攻撃の当たらない聖騎士
ケン達は中央に村の作った、大きな東屋に集まって、みんなで揃って夕食を摂るのが日課になっていた。が、今夜そこにムートンの姿は無かった。
「ケンさん、どちらへ?」
手短に夕食を終え、立ち上がったケンへラフィが声を掛ける。
「ムートンの様子を見て来る」
「わかりました。後でムーさんのお夕飯持ってきますね」
「ああ、頼む」
「ケン……」
足元では俯き加減のリオンがズボンの裾を摘まんでいた。
ケンは腰を屈めて、リオンの頭をくしゃりと撫でた。
「たぶん大丈夫だろうよ。あれしきでへばるようなムートンじゃ無いって。後でラフィと一緒にあいつの夕飯持ってきてくれ」
「あう! 持ってく!」
ケンは素早く立ち上がり、気持ち足早に歩きだした。
リオンにああは言ったものの、ケンもまた一物の不安を抱いていた。
村の一角にある、ムートンの家に着いたケンは軽く扉をノックする。
しかし中から反応が返ってこない。
――もしかして模擬戦でリオンにぶん殴られたのが利いてるのか?
『ムートンの奴、どうしたんだろうな?』
ムートンのことを気に入っているアスモデウスの心配げな声が頭の中に響く。
試しにドアノブを捻って、押してみる。
扉があっさりと、薄く開く。
他人の家へ勝手に上がり込むのは気が引けるが、それ以上にムートンのことを心配なケンはゆっくり扉を押し開く。
ムートンの家の中から魔石を火処としたランプの光が仄かに差してケンの影を長く伸ばした。
「……」
ムートンの背中が見えた。
シャツを着た彼女はベッドの上で上体を起こし、ケンに気づく素振りもなくガラス戸の向こうに浮かぶ、夜空の星々を眺めている。
「おい、ムートン」
「わあぁっ!? し、師匠!? どうしたんですか!?」
ムートンは慌てた様子で振り返ってくる。
一瞬いつものムートンが戻ってきたように思った。
しかしケンを認識したムートンはすぐさま、表情を凍りつかせた。
「そっち行っても良いか?」
「え、あ、はい」
ここ数日間と全く同じな反応。
明るく素直なムートンはどこへ行ってしまったのか。
今はまるで別人のように大人しく、どこかやつれているように見える。
「体大丈夫か? どっか痛むか?」
努めて冷静に、できるだけ柔らかく問う。
「え?」
「いや、さっきのリオンのな」
「ああ、アレですか。あれぐらいは問題ないですよ。最近少し疲れを感じて休んでいただけですから……ご心配ありがとうございます」
精一杯の笑顔のように見えた。
「そっか。まぁ、毎日稽古してるもんな」
「いつまでも”攻撃の当たらない聖騎士”じゃ困りますからね」
「でもあんま根詰め過ぎんなよ。大事な時に体が動かねぇのが一番困るからな。お前のことは結構頼りにしてんだぜ?」
「ありがとうございます。そう云っていただけて有り難いです」
そこで会話は途切れてしまった。
何か話題を、と思うケンだったが上手く思い浮かばず。
ムートンとの間に、見えない壁の様なものがあるように思えて仕方がない。
「あの、師匠、一つ伺いたいことがあるのですが宜しいですか?」
どこか思いつめたようなムートンの声に、ケンの心臓は嫌な鼓動を放つ。
「おう、なんだ。なんでも応えてやるぜ?」
しかし彼は平生を装って、いつも通りの調子で受け答えた。
「ありがとうございます。では……」
ムートンは一呼吸置き、そして、
「シャトー家ってどう思いますか?」
「シャトー家? この間迷宮で会った、魔術一家のことだよな?」
「ええ。師匠は彼らと会ってどう思われましたか?」
「どうって……」
「答えてください。お願いします」
ムートンの真摯な青い瞳がケンを捉えて離さない。
「糞、だな。奴隷兵士はアイツらが生み出したもんなんだろ? あんな人を人でないものにするロクでもない魔法を作ったのがシャトー家なら、俺は奴らを軽蔑する。心の底からな」
きちんと答えなければいけない。
そう感じたケンは包み隠さず、本音を語った。
「そうですか……そうですよね……。奴隷兵士の皆さんから見れば当然ですよね……」
ムートンは再び俯いて口を噤んだ。
家の中が静寂に沈む。
これから先は、どうしたものか?
ケンは考えるが妙案が浮かばない。
「あの、師匠」
突然声を上げたムートンはベッドの上で居住まいを正す。
「すみません、こんな世界にあなたの様な素晴らしい方を良くない形で呼び出してしまいまして」
そしてケンへ向けて深々と頭を下げたのだった。
「お、おいおい! なんでお前が謝るんだよ? 別にお前のせいじゃないだろ?」
「それは私が……いえ、私が今師匠の一番近くにいる現地人だからです。代表というのはおこがましいとは重々承知しています。でもお傍にいるに現地人としてきちんと、師匠に謝っておきたい。そう思った次第です」
ムートンの真意は分からない。
しかし、ほんの少しだがいつものムートンが戻ってきたことにケンの胸中は、ランプの火種のように明るむ。
「あっ……」
気が付くとケンはムートンの頭を撫でていた。
「ムートン、ありがとな」
「師匠……」
「気持ち、確かに受け取った。確かにこの世界は糞かもしれない。でも、ここに来たからこそ俺はお前たちに出会えた。守りたいって思える家族ができた。結果論かもしれないけど、今の俺はこの世界に来られて良かったと思ってる。嘘じゃない」
「ふふ、相変わらず師匠はお優しいですね」
「ああ、そうだ。俺はとっても優しいお前の師匠だ。だから元気出せ、なっ?」
「全く、貴方という方は……」
僅かだがムートンが笑みを浮かべたような気がした。
「さて、お茶でも淹れますね!」
久しぶりに元気そうな様子を見せたムートンは、
モソモソとベッドから起きぬけようとする。
「良いって。疲れてんだろ?」
ケンは椅子から立ち上がり、
ムートンの肩をそっと押さえる。
「いえいえ、お茶ぐらい出させてください。せっかく師匠がお見舞いに来て下さって、変な話にも付き合って下さったんですから!」
それでもムートンは再び立ち上がろうとする。
「気を使わなくても良いって。今は休めよ、な?」
「いえいえいえ! 気を遣わせてください! だって私は貴方の弟子なのですから!」
「疲れてそうだから本当に良いって」
「御心配には及びません! なんてったって私は聖騎士ですよ? 頑丈なのが取り柄ですから!」
「いや、だから!」
「いえ、大丈夫ですから!」
妙に強情なムートンは無理やり立ち上がりケンの手を押し退けた瞬間、
「うわぁ!?」
「おわっ!?」
姿勢を崩したムートンがケンへ向けて盛大に倒れて来た。
視界が暗転し、ムートンが折り重なり、背中が床へ叩きつけられる。
「いっつつ……」
「す、すみません! お怪我はありませんか!?」
慌ててムートンが体を起こし、ケンの腰の上に乗る。
シャツの裾からムートンのしなやかで艶めかしい太腿が覗き、つい視線がそこへ行ってしまう。
「お、お前! なんで下に何も履いてないんだよ!?」
「えっ……? うわぁっ!? 忘れてたぁー!」
顔を真っ赤にしたムートンの叫びが、家中にこだまする。
よく見てみれば、床にはムートンが普段着として履いているズボンが、無造作に投げ捨てられていた。
「いや、その、これは! 昔からちょっと気分が悪い時は脱いで寝る癖があると云いますか、だから!」
「良いからさっさとズボン履け!」
「はいぃ!」
「ムー! 大丈夫……あうぅー?」
揃って視線を飛ばした先、玄関口では怪訝そうにケンへ馬乗りになっているムートンを睨む、
リオンの姿があった。
次いで聞こえる、ガシャンバリバリ、といった崩壊の音。
リオンの後ろには食器を落とし、表情を凍り付かせたラフィがいた。
「……」
「「ラフィ、これは、違うんだ!!」」
ケンとムートンは仲良く揃って同じセリフを叫ぶ。
「何してた、二人とも? あのズボン、何?」
硬直するラフィの代わりにリオンが無造作に投げ捨てられたズボンを指さしながら、鋭く指摘する。
「誤解だよ、リオンちゃん! ほら、下は履いてるから!」
「バカ! よせ!」
ケンの言葉も聞かずムートンはシャツの裾をたくし上げて、キチンと履いていることを見せる。
益々鋭くなるリオンの視線。
「ま、まぁ、ムーさんの気持ちも分からなくないです。ケンさん、かっこいいですからねぇ……」
どこか諦めたようにラフィが呟く。
「ラフィ、誤解だ! 違うんだ!」
「そ、そうです、師匠の仰る通りです! これは事故、そう事故! 止めろという師匠を私が無理やり!」
「バ、バカ! 余計なこと云うな!」
「しかし、師匠、これは私の!」
「良いから黙れ! 余計泥沼になる!」
「リーちゃん、行こうか?」
「あう」
さらりとラフィとリオンは踵を返し、
「違うんだよ、ラフィー! これは!」
ムートンが悲痛な叫びを上げた。
「待てッ!」
まるで迷宮探索の時のようなケンの声に、ムートンを始め、皆が一様に真剣な表情へ切り返る。
――何かが、来る!
窓ガラスを割って固い何かが投げ込まれた。
「わわっ!?」
咄嗟にケンはムートンを抱き、転がるように家から飛び出す。
刹那、ムートンの家の中で爆発音が起こり、眩い閃光に包まれ、鋭い輝きが外へ漏れ出す。
「ケンさん、ムーさんとのお話は後でゆっくり聞かせて貰いますからね」
ラフィは闇の中で静かに狼牙拳の構えを取る。
「ああ、そうしてくれ。今はそれどころじゃなさそうだ」
起き上がったケンもまた臨戦態勢を取る。
ケン達の目の前。
そこにはまるでグリモワールの暗殺者:シャドウを想させる、黒装束の忍者のような集団が、彼らへ鋭い殺気を放っていた。
「ムートン、お前こいつらを知ってるのか?」」
ケンは脇で唖然とした顔で忍者集団を見つめるムートンへ問う。
「……」
しかしムートンは忍者集団を見つめたままだった。




