異世界で拠り所の彼女
「明日も頼むぜ、ケンさんよぉ!」
ケンは馬車の荷台から盗賊の様な風貌の、探索ギルド「アエ―シェマン」の構成員に蹴落とされた。
ケンは迷宮探索で疲れ切った体を、無理やり起こして立ち上がる。
「くそっ……そう思うんだったらもっと丁寧に扱いやがれ……!」
盗賊たちの自分へ扱いに憎悪し、悪態を付くがそれまで。
見上げればそこにはケンの胸へ刻まれた魔方陣――呪印――と、同じものが刻み込まれた大岩が、
彼へ黒い影を落としていた。
そんな岩がまるで堰のように立ち並んでいる。
大岩の向こう側には鬱葱と生い茂る森があり、たぶんあそこへ飛び込めば探知スキル持ちの輩でもない限り、見つけ出すことは困難だろうと思う。
しかし呪印が刻まれた岩を踏み越えて、森へ飛び込めば一貫の終わり。
ケン達【奴隷兵士】に刻まれた呪印が発動して、身体が風船のように破裂してしまう。
だいぶ昔、ここへ連れてこられたばかりの頃、何も知らない同じ境遇の人たちが脱出を試みて死んでいた。
それからというもの、逃げ出すという選択は自然と淘汰されていった。
ただ毎日探索ギルド「アエーシェマン」の連中に、命じられるがまま危険な序列迷宮へ潜らされ、
命を懸けて探索する毎日。
殆どが死に、運よく生き残れば、狭く汚い居住地へ戻されるだけ。
物のように扱われ、ただ消費されるだけの日々。
そこに人間としての尊厳は存在しない。
だが、そんな最悪な状況にあっても、ケンには生きる意味があった。
疲れた体を引きずって、スラム街のような狭い居住地へ踏み込む。
「お帰りなさい、ケンさん!」
弾むような声が聞こえ、荒んでいたケンの気持ちが一気に和らぐ。
薄汚れてはいるが、それでも綺麗な黄金色をしたショートカットの髪。
その間からはまるでダックスフントのような長い耳が生えている。
身長の割に胸が大きくアンバランスで、着ている服が粗末な麻のワンピースなものだから、
余計に際立って目のやり取りどころへ困る。
円らな瞳から寄せられる信頼の視線と、喜びを表現するふさふさとした尻尾の横振りは、それをみているだけ気持ちが和らぐ。
――今日も無事に帰って来られた。
「ただいま、ラフィ」
安堵したケンは優しくそう云って、獣のような耳と尻尾の生えた少女:ラフィの髪を撫でた。
「えへへ……ご飯にしますか? それとも治します?」
「先に治してくれるか? 今日迷宮クラゲに遭遇してちょっと毒でやられたみたいなんだ」
「わかりました! それじゃ行きましょう?」
「ああ」
粗末なケン達奴隷兵士の居住区の上、そこには居住区とは対照的な石造りの立派な城砦があった。
城砦からは今晩も愉快そうな笑い声と音楽が聞こえ、人影がダンスのように踊り狂っている。
ケン達を支配する探索ギルド「アエーシェマン」の本拠地は、道具でしかない奴隷兵士の居住区を見下ろし、ケンの胸中をざわつかせる。
――その金は誰が稼いできてると思ってるんだ、アイツらは……!
明確な身分の差にケンは悔しさを募らせる。
「ケンさん」
すると決まってラフィがそっと手をつないでくれた。
仄かに温かいラフィの手は、手をつなぐ、そんな些末な行為だけでさえも、尖ったケンの心を和ませる。
「ありがとう、ラフィ」
「これぐらいしかできませんけどね」
「十分だよ。ありがとう」
「えへへ、褒められた。嬉しいです!」
ラフィの笑顔は、ケンの胸中を穏やかにした。
そうしながら先を行き、やがて居住地の一番奥にある、板と藁で作った粗末な小屋へと入った。
かつてここには別の奴隷兵士が住んでいたいようだが、今は主は無く、ラフィと二人で廃材を集めたりして直して、今は一応の住まいとしている。
とはいうものの、屋根と壁があるだけで、小屋の中は地面がむき出し。
寝床に使っているところに藁が敷いてあるだけ。
だがそんなところであっても、この家が今のケンにとって”帰るべき大切な家”だった。
「外しますね」
ラフィは手早くケンから手早く軽装鎧を脱がせた。
阿吽の呼吸でケンは下に着ていたボロボロのTシャツを脱いで、ラフィへ背中を向ける。
「始めます」
「ああ、頼む」
「それでは……」
ラフィの柔らかい両手が、傷だらけの背中へ添えられた。
暫くして淡い金色の輝きがほとばしったかと思うと、背中がカイロを当てたかのようにじんわりとした温かさを感じる。
回復職であるラフィの治癒能力が、迷宮クラゲの毒針に指されて化膿した背中を、まるで何事も無かったかのように修復してゆく。
【ラフィ】
ケンと同じ「アエーシェマン」の奴隷兵士だが、彼女は現地人のようだった。
かつての迷宮探索の際、傷ついた彼女を救ってから今日まで、何故か彼女はケンに懐いていた。
本来は迷宮探索に従事できなくなった奴隷兵士は、不用品として処分される。
だがラフィは「アエーシェマン」が所有する奴隷兵士の中でも、貴重なHP回復役であること、そして何よりも奴隷兵士の中では最も評価されているケンが面倒を見ると進言したことにより処分がを免れていた。
もっとも、傷が深く迷宮に潜ることは不可能。
こうして戻ってきたケンへ治癒を施す、といった役目を担っている
ケンがこうしてここまで生き延びられ、アエーシェマンの奴隷兵士の中でも一目置かれる存在になれたのは、ラフィが探索終わりにこうしていつも治癒をしてくれていることが大きい。
「ふぅー……終わりました。どうですか?」
ラフィに促されて、背中を回してみる。
探索へ出る前と殆ど変わらないほど、肩甲骨が良く動き、毒の痺れはない。
「快調だ。ありがとう」
「じゃあご飯にしますね! 待っててくださいね」
ラフィはパタパタと足音を立てて、尻尾をブンブン振りながら、部屋の隅にある鉄鍋へかけてゆく。
尻尾の横振りは喜びの証。
だからこうして世話を焼ていることを喜んでいると理解できる。
前の世界で犬を飼ったことがあるケンには、なんとなくラフィの喜怒哀楽が分かっていた。
だからこそこうして色々してくれることが嬉しいような、恥ずかしいような、申し訳ないようなと思う。
そんなことを考えながら着替えを済ませ、藁の上へと座ると、
タイミングよくスープの入った、ボロボロの木の器をラフィが配膳してきた。
スープ、と云っても豆を水と、そして僅かな塩で煮ただけの粗末なもの。
だけどこれはラフィが一生懸命作ってくれた今日の食事。
ケンはありがたみを感じる。
ラフィもまた同じ器を持ってケンの目の前へ座る。
「じゃあ」
「はい」
「「いただきます」」
異世界へ来ても食べ物への感謝は忘れたことは無かった。
最初はよくわからないと首を傾げていたラフィだったが、今は当たり前のようにこうして感謝をしてから食事へありつく。
せめて食事ぐらいは人間らしく。
食事と、そしてこれを一生懸命作ってくれらラフィへ感謝しつつ、木の枝で作った箸で豆をつまんで口へと運ぶ。
程よい塩加減と、表面は適度に硬く、だけど中身は柔らかく煮られた豆の食感は格別だった。
「今日はゆで時間を変えてみたんですよ。どうですか?」
「いい具合だ、美味しいよ」
「えへへ、良かったです! 足りなかったら云ってくださいね! お代わり未だありますから!」
ラフィは顔を少し赤く染めて笑い、尻尾を振る。
食事中の会話という会話はあまりない。
しかしケンは安らぎを感じながら、ラフィの温かい食事で腹を満たし、生きている実感を得る。
残酷で、醜悪な、人間扱いをされない異世界。
だけどこうしてラフィと向かい合って、食事をする瞬間は自分が人間だったということを思い出させる。
だからこそこうした時間を与えてくれるラフィの存在は、ヒーラーということ以上に、ケンの生活の一部として大切になっていた。
「寝るか」
「はい……」
蝋燭の炎を消し、藁の上でラフィと寝そべる。
小屋は闇に沈んだ。
「ケンさん」
「ん?」
「明日も……帰ってきてくださいね。わたし、待ってますから」
「ああ。代わりに明日も旨い食事頼む」
「はい、喜んで……」
ラフィが背中へすり寄ってくる。
近くに感じるラフィの仄かな熱。
誰かが傍に居て、こうして支えあえる幸福感。
だからこそケンは未だこの世界で生きていられた。
――明日も必ず帰って来よう。ラフィのためにも……
「おやすみ、ラフィ」
既に静かな寝息を上げているラフィの髪を撫でながらそう云う。
幸福の夜は静かに過ぎ、陽が上ってまた過酷な日々が始まるのだった。