ラフィとムートンとリオンと
「で、こうすると良く出汁が出るんだ。飲んでみてくれ」
「んっ……ん~~ッ! 美味しぃ! ムーさんお料理上手なんですね」
「ありがとう。ラフィも覚えが早いね。教え甲斐があるよ」
「ムーさんの教え方が上手なんですよ」
玄関からでも仲の良さそうなラフィとムートンの声が聞こえた。
ケンはほっこりとした気持ちを感じる。
――ムートンのヤツ、あんな喋りかたもできるんだ。
いつの間にかラフィに対する言葉遣いも変わっていた。
ケンはムートンに対する堅苦しいイメージを改めようと思った。
何よりもラフィがこんなにまで楽しそうに話していることが嬉しかった。
ケンは廊下の向こうから聞こえてくるラフィとムートンの会話を心地よい歌のように暫し聞き入る。
「あっ! お帰りなさいケンさん!」
ラフィの声が聞こえて現実へ舞い戻ると、廊下の向こうで彼女が朗らかな笑みを浮かべて迎えてくれていた。
「お帰りなさい師匠。その肩に担いでいる子は?」
やや遅れてやってきたムートンが、早速肩に担ぐリオンのことを指摘する。
「あー、えっと、なんつぅか……そう! 腹が減っててぶっ倒れてたから連れて来たんだよ。なんか可哀そうになって、あはは!」
『流石に自分がぶっ飛ばして、責任感じて連れて来たなんて云えねぇよな』
頭の中へ響くアスモデウスの指摘に、ケンはドキリと心臓を鳴らす。
「それは大変です! ムーさん!」
しかしすっかりケンの云うことを信じ込んだラフィは大慌て。
「そうだな! 支度してくる! 師匠、少々お待ちを!」
ムートンは颯爽と部屋の奥へ消えて行き、ラフィもパタパタと足音を立てて付いて行った。
『あの子たち、ホントピュアだよな。あんまし騙すんじゃねぇぞ、このペテン師』
「うっせ、黙れ」
敢えて小声でアスモデウスに抗弁し、ケンはリオンを担いだまま進んだ。
そして未だぐったりしたまま、ピクリとも動かないリオンを、リビングのソファーへ寝かしつけた。
「ぐぅー、かぁー、すぅー……」
――なんだ、寝てるのか。
リオンは盛大な鼾をかきながら熟睡中。
さっきまでは尖った印象の彼女だったが、寝顔は年相応の女の子なようで穏やかだった。
そんな中、ケンはリオンの下腹部の辺りに、妙なものを見つける。
僅かに見え隠れする黒い円形の縁取りの中に刻まれた、解読不能な文字の一端。
――これは、奴隷兵士の呪印か?
かつてケンとラフィと自由を奪っていた、絶対服従の証。
これを刻まれた存在は体の自由を奪われたり、口封じができたり、終いには命を奪うことさえできる。ケンにとっては忌むべきモノ。
――じゃあこの子は奴隷兵士なのか? もしくは元なのか?
気になるのは確かだったが、リオンのへ刻まれている呪印は下腹部に位置している。
はっきり確認するためには、
ホントパンツを脱がせる必要があるが――流石にラフィとムートンが居る手前、そんなことをする訳にもいかなかった。
「ケンさん! お食事の準備整いました!」
丁度良いタイミングでラフィが食卓へ料理を並べ終えていた。
「おーい、起きろチビ助。飯だぞ」
「ずがぁー、すぴぃー……」
軽くリオンの頬を叩いてみるが全く起きる気配が無い。
仕方なしに立ち上がり、食卓へ向かおうとする。
刹那、背筋に凍り付くような感覚を得た。
「あうっ!?」
感覚に任せて、背後から元気よく飛びかかってきたリオンの腕を取り、そのまま脇の下へ腕を回して持ち上げる。
「いきなり襲ってくんじゃねよ、タコ」
「は、離せぇ~……離せぇ~……!」
ケンに羽交い絞めにされたリオンは、床から離れた足をばたつかせて、腕を振り回す。
が、力はまるで赤ん坊のように弱く、指先は服の上を滑るだけだった。
「あの、師匠、その子のことはご存じなのですが?」
流石のムートンもいきなりケンへ襲い掛かってきたリオンを見て、顔を引きつらせながら聞いてくる。
「ええっと、なんだっけか……風の狂犬、リオンだっけか?」
「リ、リオン!? もしかしてルビークラス最強の、巨大モンスター100体討伐の、あのリオンですか!?」
「へぇ、そんな云われ方もしてるんだ」
「これがあのリオン……もっとムキムキマッチョな、狂戦士を想像していました。むぅ……」
「お前、実はスゲェんだな?」
「離せぇ~……離せぇ~……!」
ケンの云うことなど聞こえていないのか、リオンは相変わらず彼の腕の中で弱々しくもがくだけ。
流石にそろそろ不憫に思えてきたケンは、小柄なリオンをひょいっと持ち上げ、椅子に座らせる。
「ッ!」
食卓の上に並ぶ色とりどりの美味しそうな料理を目にした途端、尖っていたリオンの瞳が丸みを帯びる。
口元からわずかに唾液が零れ落ち、再び腹の虫が盛大に鳴った。
「お腹空いてるんでしょ? 食べて! 遠慮なく」
「……」
ラフィが優しくそう云うが、リオンは警戒しているのか口を一文字に結んでいた。
「大丈夫だから。じゃないとわたしが食べちゃうよ?」
「あう……」
ラフィの優し気な言葉に負けたのか、リオンは気の抜けた返事を返した。
そうして腕を上げようとするが、やはり力が入らないのか、ため息交じりに腕を下ろしてしまった。
見るに見かねたラフィは、リオンの代わりにスプーンを手に取り、ボルシチのような赤い煮込みを掬う。
「食べさせてあげるから。お口開いて?」
「……」
「お腹空いてるんでしょ? 遠慮しなくて良いんだよ?」
「…ぅ…」
「ほら、あーん」
「あう……」
リオンは薄く口を開けたのでラフィはそっとスプーンを押し当てて煮込みのスープを流し込む。
「ッ!!」
途端、リオンの細い尻尾と大きな耳がピクリと跳ねた。
「もっと食べる?」
ラフィがそう聞くと、リオンはコクリコクリと激しく首肯する。
「じゃあ、あーん」
「あーん」
すっかり警戒心の薄れたリオンは、もう一口運んで、頬を緩ませた。
味を占めたのか、飲み込むとまた口を開けて、ラフィへ食べさせるようせがむ。
まるで母親が子供へ食事を与えているような光景にケンはほっこりとした気分を感じる。
「……い、良いなぁ……」
と、少し鼻息の荒いムートンの声が聞こえた。
彼女は何故か、顔を上気させて、羨ましそうな視線をラフィへ向けている。
「な、なぁ、ラフィ私にもちょっと!」
「えっ? あ、はい、どうぞ」
鼻息の荒いムートンに若干引き気味のラフィだったが、大人しく彼女へスプーンを渡した。
「ほ、ほら、リオンちゃん……はぁ、はぁ……あーん……」
「ウーウーガルゥッ!」
「ひやぁあ! 吠えたぁっ!」
ムートンは涙目になって身を引いた。
ラフィは苦笑いを浮かべながら、再びスプーンをとって、再びリオンの口へ近づける。
するとリオンはまた大人しく食べ始めたのだった。
「残念だったな」
「ううっ……なんで私は駄目なんでしょうか……? グスン」
――そりゃあんな鼻息荒く迫られちゃ誰だって気持ち悪いって。
ムートンの意外な一面を知ったケンだった。
そんな中スプーンが皿の底を突き、煮込みはすっかりリオンの胃袋へ収まっていた。
「味、どうだった?」
優しくラフィが聞くと、
「おいしかった。こんな、レーション初めて」
「れーしょん? なにそれ?」
「レーションはレーション。もっと食べたい」
「あ、うん」
ラフィとリオンはそんなやりとりをして、再び食事を再開する。
そんな中ケンはさっきのリオンの発言に引っ掛かりを覚えていた。
――レーションって確か軍用の携行食のことだよな。
やっぱりリオンは俺と同じ、どこか別の世界から連れてこられた転移転生者なのか?
ならば呪印が施されているのも合点が行く。
しかし今の時点では情報が少なく、断言はできない。
「なんだかこうしてラフィがご飯を上げていると、リオンはまるで二人の子供みたいですね」
「ム、ムーさん!? 急に何を……!?」
ムートンの発言にラフィは慌てて、ケンは緩いため息を突く。
「俺、こんな大きな子供がいるほど歳取ってねぇつぅの。もしいたら一体幾つの時の子供だってんだよな、ラフィ?」
「あ、えっと、そ、そうですね……」
「あはは……」
ムートンは乾いた笑い声を上げるだけだった。
突然、それまで大人しく座っていたリオンの姿が、二つ名の通り風のように消えた。
「元気出た! 勝負する!」
振り返るとリオンはフォークを物騒に逆手にもって、鋭い眼差しでケンを睨んでいた。
「あのなぁ、お前……」
「勝負ッ!」
ケンが重い腰を上げようとしたとき、先にラフィがリオンへ進んだ。
「リオンちゃん、食器でそんなことするの危ないから離そうね?」
ラフィはリオンの身長まで屈みこんで優しくそう云うが、
「やっ!」
リオンは構えを解かず、ラフィに肩越しに、ケンを睨み続けていた。
「どうしても?」
「どうしても!」
「ふーん……」
「ぎゃっ!」
ラフィは突然リオンの尻尾を掴む。
リオンは短い悲鳴を上げた途端、全身をプルプルと振るわせた。
「置いてくれる?」
「あう、くぅ~……!」
「んー?」
「あい……」
リオンは涙目でフォークを落とした。
「よくできました。偉いね」
「あう……」
ラフィはリオンの頭を撫でながら、ちらりとケンへ視線を向けて小さくブイサインを送る。
――ラフィもやるようになった。
彼女の成長を嬉しく思ったケンは、小さく拍手をして賞賛するのだった。
その時、空の深い藍色に交易都市メールから、夜時間の到来を告げる鐘の音が部屋の中まで響き渡った。
「ッ!?」
途端、リオンは背筋をしゃんとさせて、慌てた様子で駆け出し、玄関へ向かう。
「また来る! その時絶対勝負!」
「いつでもおいで。でも、物騒なことはダメだよ?」
「あう……!」
ラフィにそう云われて複雑な顔をしたリオンは、そのまま玄関から飛び出し、夜の街へ消えていった。
「嬉しいのか?」
ケンは大きく尻尾を振るラフィへ聞く。
「はい。なんかようやく同じ姿の子にあえてなんか嬉しいです。わたしとは少し違うみたいですけどね」
「そっか。良かったな」
「はい!」
あの様子だとリオンはまた絡んでくるに違いない。
面倒なことだが、こうしてラフィが喜んでくれるなら、それはそれで良いことなのかもしれない。
そう思うケンなのだった。




