛び出してきたもの。
それは腐りかけの死体や、白骨に装備を身にまとった、かつて人間だった存在。
死しても尚、戦うことを余儀なくされる、悲しき存在:生きる死体だった。
言葉もなく、ケン達は目配せだけでリビングデットの群れへ飛び込んだ。
「多段矢!」
リオンは翡翠に輝く矢をどこまでも続く天井の闇へと放つ。
放たれた一本の矢は無数の小さ矢へと様変わりし、リビングデットの群れへ雨のように降り注ぐ。
リビングデットは降り注ぐ矢を恐れず歩行を続ける。
しかし腐りかけの体は無数の矢に手や足をもがれ、その場へ叩き伏せられ動きを止めた。
「とぉりゃー!」
マルゴは丸盾を傘のように掲げて、リオンの矢から自分を守りながら、戦斧の重い斬撃で、リビングデットを鎧ごと叩き潰す。
そして矢の雨の中をケンとラフィは、脚力と勘で避けながら、閃光のように突き進む。
「やぁ! はいぃっ!」
ラフィの鋭い蹴り技は襲い掛かるリビングデットの首を飛ばし、下半身を鎧ごと断ち切っていた。
負けじとケンも腕に纏わせた鋭い氷の刃を、ショートソードのように振るう。
次々とはじけ飛ぶリビングデットの四肢や首。
未だ腐りかけて間もない体の一部に刻まれた禍々しい魔方陣のような”印”が目に留まり、ケンはやるせない気持ちとなった。
――呪印、こいつらも奴隷兵士だったのか。
リビングデットを断ち切る度にケンの網膜へ、呪印が投影された。
死ぬまで戦いを強要され、死しても尚こうして闇の中をさ迷い歩く。
生きていても死んでいても、結局のところ奴隷兵士という最低で人としての尊厳を奪われ続けている彼ら。
「ああ、うう!」
生きる死体に痛みや、苦痛の概念は無い。
例え頭を無くそうが、上半身だけになろうが、それでも目の前の”敵”を喰らうため、地面を這いつくばりながら戦い続ける。
「あ、兄貴! キリがないですぜ!」
マルゴはどんなに切り付けても起き上がり続けるリビングデットに苦慮し、
「あう! いっぱい、うざい!」
リオンも短剣に切り替え、リビングデットへ挑むも、
結果はマルゴとほぼ同じ。
「はい! やぁっ!」
ラフィも彼らが”元奴隷兵士”と気づいたのか、より一層眉を尖らせながら、リビングデットに対処している。
しかしラフィの拳をもっても、生きる死体は起き上がり再び向かってくる。
――長期戦は危険。だったら!
ケンは腕を掲げ、目の前のリビングデットへ”火炎放射”のスキルを放つ。
噴出した炎は一瞬でリビングデットを包み込む。
「ああ、うう!」
――この程度の火炎じゃダメか。
続け様、疾走する金色の魔力、スキルウェポン:【破壊閃光】へ切り替え放つ。
閃光が疾駆し、だだっ広いフロアを真昼のように照らし出しながら、その光と熱がリビングデットを飲み込む。するとリビングデットは一瞬で灰へと変わり蒸発した。
――これは効くか。しかし……
破壊閃光の威力は格別だ。
しかし閃光で照らされ、現状の真実が見えたケンは楽観視できなかった。
フロアへ無数に空いた側道。
そこから次々とリビングデットが湧いて出てきていた。
一定方向で範囲の狭く、その上HPを消費する破壊閃光では全てのリビングデットを倒しきる前に、ケン自身のHPが尽きてしまう。
――こういう時は、やっぱり。
効率的で、そして最適の手段へ移るべくケンは地を蹴る。
そしてリビングデットの懐へ潜り込み、そして体へ触れた。
「サーチッ!」
DRアイテム「星廻りの指輪」が、リビングデットの全てを読み込んだ。
集まった情報は、分類され、塊を作り、収束を瞬時に完了させる。
●スキルライブラリ提示:火属性魔法lv1
――やっぱり、そういうことか!
ケンはサーチを掛けたリビングデットを蹴り飛ばし、後ろへ飛んだ。
「ラフィ! 全員へ熱への耐性を!」
「はい! レジスタンス ヒート!」
迷いの無いラフィの叫びがこだまし、ケンや奮戦するマルゴとリオンへ赤い光の粒が降り注ぐ。
「リオン、マルゴを!」
「あう!」
「うおっ!?」
リオンは尻尾を鞭のように振り、マルゴを絡めとって、彼ごと後ろへ飛んだ。
自分の背後へラフィ、リオン、マルゴが下がったことを確認したケンは、静かに元奴隷兵士であるリビングデットへ手をかざした。
「来世こそは幸せになってくれ……燃やし尽くせ、アスモデウス!」
『はいよ! 待ってました! ひひっ!』
アスモデウスの声が頭へ響き、翳した指輪から禍々しくうねる炎が噴出した。
火炎放射のスキルよりも赤黒く、まるで生き物のようにうごめく炎は目前のリビングデットへ絡みつく。
絡みついた炎は不思議な紫の煙を上げさせながら焼き尽くす。
炎は次々と連鎖をして、リビングデットを炎で包み、消し炭と化す。
そればかりか炎はフロアの側道へ蛇のように入り込んでゆく。
やがて燃えつくされたリビングデットは装備ごと灰になって、フロアへハラハラとまい、消えてゆくのだった。
「ケンさん、これって……?」
「リビングデットの本体はあいつらの身体を覆っていた魔力だったんだ。だったら魔力由来の炎でソレを焼き尽くして、亡きがらも焼いた。そういうことだ」
「そうですか……あの人たち、今度こそは良い人生を送れるといいですね」
「ああ、そうだな」
ケンとラフィは揃って消え去ったかつての戦士たちの魂の冥福を祈る。
「さぁ、行こう。リオン、道案内頼む」
「あう!」
リオンは再び先行しケン達は続くのだった。




