あったかい家
「わぁー! 綺麗ッ!」
ラフィは盛大に尻尾を横に振りながら、玄関を潜った。
真新しいソファーに家具。
床は抜けておらず、天井や壁には穴はおろか染み一つない。
奥の窓ガラスからは麗らかな陽の光が差し込んいて、ケンとラフィの新居を明るく彩っていた。
ケンはゴブリンの討伐、そして偶然出会ったはぐれモンスター:レッドデスワームを撃退。
加えて討伐の際得たアイテムをすべて売り払って、金貨20枚以上の大金を稼ぎだすことができていた。
金ができればやることは一つ。
早速家を探し回り、交易都市メールのほぼ中心と云う好立地にある、集合住宅の三階を間借りし、今に至る。
「ケンさん、ケンさん! 見てください! お鍋も新しいですよ!!」
早速キッチンに食いついたラフィは、綺麗な曲面の一切錆が浮かんでいない鍋を掲げて、
大はしゃぎ。
「これなんですか?」
ラフィは鍋が据えられている、黒い台座のようなものへ首を傾げる。
「そこに摘みみたいものがあるだろ? 鍋をどかしてそれを左側へ捻ってみな」
ラフィがケンの云われた通りにすると、
「火だぁ! すごい!」
ボッ!と青白い炎が均等に上がり、
ラフィは目を丸くし、尻尾を大きく横へ振る。
驚きと感動を感じているようだった。
「魔導焜炉ってやつだ。これさえあれば火つけの必要は無いぜ」
転生前のケンの世界で云うところの”ガスコンロ”に近い代物だった。
とは言いつつも火種はガスではなく、魔力の籠った鉱石由来らしい。
前の世界ではホームセンター等で安価に購入できるものだが、こっちの世界ではSRクラスのアイテムである。
価格も銀貨四枚と、かなり値を張る物だったが、ケンは迷うことなく購入を決めていた。
「それはもうラフィのもんだ。好きに使ってくれ」
「これ結構高かったんじゃないですか?」
「まぁ、それなりには。少しでもラフィが楽になればと思ってね」
「ありがとうございます! こんな良いもの頂いたんです。これからもお料理頑張りますね!」
屈託のないラフィの笑顔に胸が躍る。
そしてようやく彼女を綺麗なところへ住まわせられたことに、ケンは幸福感を覚える。
「ラフィ、ちょっと」
「はい?」
はしゃぐ彼女を手招きして隣の部屋続く扉を開けた。
「わぁーっ!」
ラフィはここに来て一番の笑顔を浮かべた。
真新しいベッドに、道具屋へ言われるまま購入した化粧品が並ぶ鏡台。
空気循環のために開けた大きな窓からは風が吹き込んで、純白のレースのカーテンを穏やかに揺らめいている。
「ここがラフィの部屋だ」
「えっ? わたしの、ですか……?」
「ああ。お前専用の、お前が一人で好きにして良い空間だ」
何故かラフィの耳がしおれて、尻尾の振りが大人しくなる。
不安か、不満を抱いたようだった。
「ごめん、家具とか良くわかんなくて……気に入らなかった?」
「いえ、違います……」
「?」
「……あの、ケンさんは今日からどこで寝るんですか?」
恐る恐るといった具合でラフィが聞いてくるので、
「ん? ああ、俺はあそこだけど」
と、ケンはリビングのソファーを指す。
部屋の間取りはケンの感覚で云うところの1LDK。
ラフィに専用の部屋を与えたので、彼がソファで眠るのは当たり前のことだった。
むしろ野宿のような生活がずっと続いていたので、今さらベッドの感触がなじめない、というのもあった。
「そうですか……」
ケンの解答を聞いてラフィは益々元気をなくす。
――なんかマズッたか?
少しラフィの気持ちを考えて、はたりと思いつく。
――そっか。自分の部屋があるってことは、
今夜から一人で寝ることになるし、不安なんだ。
アエ―シェマンにいた頃から今日まで、仕方なしに地面や床の上で、ずっと肩を並べて寝ていたのだと思いだす。
そんな状況から、いきなり一人で寝るのは心細いだろうと思ったケンは、
「分かった。暫くの間はラフィが寝るまで傍にいるから。心細いなら手握ってるよ」
「あう……それはそれでちょっと嬉しいかも……」
ラフィは顔を少し朱に染めてか細い声で何かを呟く。
「なんか言ったか?」
「あ、いえ! そ、その! こうして部屋が貰えてうれしいなって、えへへ!」
ようやくラフィの耳に張りが戻って、尻尾の振りが勢い付く。どうやら機嫌は治ったらしい。
タイミングだと思ったケンは、
「ちょっと目瞑っててくれるか?」
「えっ?」
「良いから」
「は、はい……」
ラフィは胸に手を重ねて寄せて、そっと目を閉じる。
ケンはその間にソファの下へ隠してあった包みを取り出す。
包みの中からふわりとしたロングスカートと、それに合わせた上着を取り出す。
――やっぱプロが作ったもんはセンスが違うな。
これもまた道具屋に言われるがまま購入したものだが、ケンの作った粗末なワンピ―スよりは段違いに可愛かった。
仄かに栗色をした衣装は、黄金色の髪、耳、尻尾のラフィにはよく似合うと思う。
「ラフィ、手出して」
差し出された服を手の上へ置き、目を開けるよう促す。
そしてラフィ嬉しそうに目を見開いた。
「これって……?」
「俺からのプレゼントだ。ずっと、汚くてダサい格好させててごめんな」
「凄く可愛い……」
ラフィは嬉しそうに目を細め、手にした真新しい服を広げて眺める。
喜んでくれたらしい。
「ケンさん……ありがとうございます。大事に着ますね」
ラフィは今日一番の笑顔を浮かべて、渡した服をギュッと抱きしめる。
喜びがひしひしと伝わって、ケンの心の中にも幸福感が溢れた。
「早速着て見て貰えないか?」
「はい! ちょっと待っててください」
ぴょんと跳ねるようにラフィは自分の部屋で飛び込む。そして暫くして、
「似合いますか……?」
「……」
「ケンさん?」
「あ、いや、予想以上に似合ってて……」
心臓の高鳴りをケンは必死に抑え、呼吸を落ち着ける。
そうして気持ちを落ち着けると、ラフィが薄汚れたワンピースと、
くたびれた外套を肩から羽織っていることに気が付く。
それらは全て、以前奴隷兵士から自由と手にした際、ケンがラフィのためにとりあえず作ったワンピースと外套だった。
「なんでそれ持ってんだ?」
「お洗濯しようと思いまして」
「良いって。それはもう捨てちまってくれ」
するとラフィは静かに首を横へ振った。
「すみません、幾らケンさんのお願いでも、服を捨てることなんてできません」
「えっ?」
「だってこれ初めてケンさんがわたしにくれた大事なものです。どんなに汚れたって、ボロボロになったって、このお洋服は何物にも代えられない、大事な大事な宝物です」
ラフィの優しい笑顔に、ケンの胸は高鳴る。
そして感謝するのと同時に、迂闊なことを言ってしまたっと猛省する。
そんなケンの胸元へラフィは飛び込んできた。
「ケンさん、色々とありがとうございます。迷宮で死にそうになっていたわたしを助けてくれたから今日まで本当に感謝しています」
ずっと貧しい生活をしていたから香水なんて買う金は無い。
それなのにラフィからは花のようないい香りがして、ケンの鼻をくすぐり、気持ちを和らげる。
背中合わせで寝るのとは違う、真正面から感じるラフィの温かさと柔らかに、ケンの胸の内は更にこみ上げ、幸福感があふれ出さんばかりに膨らんだ。
「バカ、俺だってそうだ。ラフィが傍に居てくれたから俺は生き延びることができたんだ。ありがとう」
だからこそこれまでの感謝を伝えた。
カッコつけず、ありのままを、正直に。
「わたしはただケンさんのお傍に居たかっただけです。感謝するのはわたしの方です!」
ラフィの満面の笑みに、気持ちをケンは堪えきれず、彼女をそっと、しかし強く抱き寄せる。
「でも、これだけじゃない。これからもっとラフィを幸せにする。必ずな!」
「ありがとうございます……わたし今、すっごく幸せです!」
愛しい家族の髪を撫でながらケンは強く宣言し、ラフィは彼の腕の中で応えてくれている。
――もっとラフィを幸せにしたい。
そのためにはこのクソのような世界を見返す。
ケンは決意を更に改めるのだった。
「みっつけましたーっ!」
っと、聞き覚えのある声と共に、玄関戸が蹴破られるように思いっきり開け放たれた。
扉に先にいたのはすらりとした体形の髪の長い女。
重厚な鎧の代わりにTシャツのような青い上着に、タイトなジーンズ風のパンツを履いている。
声と印象から先日バルバトス枝洞で出会った、【聖騎士のムートン】と一発で分かった。
「す、すみません! 良いところ、お邪魔しましたぁ―っ!」
玄関口で佇んでいたムートンは何故か顔を真っ赤に染めると、叫んで出て行ってしまった。
「い、今の人は?」
ラフィはきょとんと首をひねり、
「さぁ? 部屋間違えたんじゃねぇか?」
面倒そうだったのでケンは適当にお茶を濁す。
「むぐ! んんっ!!」
「兄貴ッ! 外で妙な馬鹿を捕まえ……あ、こりゃお邪魔したようで……」
今度はムートンの口を押さえながらひっ捕らえたマルゴが姿を見せ、気不味そうな笑顔を浮かべる。
「ふえっ! あ、あの、これは!!」
何故かラフィは顔を真っ赤に染めて、狼狽しつつケンから離れる。
「あぐっ!」
「痛てぇ!」
そんな中、ムートンがマルゴに指を噛んだ。
「は、離せ、貴様! 私はロットシルト様、基ケン=スガワラ殿に要件があるのだ!」
「うっせ黙れアホ! 勝手に兄貴の家に飛び込んだ奴が何言ってやがんだ!」
「アホとは何か!? 私はロットシルト聖騎士! いや、ケン殿の聖騎士だぞ!」
「んなこと知るか、不法侵入者! 憲兵団に突き出すぞ、オラぁ!」
「マルゴ、あんまし騒がないでくれ。引っ越し初日にご近所さんから睨まれたくねぇぜ?」
ケンがそう言うとマルゴは口を塞ぎ、
「ムートンもだ。いきなり部屋に飛び込まれちゃ、俺だって心穏やかじゃねぇぜ?」
「面目次第もございませんでした……」
ムートンもまた謝罪を口にし閉口する。
「とりあえずお茶用意しますね。ムートンさんもマルゴさんもどうぞ」
奥で既にお茶の用意を始めていたラフィは、爽やかな笑顔でムートンとマルゴを迎えるのだった。