押しかけ聖騎士と風の狂犬
「勿論、ケン殿は私が信奉する天空神ロットシルト様ではないことぐらいは分かっています。その上でもう一度お願いします。ケン殿、どうか私を弟子にしてください!」
そう云って、ソファーに座るムートンは深々と頭を下げた。
どうやらこの間、迷宮で助けたことが原因らしい。
既に部屋も同じ集合住宅に借りて準備万端。
「兄貴、マジどうしやす?」
「うーん……」
ケンは脇に立つマルゴへ生返事を返す。
ここまでされると追い返すのに気が引ける。
それにもう一つムートンの弟子入りを断りずらい理由があった。
「~♪」
隣に座っているラフィの尻尾がソファの上でかすかに振れていた。
興味津津な様子で、ずっと頭を下げ続けているムートンへ視線が注でいる。
――喜んでるのか? そういや動物って人の良さそうな人には寄りつくけど、それと同じこと?
『天空神に仕える聖騎士だからな。きっとラフィちゃんは、感覚でムートンの人柄の良さを感じたんだろうよ。まっ、実力はまだまだだけどな』
アスモデウスも頭の中でそう語りかける。
『俺は良いんじゃないかって思うぜ、弟子入り』
――なんだよ、妙に積極的だな?
『まぁな、ヒヒっ……で、どうするよ兄弟?』
ラフィもアスモデウスもムートンが気になっている様子。
ケンは心を決めた。
「ムートン、まずは顔上げてくれ」
「はい!」
ムートンはまるで就職面接を受けている学生のように元気に応え、顔を上げる。
青く透き通るような瞳は強い眼差しを放って、ケンを捉えて離さなかった。
「一つだけ聞かせてくれ。俺の隣にいるラフィは俺の大事な家族だ。それをどう思う?」
「良くぞ聞いてくれました! そう、そこも重要なのです! どうして私がケン殿へ弟子入りしようと思ったもう一つの理由! それは貴方様の奥方様にあります!」
「ふぇっ!? お、奥方って!? あ、あの……!」
ケンは隣で赤面し狼狽するラフィへ、口を塞ぐよう合図する。
またこの話をし出すと話題が別の方向へ向かうからだった。
「で、なんでラフィが理由に入るんだ?」
「天空神ロットシルト様の教えが体現されているからです!」
ムートンは勢いよく立ちあがり、
「私が仕える天空神ロットシルト様は『公平と慈愛』を司っております。出身・門地・種族……そのような人の作りし、傲慢な隔たりを廃し、共に手を取り合い、助けあって生きる……これが我が神が説く、人の正しい生き方なのです!」
まるで演説のようにムートンは続ける。
「だからこそ、異種族であるラフィ殿を奥方に迎えておられるケン殿こそ、ロットシルト様の教えの体現者! 地上へ降り立った神! 生き神様だと思い、そんなあなた様の下で身も心も磨きたい! そう強く思って弟子入りを志願いたしました!」
――まぁ、悪い奴じゃないな。
少しオーバーなところはあるが基本的には善人のようだった。
「よし、分かった。ムートン、そこまで言うなら弟子にしてやる」
「ありがたき幸せ! 光栄至極に存じます!」
そう言ってムートンは恭しく、ケンへ膝まずく。
後々色々と誤解を解かなければならないことはあるが、とりあえず今はこれで良いと納得しておく。
「~~♪♪」
隣のラフィは本当に嬉しそうだった。
「おっしムートン、じゃあ早速修行開始だ」
「はい! なんなとり!」
「ラフィと協力して、とりあえず家のことを頼む」
「ご自宅のことですね! かしこまりました、喜んで! では宜しくお願いします、奥方様!」
「あ、あはは……えっと、ラフィで良いですよ、ムートンさん?」
ムートンにがっちり握手をされたラフィはそう答える。
「なんと! 名前でお呼びしてもよろしいのですか!? ありがたき幸せ……では改めて……ラフィ殿?」
「殿もいりませんよ? 気軽にラフィでお願いしますね」
「これは、いや、あっははは! ラフィは気さくですね!」
「ムートンさんも凄く話しやすいですよ! こちらこそよろしくお願いします!」
どうやらラフィとムートンの相性は良かったようだった。
「んじゃ、ちょっとギルドへ行ってくる。留守頼んだぞ」
「「はい! いってらっしゃい!!」」
美女二人に見送られ、ケンは少し照れくささを感じながら、出かけるのだった。
空は快晴。
交易都市メールは行き交う冒険者や、行商人で賑わいを見せている。
一応の生活の安定はケンの気持ちを軽やかにしていた。
――いやもっとだ。もっとラフィを幸せにしたい。
気持ちを新たに、ケンは雑踏の中へと踏み出して行く。
すると突然、どこからともなく現れた、屈強な男たち”マルゴ一家”のゴロツキがケンを囲んだ。
まるで昔テレビで見た重要人物を取り囲むSPのようにケンが一歩進めばマルゴ一家は歩調を合わせて前進する。
「何の真似だよ、マルゴ。暑苦しいじゃねぇか」
隣にいた隻眼のゴロツキ:マルゴへそう云うと、
「まぁ、そこは、えっへっへっへっ。これぐらいしなきゃ箔が使い無いってもんですぜ、兄貴?」
「はぁ? んだそれ?」
「さぁ、どうぞお進みくだせぇ兄貴。邪魔はしやせんから」
どう云っても引きそうになかったので、ケンはマルゴ一家に取り囲まれたままギルド集会場へ向かう。
そして扉を開けた途端、真っ先にケンへ視線が集まった。
――なんだこれ?
「ささっ、兄貴どうぞ」
「お、おう」
マルゴに促されるがまま、クエスト募集掲示板へ向かう。
その中でもやはりケンへの視線が集中していた。
皆、一度彼の腕にはまっている「パープル」のバンドを見てから舐めるように彼自身を確認し、
ヒソヒソと何かを話し始める。
「実は、兄貴のこと相当噂になってるんですぜ」
「噂?」
「なにせ初クエストを完璧以上にこなして、危険種レッドデスワームをあっさり倒して、あっという間に”パープルクラス”へ昇格したじゃないっすか」
「そんなに凄いことなのか?」
「ええ、そりゃもう! 俺らだって結構な時間をかけてパープルクラスになったもんですよ」
「ふーん……」
ケンが少し聞き耳をそばだててみると、確かに「最短」などと云った言葉が聞こえてくる。
「結構良い男じゃない。誘ってみようかしら?」
「あいつが最短で? しかも”風の狂犬”と?」
「あんな細身であのレッドデスワームと”狂犬”を?」
「”狂犬”もあんな奴にやられたんじゃ名折れだな」
自然と噂話が耳にはいりこんでくる。
その中でも気になったのが”狂犬”という言葉だった。
――”狂犬”ってなんのことだ?
考えても何の事だから良く分からなかったケンは、ひとまずその事は置いておいて掲示板へ目を移す。
瞬間、鋭い殺気が肌を撫で、ほぼ反射で振りかえり、腕を掲げる。
ざわついていた集会場が一瞬で静まり返り緊張感が走る。
「なんだ、あん時のちびっ子か」
振り落された短剣を指でつまみながら、ケンは鋭い眼差しで、犬耳を付けた少女を睨む。
少女は緑の短い髪を振り乱し軽やかに飛び退いて距離を置き、再び構えた。
「いきなり喧嘩をふっかけてくるたぁどう云う要件だ?」
「お前、僕と闘うッ!」
先日、バルバトスの枝洞で、突然ケンへ襲いかかってきた、犬耳の少女は細い尻尾をピンと立てて、威嚇の視線をケンへ向けている。
「あ、兄貴、指大丈夫ですかい!?」
マルゴに指摘されて、指先に血が滲んでいるのに気づいた。
しかし指先を軽くかすった程度だったので、血を舐めとれば、出血はあっという間に収まる。
――結構力あるな、あのガキ。
「おい、マルゴあいつが誰だか知ってるか?」
「あいつは【リオン】っていう冒険者ですぜ。クラスはルビーでして、その中でも実力はとトップクラス。迷宮に潜ってははぐれモンスターを狙う【風の狂犬】って云われる奴ですぜ」
「へぇ、こいつが【狂犬】って奴か……」
風の狂犬:リオンへ視線を戻す。
改めてみても背は小さく、未だあどけなさの残る顔立ちだった。
しかしさっきの攻撃、そしてバルバトス枝洞で実際に彼女と対峙しているケンは、気を緩めず口を開く。
「おい、もしかしてお前、この間俺にデスワームを取られたこと怒ってんのか? なら悪かったよ」
ケンは声を張り上げる。
すると、風の狂犬:リオンの眉間にしわを寄せて睨みを強めるだけ。
困ったケンは後ろ髪を掻く。
「でもよデスワームの死体は置いてっただろ? あれの部位結構高く売れるみたいだから食いっぱぐれはなかっただろ?」
「ウーッ!」
リオンは唸って短剣を腰の鞘へ納め、代わりに担いでいた弓を手に取る。
どうやら答える気は無いらしい。
――参ったな、聞く耳なしか。
『あんだけ大きな耳つけてんのにな』
ケンはアスモデウスの余計な声に顔を顰め、方針を決めた。
「あ、兄貴!? どちらへ!?」
「逃げる、ずるいッ! 勝負ッ!」
ケンはマルゴとリオンをしり目にギルド集会場から飛び出した。
――んったく、どいつもこいつも騒ぎを起こそうとしやがって!
突然押しかけて来たムートンといきなり襲い掛かってきたリオンを思い出しながら、ケンは町の雑踏を駆け抜けて行く。
「逃げる、ずるい! 待つ! 勝負!」
大きな声が聞こえ、ケンを含む誰もが視線を向ける。
そこには猛然と走りながら、弓に矢を番えているるリオンの姿が。
リオンの弓は弦に引かれて綺麗な弧を描き、ヒュン、と鋭い音を立てて、矢が放たれた。
矢は、器用に人々の間を縫って飛びケンを狙う。
「おわっと!」
矢の軌道を予測していたケンは、体を傾けて矢を回避。
が、その先には昼寝をしていた野良ミケ猫の姿が。
「チッ!」
舌打ち交じりにギリギリのところで矢を素手で掴んで止めた。
矢じりの先にいたミケ猫は驚いて路地裏へ逃げ込む。
ケンは再び雑踏をかき分けて走り始めた。
「待つッ!」
相変わらずリオンは周りに人がいることなどお構いなしで走りながら矢をいり続けていた。
「いや、待たない! つか、こんなところで矢を射るの止めろ!」
「だったら勝負ッ!」
幸い、リオンの放つ矢は正確にケンだけを狙っていた。
だったら撃ち落とすのは容易。
軌道を読んでわざと引き付け、撃ち落とせば良いだけ。
だから今のところ、周囲に被害は無い。
『そろそろ追いかけっこは終わりにした方が良いんじゃねぇか?』
流石のアスモデウスも怪訝な声で語り掛けてくる。
最もな意見だった。
ここまでは全て正確に矢を撃ち落とせている。
しかし人間、ミスは付き物。
ルーティンワークはいつかどこかで綻びが生まれる。
――分かってるって! だから今チャンスを……!?
アスモデウスに頭の中で答えていたその時、空気の清涼感が一気に増す。
ケンは雑踏を抜け、町に幾つかある広場に出ていた。
幸い周囲に人の姿は無く、目前には巨木が見える。
――来た! 絶好のチャンス!
ケンは踵でブレーキをかけた。
靴底から砂煙を上げながら地面の上を滑るように止まった。
「追いかけっこお終い!」
踵を返せば、少し遅れて弓に矢を番えたリオンが、飛び出してくる。
瞬間、ケンは【絶対不可視】の力を発動させた。
「消えた!? どこ!?」
突然のケンの消失は、リオンへ動揺を齎す。
ケンはレベル99の脚力を生かして飛びリオンの後ろへ降り立った。
「いい加減にしろーッ!」
「ッ!?」
ケンの気配にリオンが気づくがもう遅い。
ケンの鋭い回し蹴りが、リオンを遠慮なく蹴り飛ばす。
小柄なリオンは綺麗な弧を描いて吹っ飛び、その先にあった巨木の幹へ打ち付けられた。
そのまま木の幹からずるずると地面へ滑り落ち、ぺたりと倒れ込む。
「あ、あれ……?」
ケンはピクリとも動かなくなったリオンを見て、間抜けな声を漏らす。
自分よりも二階級も上のルビークラスで、しかも二つ名がある程のリオンだったら、この程度のことじゃ問題ないと思っていた。
むしろ、この間バルバトス迷宮の枝道で出会った時も同じことをした筈。
そんな判断で遠慮なく全力で蹴り飛ばしたが、予想外にリオンは倒れたままピクリとも動かない。
流石に動揺したケンは慌てて彼女へ駆け寄ってゆく。
「大丈夫か!?」
リオンを抱き起し、そう叫びながら必死に彼女をさする。
するとリオンが薄目を開けた。
「うっ……」
「しっかりしろよ、おい!」
「ううっ……」
リオンはケンの腕の中で顔をしかめるだけ。
「どこか痛いか? 苦しいのか?」
「お腹……」
「腹が痛いのか? どの辺りだ?」
心配するケンの耳へ盛大な”クゥー”と云う音が響く。
リオンの腹の虫が空腹を知らせているようだった。
「お腹、空いた……」
「なんだよ、びっくりさせんじゃねぇよ」
緊張が解け、どっと疲れが押し寄せてくる。
――確かにあんな無茶苦茶な動きをしてりゃ腹が空くのも当然か。
「動けるか?」
ケンはそう聞くが、リオンはぐったりとしたまま何も答えない。
「んったく、しゃあねぇな……」
「あう……」
ケンはリオンをひょっと掴み上げ肩へ抱えて立ち上がる。
抵抗されるだろうと身構えていたがリオンは腹の虫を延々と鳴らしながら大人しくケンに担がれるのだった。