決戦の地 八位迷宮バルバトス
「ううっ……」
ズキンと頭が痛み、ラフィは目覚めた。
真っ先に見えたのが無造作に積まれた無数の金銀財宝の山だった。
金色の硬貨、高そうな調度品、そして様々な形をしたアイテム。
それらは無造作に積まれ、至る所に山を形作っている。
――ここは?
ラフィは円形のまるで闘技場を思わせる空間に視線を彷徨わせ、懸命に記憶を掘り起こし、現状の理解に努めた。
――そうだ、わたしはケンさんを助けようとグリモワールと戦っていて、それで……
その先からの記憶がすっかり抜けていた。
まるで時間が飛んだかのような錯覚を覚える。
しかし、このままこうしているのはいけない。
かつて危険に身を晒していた奴隷兵士として直感は、この状況からの脱出を訴えてくる。
が、手足が上手く動かなかった。
ラフィの手足や胴は、蛇のように見える不気味な縄で拘束され、自由を奪われていた。
やがて視界が判然とし始め、ラフィは目の前に目黒いドレスを着た少女の存在を確認する。
彼女は同じ意匠の白いドレスを着た少女を抱きしめ、肩を震わせている。
そんな黒と白の少女の奥に見える光景に、ラフィは思わず息を飲んだ。
「ああ、うあぁあ……」
「たす、けて……」
「ううっ、ううあああぁっ……」
煌びやかな財宝の山の向こう。
無機質な石壁では無数の人影が蠢いていた。
装備品から恐らく、ギルドに所属の冒険者と理解する。
彼らは皆、腸管を思わせる肉々しい管に腹や胸を貫かれ、壁と一体化させられていた。
無数の管は目の前の黒い少女の背中に接続され、彼女全身が仄かに赤い輝きに包まれている。
その紅い輝きは、彼女が抱く白いドレスの少女へ流れ込み、口元に浮かんだ血をかき消し、あり得ない方向へ曲がっている腕を、
正常な形へ戻してゆく。
「おっ? ようやく目覚めたね、姉ちゃん」
甲高い声が聞こえ、
大きなリュックサックを背負った探検家風の少年が、軽薄そうな笑みを浮かべながらラフィの目の前に現れる。
――この人は確か、グリモワールの荷物係:ウィンド!?
「こ、ここはどこですか!? ケンさんは無事なんですか!?」
すると少年の声でラフィの覚醒に気付いた黒いドレスの少女が顔を上げるた。
瞳は赤く血走り、ラフィへ見せた顔は怨念一色に染まっている。
そして脇から感じる鋭い殺気。
「ッ!?」
息つく暇もなく、黒い影が脇から躍り出て、鋭い輝きを放つ刃がラフィへ向けて振り落とされた。
「お待ちください、シャドウ」
しかし黒いドレスの少女:グリモワールの双子魔導士の姉:シャギ=アイスは、メンバーで暗殺者のシャドウへ静止を促す。
彼の刃はラフィの前髪を数本散らすで留まった。
「この娘も大事な供給源です。今は丁寧にお願いしますね」
「……了解」
「とはいえ、いずれ死んでもらう。簡単に死ねると思うなよ。うひひっ……」
シャギの怨念に満ちた淀んだ視線に、ラフィの体は強い怒りと恐怖を覚え震える。
「姉様……」
シャギの腕の中にいた白の魔導士:オウバ=アイスが目覚める。
すると、シャギの眼から怨念が消えて穏やかさを取り戻し、眉間に刻まれていた深い皺が、あっという間に消えて無くなった。
「オウバ、もう大丈夫なのですか?」
「はい、姉様。お陰様で」
シャギとオウバはまるで何事も無かったかのように互いに手を取り合って立ち上がった。
「「それでは皆さまを盛大にお迎えいたしましょう。愚かな彼らを、この八位迷宮バルバトスへ!」」
異様な森のような空間にアイス姉妹の宣言が響き、双子の魔導士に生気を吸われ続けている冒険者たちの、苦しみの呻きが響き続ける。
ラフィの直感が、この場が非常に危険だと知らせてくる。
だが、それは自分自身の身の危険ではなく、ここへ必ず来るであろうケンに対するものだった。
助けては欲しい。でも、来ないで欲しい。
――結局わたしは今でも、助けられたり、守られてばかりだ……
ラフィはかつてアスモデウス迷宮でケンに助けられ、アエーシェマンを脱出してから今日まで、ずっと守って貰ってばかりいたと思い返す。
――そしてまたわたしはこうして待つことしかできていない……
それで良いのか?
大切な彼が傷つくところを、
また手をこまねいて見ていることしかできないのか?
――嫌だ、そんなのはもう!
そんな思いが自由を封じられているラフィの胸の中で膨らんでゆく。
だからこそラフィは、今この場は大人しくしていると決める。
来るべき時を待ち、ただ静かに、淡々と。
●●●
ケンの手刀の氷の刃が森の中で煌めき群がるキラービーを一掃する。
巣を守るキラービーは既になく、巨木の陰に造られた人の大きさ程の巣塚からは散発的な攻撃があるだけ。
巣を手刀で切り崩し、中にたっぷりとつまった蜜を確認するとケンは巣ごと持ち上げ、その場を去った。
怒りを堪えつつ、採集した複数の薬草と蜜を適量で調合し小瓶へ詰めて、無造作に地面へ放り投げる。
気が付けば上位の回復薬であるハイポーションや、滋養強壮剤の山ができあがっていた。
それでもケンは調合の手を緩めず、淡々と、しかし明確な怒りを胸に抱きながら戦いの準備をしていた。
ラフィがさらわれた。
しかも相手はリオンを苦しめ続けていた、ブラッククラスパーティー:グリモワール。
だが相手がどんな連中であろうと関係なかった。
――ラフィに手を出したアイツ等を絶対許すわけには行かない。
必ず叩き潰す。
本心を云えばすぐにでも飛び出したいケンだったが、これまでの経験が、きちんと準備をせよと知らせ、今に至る。
しかしそれもこれで完了。
凡そ必要と思われるアイテムは数を揃えることができた。
ケンはハイポーション等を腰のラックへ目いっぱい納め、静かな怒りを胸に立ち上がる。
目指す先、それはグリモワールが待つ【八位迷宮バルバトス】
『なぁ、兄弟。本当に良いんだな?』
アスモデウスの問いにケンは、
――ああ、勿論だ、これは俺とラフィの問題だ。
ムートンやリオンは関係ない。
ラフィを助けたい。
その気持ちはあくまでケンの個人的な感情だった。
待ち受ける連中は、おそらく最強にして最悪。
そんな危険な連中のところへムートンやリオンは連れて行けない。
そう思った彼は、ラフィがさらわれた後、一人姿を消して森の中へと籠った。
森を抜け、荒野へ踏み込み、時折現れる、ゴブリンやオークを八つ当たりのように切り倒して、
迷宮の入り口である大洞穴へ向かってゆく。
「師匠! また私達を置いてく気だったんですね?」
何故か迷宮の入り口にはムートンが居て声を掛けて来た。
脇にはリオンと、マルゴもいる始末。
装備も万全で、今から迷宮に潜るといっても申し分ない。
「なにしてんただお前等?」
「なにって、一緒にラフィを助けるに決まってるじゃないですか! そのために準備もしてきましたし!」
突き放すように言ったケンを弾き飛ばすようにムートンが応える。
「お前等には関係ないだろ? どうしてだ?」
「関係あります! ラフィは私の大切な友達なんですよ? そんな友達の危機に駆けつけなくて、何が聖騎士でしょうか! 師匠はお優しいから、私たちを巻き込みたくなった。そんなところですよね?」
どうやらムートンはケンの考えをお見通しだったようだった。
「僕も戦う! ラフィ助ける!」
リオンが一歩前に出て、
勇ましく叫び、勇気に満ちた視線でケンを見上げる。
「お前等……」
リオンの言葉聞いて、ケンの胸内が震えた。
自分とラフィの問題なのにムートンやリオンは惜しみなく協力を買って出てきてくれている。
それだけラフィが愛されていることが嬉しく逆にそんな彼女たちの気持ちを蔑ろにした自分自身に羞恥心を覚える。
「兄貴、話はムートンから聞きましたぜ。リオンの餓鬼どもの面倒は任せてくだせぇ。代わりに……おい、ムートン! きっちり務め、果たすんだぜ!」
「言われなくとも! ねっ? リオンちゃん?」
「あうっ! 僕、ラフィ助けるッ!」
『こりゃ叶わねぇな。どうするよ、兄弟?」
アスモデウスの問いに嬉し、恥ずかしのケンは、
「……勝手にしろ」
「勝手にしますとも!」
「あうっ!」
ケンが、巨大なモンスターの口を思わせる、八位迷宮バルバトス入り口へ向けて歩き出すとムートンとリオンは迷いもせずに付き従ってくる。
ケン、ムートン、リオンは、グリモワールの待つ八位迷宮バルバトスへ踏み込んでいった。
●●●
ケンの目の前には、予想だにしていなかった迷宮が広がっていた。
踏みしめればカサりと音がする落ち葉の地面。
鬱葱と生い茂る高い木々の数々に、湿った空気。
空と云うべき灰色の天井が広がっていて、その先がどのようになっているのか分からない。
アスモデウス迷宮や、枝洞とは違う、まるで樹海のような、バルバトス迷宮の本道。
それでも道はまっすぐに伸びていて、ここが迷宮であることを否応なしに感じさせる。
その時、地面が唸りを上げた。
「キシャァァァ!」
大地が割れ、地の底から、人数人分はありそうな大きさの、白色の芋虫型モンスター【ワーム】が姿を現す。
「行くぞ、リオン!」
「あうっ!」
ケンとリオンは揃って飛んだ。
ワームは土管のような大口を開いて、奥にある鋭利な牙の数々で食い殺そうと迫る。
が、ケンの手刀、そしてリオンの短剣がワームの、口の両端を一閃。
緑の体液を振りまきながら上下の顎を分離され、絶命した。
ワームの気配はまだ消えず。
ステップを踏むように後ろへ飛び退くと、また新しいワームが姿を現し奇声を放ちながら迫る。
しかも一匹だけではなかった。
腐葉土の地面を割り、周囲の木々をなぎ倒しながら、生えるように続々とワームが姿を現す。
全方位、四方八方からの容赦ないワームの攻撃。
倒したところですぐに沸き、道を塞ぐワームの群れに道は完全に閉ざされていた。
――クソっ、どうしたら!?
「キシャァァァっ!」
立ち止まったケンへ複数のワームが同時に迫ってくる。
――やっぱ一匹ずつやるしかないか!
多少の体力消費を覚悟にケンは再び地を蹴ろうとする。
「プロテクトシルト!」
突然、ケンの前方へ蒼い盾のような輝きが湧き出てワームの侵攻を受け止める。
ケンの前には二振りの宝剣を前でクロスさせ背を向けるムートンの姿があった。
「私が引きつけます! その間にッ!」
『攻撃は当たらずとも、弾除けにはなるってか……おい、兄弟! できるだけムートンを傷つけんなよ!」
アスモデウスの声が聞こえ、
「わかってらぁ! リオン!」
「多段矢!」
リオンはケンがワームから距離を置いたのを確認し曲射を放った。
緑の魔力を宿す矢は空中で無数に分裂し矢の雨をワームへ降らせる。
ムートンの蒼い障壁に押しとどめられリオンの緑の矢に翻弄されるワーム軍団はその場にくぎ付けにされた。
その隙を付いてケンは、巨大な岩の拳を召喚した。
岩の拳の左右から巨大な氷の刃が生える。
「切り裂けッ! 魔神斬拳ッ!」
巨腕の甲へ乗ったケンが叫ぶ。
拳は火炎噴射と光属性魔法の力を受け、一気に加速した。
拳の刃はワームを過り、切り裂き、滑空を続ける。
「ムートンッ! 乗れ!」
「はい!」
ムートンも拳の甲へ飛び乗り気づけばリオンもケンの背後に居た。
「このまま一気に行く! 振り落とされんなされんなよ!」
ケンは更に魔力を流し込んで飛翔する拳を加速。
地中から次々と現れるワームをなぎ倒し、先へと進む。
現在のエリアの踏破まであと少しのところでまたしてもムートンがケンの前へ立った。
ムートンが前方へ展開した蒼い魔力の盾に、真っ赤な体表をしたワームの上位種:レッドデスワームがぶつかり牙を覗かせている。
「リオンちゃんッ!」
「爆破矢!」
緑の輝きが帯びた矢がレッドデスワームの口腔へ飛び込んだ。
瞬間、ワームの身体が、煮え湯のように無数の水泡を現し風船のように破裂する。
「抜けるぞッ!」
ケンの召喚した岩の拳はエリア回廊を強引に粉砕して先へと進む。
ケンの岩の拳は迷宮を無縁力に掘削し、ムートンの防御壁はあらゆる攻撃を防いで、その隙にリオンの矢が敵を撃滅する。
当に攻防一体の、理想的なメンツ。
だがケンは先へ進みつつ、云い知れない不安を覚えていた。
――序列迷宮だってのにこの程度か?
まるで手ごたえが感じられなかった。
確かに攻防一体の理想的なメンツなのは確かである。
しかし迷宮をここまで簡単に進めるだろうか?
加えてもう一つ奇妙なことがあった。
ワームを中心とするモンスターは現れる。
その中で戦っているのはケン達だけ。
他のパーティーは愚か、人っ子一人みあたらないのはどういうことか?
ここが数ある枝洞の一つなら未だわかるが、アントル地方の中心:八位迷宮バルバトスの本道では考えられないと思う。
――だが、考えてる間は無い!
「クッ……まだまだぁー! 聖騎士を舐めるなぁーッ!」
ずっと防御壁【プロテクトシルト】を展開し続けている、ムートンは顔を苦しそうにゆがめ、額から汗を流していた。
「消える! 退く! 雑魚ッ!」
リオンも涼しい顔をしてはいるが矢を放つペースが遅くなりつつある。
おかしな点は無数。
だが、ここで力を弱めたり、立ち止まるなどもっての外。
「ムートン、リオン! しっかり掴まれ! 一気に行くぞ!」
ケンの声へ素直に従ったムートンとリオンは、拳の岩へしっかりとしがみ付く。
「おおおおおっ! いけぇぇぇぇっ!」
ありったけの力を岩の拳へ流し込めば、周囲の風景は、ぐちゃぐちゃに混ぜた絵の具のように、
判然としなくなった。
聞こえるのは空気を引き裂く轟音と、僅かに聞こえるワームの断末摩だけ。
空気との摩擦で、次第に拳が崩れて行くが、構っていられない。
ケン達を乗せた岩の拳は、光のような速さで疾駆し、先へ先へと進んで行く。
どれだけ進んだのか、どれだけ時が流れたのかはわからない。
しかし岩の拳が摩擦で崩れ、シンと静まり返っている異様な洞穴を抜けると、目の前には二枚扉の巨大な鉄門扉が見えた。
「つ、着いたぁ……たぶんここが、バルバトス迷宮の最深部だと思います」
剣を杖にして、フラフラの様子のムートンはそのまま膝を突く。
「あうっ……」
流石のリオンも力を使い過ぎたのか、地面へぺたりと座り込んでいる。
「飲んどけ」
ケンがハイポーションと滋養強壮剤を投げ渡すと二人は飛びついた。
流石のケンも念のために、回復を行う。
「それにしても師匠って本当に凄いんですね。あっという間に迷宮の最深部ですよ? 普通じゃ考えられないですって」
回復したムートンは恐らく初めて来ただろう迷宮最深部に目を丸くしていた。
「こっから先が本番だ。気を引き締めろよ」
ケンは目前に聳える、最深層エリアへ通ずる、
巨大な鉄門扉を見上げた。
「もう大丈夫です、行きましょう!」
「僕も! ラフィ、助ける!」
「ああ!」
準備は万端。
覚悟を決めたケンは巨大な最深部エリアへ続く門扉を押す。
門扉は僅かな力で盛大に開いて行った。




