役立たずの新米聖騎士
この世界では古くから「公平・慈愛」を司る、天空神【ロットシルト】という存在が信じられていた。
公平と慈愛を重んじるロットシルトの信徒の中でも、その教えを体現し、人々を守る存在を【聖騎士】という。
そんな聖騎士へ眉目秀麗、身目麗しい少女【ムートン】は、就任できたことに誇りと強い使命感を抱いていた。
――聖騎士たるもの、常の神のそして人々の下僕とあれ。
その教えに従いムートンは報酬金額の少なさで、誰もが目に留めなかった「ゴブリン討伐」の依頼を一人で受けた。
彼女は未だギルドでは初心者のホワイトクラス。
加えて聖騎士になったばかりの新米。
しかし「聖騎士」の前では、最弱のモンスターと云われるゴブリンなど、簡単に撃退できるはず。
そう踏んだムートンは、真新しい聖騎士の装備と、実家から密かに持ち出した二振りの宝剣「エール」と「ダルジャン」を手に、意気揚々と、初仕事のゴブリン討伐へ向かって行く。
【聖騎士】
その肩書はゴブリンの襲来で意気消沈する辺境の村人へ勇気を与え、ムートン自身もその期待に応えようとした。
「あ、あれ……? うわっ!?」
だがまだ若く、戦闘経験が殆どないムートンに、「聖騎士」の力は過ぎたるものだった。
――どうしてだ!? 何故攻撃が当たらない!!
二振りの宝剣「エール」と「ダルジャン」は鮮やかに空を切るばかりで、一匹もゴブリンを仕留めることができず。
幸い、聖騎士として認められた時に授かった、高い防御力を誇る鎧が彼女自身を守ったがそれだけ。
ただ成すがまま、成されるがままの木偶人形。
――もうアレしかない!
ムートンは決断し、二振りの宝剣を重ね合わせ、魔力を燃やした。
剣へ魔力を充填し、一気に放つ彼女唯一にして最強の技。
信奉する神の名を持つその技こそ、
「受けよ、我が怒り! 天空神の名を持つその技こそ、私の全て! ロットシルトォォォッ!」
盾の形をした蒼い魔力の輝きは、地を焦がし、砂塵を巻き上げながらまっすぐと突き進む。
輝きはゴブリン集団を大きく逸れ、そして近くの大岩を砕くに終わった。
「どうして、なんで当たらない……!?」
最強の技はムートンから体力を奪い、鎧の重さに耐えられなくなった体は膝を着く。
疲弊した身体は指一本さえ動かせなかった。
「グエ、グエ、グエ」
そんなムートンへゴブリン共が、醜悪な声を上げながら迫り、取り囲む。
「さ、触るなぁ……!」
身体に一切の力が入らないムートンは、赤子のような力で抵抗を試みるがゴブリンの体を撫でるだけ。
彼女はゴブリンに担がれ、あっという間に奴らの巣窟である「バルバトスの枝洞」へ連れ込まれる。
――どうしてこうなった……
自分が未熟たっだからか?
自分は聖騎士に相応しくなかったのか?
信奉する神の教えを体現しようと、ムートンは宝剣を持ち出し、強い決意と高い志の下実家を出奔した。
だが結果はコレ。
あっさりとゴブリンに敗退し、巣へ連れ込まれて、後は慰みものになるのを待つのみ。
――こんなところで私は……!
想えば想うほど悔しさが募り、自分へ信頼の視線を寄せてくれた村人の顔が思い出された。
――未だ諦めるわけには行かない! 挫けてはいけない! だって私は……
「私は、ロットシルト様の……聖騎士なのだぁぁぁぁ!」
ムートンは全身の力を振り絞って、ゴブリンを振りほどいた。
少々回復した体力と、聖騎士の鎧が持つ膂力強化のスキルは、彼女を拘束していたゴブリンを岩壁へ叩きつけた。
そして彼女は走り出す。
目が暗闇に慣れたとはいえ、迷宮は闇に包まれ、なかなか思うように前へと進めず。
それでもムートンは二振りの宝剣を強く抱きしめながら、迷宮の中を進んでゆく。
――諦めない! 挫けない!
だって私は未だロットシルト様の教えを何も体現していないのだから!
その想いを支えにムートンは出口を目指して走り続ける。
噴き出す汗が肌着を濡らし、煤けた鎧の隙間から滝のように流れ出る。
汗は体を冷やし、体力を削る。
それでも彼女は懸命に走り続けた。
「グエ、グエ、グエッ!」
「くっ!」
左右の側道からゴブリンが現れた。
トマホークを振り落とされ、肩の鎧が砕けた。
肩へ焼き鏝を当てられたかのような、熱い痛みが走った。
泣き叫びたかった。
しかし彼女は堪えて走った。
今度は背中を切り付けられ、鎧が割れた。
背中に深い傷が刻まれ、血が噴き出た。
それでも彼女は走った。
例え鎧を失おうと、柔肌に傷をつけられようと、ただ一心に前へ向けて駆け抜ける。
――もうどれだけ走ったんだろう、私……
今は朝なのか、昼なのか、時間の感覚がまるでない。
迷宮に引きずり込まれてから今日まで、ムートンはゴブリンの執拗な追跡をなんとか掻い潜りながら、
一人暗黒に沈む迷宮の中をさ迷い歩く。
既に空腹感も、喉の渇きも感じない。
代わりに意識が茫然とし、足元がおぼつかない。
しかしムートンはそれでも前へ進み続ける。
――未だ私は何も成していない。
私は聖騎士……ロットシルト様の教えを体現する存在。
こんなところで死ぬわけには行かない。
胸に刻んだ強い想いを唯一の支えに、辛うじて正気を保つ。
「きゃっ!?」
突然、足がよろつき、前のめりに倒れた。
地面にぶつけた額から血が滲み、視界が赤黒く染まった。
意識が若干茫然とする。
頼りの二振りの宝剣が目前に放り出され転がっていた。
――未だだ、まだ私は……!
ムートンは立ち上がろうとした。
「グエェ!」
「――ッ!?」
冷やりとした感触を足に感じ、身体が硬直して、心臓が一気に張り詰める。
二匹のゴブリンが彼女の足を爪を立てて掴んでいた。
奴らは欲望に満ちた唾液を口からこぼし、タイツに包まれた彼女の足を生温かく、匂いの酷い唾液で濡らす。
「こ、こんなところでぇ……!」
ムートンは目の前に転がる二振りの宝剣へ手を伸ばす。
が、指先が柄に触れた途端、身体が引きずられた。
「ひっ!」
「グエッ!」
ゴブリンは愉快そうな声を上げて、無様に倒れるムートンを引きずる。
「い、いや……!」
「グエェェェ……」
瞬間、信じる神の教えを唯一の支えとしていた彼女の心が、ガラスのように割れた。
「いやだぁ! こんなところで死にたくないよ! ロットシルト様ぁ! お父さん! 助けてぇーー!」
心がグチャグチャに乱れ、涙と慟哭が止まらない。
しかし、すっかり消耗しきった体はには一切力が入らず、ただゴブリンに引きずられるだけ。
「やだやだやだぁ! こんな、そんな! やだ、やだぁぁぁぁぁ!」
「グヘェ……!」
子供のように泣き叫ぶムートンを見て、彼女を引きずるゴブリンは醜悪な笑みを浮かべた。
もはや叫ぶ力さえなくなったムートンは、心の中で、唯一の神へ願う。
――ロットシルト様、救いを……お願いします……どうか私に救いの手を……!
【天空神は信じる者の前へ現れ、魔を討ち滅ぼさん】
天空神の教えの一節が頭を過った。
刹那、彼女の頭上が一瞬で明るく照らし出された。
頭上を過ったのは荘厳な輝きを放つ、稲妻のような閃光。
「グエ、ギヤァァァァ!」
閃光はムートンの足を掴んで、引きずっていたゴブリンを飲み込み、
一瞬で灰へと変えた。
足に食い込んでいたゴブリンの爪の感触が無くなる。
「生きてるか!? 生きてるなら返事をしろ!」
凛々しい男の声が聞こえ、ムートンは顔を上げる。
血でぼやける視界の中、腕に金色の輝きを宿す、男の姿が見えた。
闇の中に浮かぶ、鋭い目つきの黒髪の逞しい男性。
彼の姿を見てムートンの胸は大きく高鳴る。
【天空神は信じる者の前へ現れ、魔を討ち滅ぼさん】
ロットシルトの教えの中にある一説が現実になったのだと思い、ムートンは涙するのだった。
●●●
スキル:【フラッシュライト】――眩い閃光を放って、周囲を一瞬明るく照らし出す。
バルバトスの枝洞に逃げ込んだゴブリンをサーチした結果、ケンが新たに分類したスキルの一つだった。
迷宮の中でそれを放てば、壁や地面に潜むゴブリンをすぐさま発見できて、奴らに群がれることは無い。
そんなフラッシュライトを駆使しつつ進む中、ケンの頭に新たなアイディアが浮かんだ。
――照らし出して、攻撃するのは面倒だ。だったら!
【光属性魔法】に【フラッシュライト】を加え、そしてゴブリンへ放つ。
「グギャっ!」
「おお、やっぱり」
目晦ましからの、光属性魔法での滅却。
加えてフラッシュライトの閃光は、光属性魔法の威力を底上げしていた
『相変わらず面白いこと考えるな。んじゃ、これは【破壊閃光】だ! とっときな!』
アスモデウスのハイテンションな声が響いて、分類済みスキル一覧に新たな項目が追加される。
【分類済みスキル一覧】
★魔法系
光属性魔法lv1
■技能系
切れ味増強
裁縫術
装備修復
▲特殊攻撃系
火炎放射
岩石召喚
毒針(麻痺)
フラッシュライト
●スキルウェポン
【魔神飛翔拳】
【飛翔針砲】
【破壊閃光】NEW!
――なんだよ、この”スキルウェポン”って項目は?
『いつまでも”未分類”じゃダセぇだろ? 気に入らなかったか?』
――いや……
「【スキルウェポン】……いい名前じゃねぇか。気に入った!」
ケンは”スキルウェポン”の項目から、出来立てホヤホヤの【破壊閃光】でゴブリンを滅却しながら、迷宮の奥へと進んでゆく。
「――?」
やがて、迷宮の奥からかすかに泣き叫ぶ女の声が聞こえ、ケンは走った。
「やだやだやだぁ! こんな、そんな! やだ、やだぁぁぁぁぁ!」
迷宮の奥から聞こえた女の悲痛な叫びを聞いて、同僚だった奴隷兵士の末路を思い出す。
――もう二度とあんな結末は迎えさせない! 必ず!
洞窟の奥で、ボロボロの鎧を着た女を引きずるゴブリンを確認し、腕から【破壊閃光】を放った。
「グエ、ギヤァァァァ!」
フラッシュライトの効果で目が眩み立ち尽くしたゴブリンは、光線のような光属性魔法に呑み込まれて一瞬で灰に代わる。
「生きてるか!? 生きてるなら返事をしろ!」
ゴブリンから解放された綺麗な顔立ちの女騎士は、弱々しく顔を上げる。
「大丈夫だ。もう安心しろ」
ケンは彼女を抱き起こした迷宮の壁へ立てかけた。
腰のラックからポーションを取り出し、少し無理やり、彼女の口へ注ぎ込む。
「うっ、ふぅ――……」
「落ち着いたか?」
ポーションの効果が表れ始め、ボロボロの女騎士は呼吸を落ち着ける。
「あ、あの! もしや、貴方様はロットシルト様では、ありませんか!?」
「ああ!?」
元気を取り戻した女騎士は突然、ケンの手をがっちり掴んで、グイっと顔を寄せてきた。
「な、なんだよ、そのロットシルトって!」
「なんと逞しい! これがロットシルト様の腕! ああ!」
しかし女騎士はケンの反応を無視して、すっかり自分の世界へ入り込んでいる様子だった。
「ありがとうございます……ありがとうございます……!」
終いには御礼を何回を口ずさみながら、涙を流し出す始末。
加えて、ゴブリンに散々いたぶられたのか、胸を覆う鎧は砕けて大きな胸の谷間が遠慮なく見えていた。
ボロボロのスカートの間からは艶めかしい太ももがちらりと覗き、目のやりどころに困ってしまう。
「ちょっと落ち着け!」
「あひゃ!?」
ケンは腕を掴んで涙する女騎士を少し無理やりひきはがした。
腰のラックから念のために迷宮で採集した鉱石を必要分取り出し、昨晩念のために、必死にスキルライブラリから探して分類した、【装備修復】のスキルを発動させる。
ケンの手から朱色の輝きがほとばしって、手中の鉱石を、粒子へ分解。
それは女騎士の鎧へ降り注いだ。
砕けた肩アーマーが時間を遡るように成形し、胸のプレートの傷口は塞がれ胸の谷間を覆い隠す。
ボロボロだったスカートは真新しい張りを取り戻し、太ももは隠れた。
「こ、これは……?」
目の前で装備が修復される様を見て、女聖騎士は目を白黒させていた。
やがて装備の修復が完全に終了すると、突然彼女はケンへ向かって膝をつく。
「傷を癒して頂いたばかりか、装備までも……ありがとうございます!」
「お、おう……」
「自己紹介が遅れました、私は【ムートン】 ロットシルト様、貴方様の下僕として先日聖騎士に任じられた者でございます!」
「そ、そうか。それはお疲れ?」
「労いありがとうございます! ではロットシルト様、なんなりと私へ御命じください!」
「そいじゃ直ぐに逃げろ」
「へっ?」
女聖騎士ムートンは素っ頓狂な声を上げた。
そんな彼女へ背を向けて、ケンは歩き出す。
「お前は逃げろ。ここまでのモンスターは殆ど消したし、ここをまっすぐ戻れば出口だ」
「いや、そんな訳には……って、あ! ちょっと、ロットシルト様ぁ!?」
ケンは彼女を捨て置いて、地を蹴って迷宮の奥へと進んでいった。
『良い女だったじゃねぇか。勿体ねぇ』
凄く残念そうなアスモデウスの声が響く。
――馬鹿言え。あいつはたぶん、真っ先にゴブリン討伐を請け負って、音信不通になった奴だ。お荷物抱えてゴブリン討伐するほど、俺に余裕はねぇよ。
『惜しいなぁ……あの女聖騎士、随分兄弟のこと慕ってたぜ? 持ちかえりゃ、宜しくできたのによぉ』
――宜しくって、お前な……俺はラフィだけいれば十分だ。
『相変わらず、兄弟はブレねぇなぁ、全く……』
――うっせ黙れ、この色欲魔。
『へへっ、それが俺様、だ!】
アスモデウスの声は無視して、ケンは目前のゴブリンへ【破壊閃光】を放ちながら、迷宮をどんどん進んで行く。