ゴブリン討伐戦
――糞っ! どうしたら!
アントル地方の辺境で村長を務める男は、自分に渦巻く絶望感に怒りを覚えた。
しかし怒ったところで、村の空気は暗く沈みこんでいる。
村人の多くは、度重なるゴブリンの襲撃で疲弊しきっていた。
もう何人もの男の村人がゴブリンに殺された。
女子供は連れ去られ、戻ってはこない。
奴らの襲撃から村を守る藁の防壁は、ところどろこ解れが見られ、村の空気と同様、いつ崩壊してもおかしくは無かった。
幸い今日は未だ「八位迷宮バルバトス」の「枝洞」に巣を作った、ゴブリン共からの攻撃は無い。
が、あと一回奴らの攻撃を受ければ村の壊滅は避けられない。
もはや一矢報いるのがやっとで、勝利などを想像もできない状況だった。
――そういえば、あの聖騎士はどうなったんだろうか?
そんな中でも彼はこの村の危機を聞きつけ、勇敢に死地へ赴いてくれた可憐な「聖騎士」の背中へ、想いを馳せる。
数日前、辺境の村のゴブリン退治へ、「聖騎士」がやってきてくれた時、皆が希望を抱いた。
彼女もまた天空神「ロットシルト」に認められた「聖騎士」として、その誇りにかけて戦ってくれた。
しかし頼りだった「聖騎士」はあっさりとゴブリンの群れに蹂躙され、巣穴へ連れ込まれてしまった。
巣穴へ連れて行かれた、特に女性がどうなるかは、想像しただけでも悍ましく、ゴブリンへの憎しみを募らせる。
ゴブリンを倒したい気持ちはあるが、状況は最悪なのは変わらない。
このまま大人しく壊滅の運命を受け入れるか、起死回生の策をひねり出して自分たちだけで勝つか。
どちらにせよ、もう残り時間は少ない。
「敵襲―! ゴブリン共が来るぞぉー!」
斥候の村人が叫び、藁の防壁で構える村人へ、一斉に緊張が走る。
「グエッ! グエッ! グエッ!」
防壁の向こうから醜悪な声の塊が聞こえた。
――もはや考えている場合じゃない!
「全員戦闘開始! これが最後の戦いだ! 片っ端からゴブリンを駆逐するんだ!」
村長の一声で、藁の防壁に身を隠していた村人は、次々を身を乗り出して弓を射り、スリングで投石を開始する。
先制攻撃は確かに何匹かのゴブリンを倒した。
しかし数は圧倒的にゴブリンの方が上。
村人の勇敢な攻撃は焼け石に水であった。
「グエッ!」
「がっ!?」
前列のゴブリンがトマホークを投げ、何人かの村人を血祭りに挙げる。
それでも村長を中心とした村人は、自分たちの村を守るため、必死に抵抗を続ける。
だが敵の侵攻の勢いは衰えず。
「お、おい、あれって……!?」
村長の隣にいた村人が声音を震わす。
彼の震える指先を見て、村長もまた絶句した。
「ゴルアァァァァ!」
襲来するゴブリン集団の向こう側から、空気を震撼させる咆哮が響き、地鳴りが藁の防壁を揺り動かす。
顔つきは確かに醜悪なゴブリン。
しかし奴は筋骨隆々で、ひと際背丈が大きく、放たれる気迫は他のゴブリンの比では無し。
オーガと見紛う、”巨躯のゴブリン”はあっという間に藁の防壁へ接近し、岩のような肩の筋肉を突き出した。
藁の防壁が一瞬で突き崩され、隠れ潜んでいた村人が紙切れのように宙を舞う。
「グエッ!」
崩された数匹のゴブリンが藁の防壁を飛び越えて来た。
勇敢に戦い続けていた村人は、ゴブリンの手斧に、脳天を割られ倒れ込む。
そこからは早かった。
「グエッ! グエッ! グエッ!」
藁の防壁は切り崩され、おびただしい数のゴブリンが村へなだれ込んできた。
村人は武器を農具や、粗末な刀剣類に切り替え、応戦を試みる。
確かにゴブリンは個では最弱。
しかし群では最強。
群がるゴブリンは、男には容赦なく武器を振り落として嬲り殺し、女子供は急所を外して動きを封じ、醜悪な声を上げながら群がり蹂躙する。
――クソッ! どうしてこんな!
村長は自身も満身創痍になりながらも、懸命に斧を振り回し、ゴブリンを叩き潰す。
だが、幾ら倒せどゴブリンが村をどんどん侵食する。
ついこの間までは平穏だった小さな村は、ゴブリンの侵攻によって阿鼻叫喚に包まれていた。
「ゴルアァァァ!」
おまけに化け物じみた巨躯のゴブリンもいる始末。
殆どの村の男は、そのオーガのようなゴブリンに殴られ、血反吐を吐き、ピクリとも動かなくなる。
「グエッ!」
「ぐわっ!」
村の終末を憂いていた村長の背中を、一匹のゴブリンが切り付ける。
受けた傷と、戦いで疲弊しきった彼は、吸い込まれるように土の上へ倒れ込んだ。
醜悪な気配と声が背中へ響く。
怒りはある。
が、立ち上がる力はもう彼に残されてはいなかった。
――ここで終わりなのか……
諦めの感情が沸き起こり、村長として村を守れなかった悔しさが彼の胸の内を席巻する。
「グエッ!?」
突然、短いゴブリンの悲鳴が聞こえたかと思うと、砂塵が巻き起こり、彼は紙切れのように吹き飛ばされた。
「な、なんだ、これは……?」
モクモクと上がる砂煙の向こうに、まるで巨大な腕のような影が見え隠れしている。
「マルゴ、今だ! 行けッ!」
砂けむの向こうから若い男の声が聞こえたかと思うと、
「行くぞ、野郎ども! ゴブリン狩りの始まりだぁッ!」
砂けむの向こうから、パープルのバンドを腕にはめた、屈強な男たちが飛び出してくる。
男たちは武器を振りかざし、次々とゴブリンを駆逐してゆく。
「大丈夫ですか! しっかりしてください!」
甲高い少女の声が聞こえ、霞む視界の中、彼は首を上げる。
獣の耳と尻尾を持つ”「不浄の一族」の少女”が彼を抱き起こした。
彼女の後ろでは襤褸の黒い外套を羽織って、鋭い目つきをした”黒髪の青年”が佇んでいる。
「ラフィ、どうだ?」
「まだ、命の炎あります。大丈夫です!」
「そうか……後のことは頼んだぞ」
「はい! ケンさんも気を付けてくださいね!」
「勿論だ!」
少女とそう会話を交わした青年は、飛び上がり風のように姿を消す。
「今、治します。諦めないでください!」
不浄の一族の少女から温かい何かが流れ込んでくる。
――これはいったいなんだ?
だが分かったことが一つ。
黒髪の青年と、今自分へ治癒を施してくれている彼女は、この村を助けに来てくれた。
「あり、がとう……」
村長は思いのままそう呟き、薄く涙を流すのだった。
●●●
ケンはゴブリン討伐を募集したアントル地方の辺境の村へ降り立つ。
燃える家屋。そして容赦なしにモンスターの蹂躙される村人達。
ケンはここへは報酬を得るためにやってきた。
しかし凄惨な村の状況を見て、別の感情が沸き起こる。
「た、助けてぇ!」
目の前でゴブリンのトマホークで足の筋を切られ、引きずられている少女の声が聞こえた。
ケンは怒り任せに地を蹴り、ゴブリンとの距離を一気に詰める。
「おらっ!」
「グエッ!!」
ケンの鋭い回し蹴りがさく裂し、少女を取り囲んでいた、ゴブリンの群れはあっさりと吹っ飛び、
玉のように転がる。
潰れたゴブリンがもう起き上がることは無い。
「マルゴ、こっちだ!」
「へい! おい、お前等!」
マルゴは手下のゴロツキへ指示して、少女を安全なところへ運んで行く。
しかしこの状況は惨状の一端。
村に侵攻してきたゴブリンは同じような状況を無数に生み出している。
「行くぞ、マルゴッ!」
「へいッ! おら、お前らも兄貴に続けぇッ!」
ケンを先頭に、マルゴ一家はどんどん村の奥へと進んでゆく。
「グエ! グエッ!」
村の蹂躙に夢中だったゴブリンは、ようやくケン達に気付き、意識を向けてくる。
ケンの眼前へトマホークを構えたゴブリンの群れが迫って来る。
「兄貴、一人じゃ!」
「へっ! まぁ、見てな!」
一人突出したケンは「星廻りの指輪」から力を発動させた。
「グエッ!?」
ケンの姿が消え、接近していたゴブリンに動揺が走る。
そんなゴブリンを既に飛び上がり、スキル発動の準備を終えたケンは目下に収めていた。
「これでも喰らえ! 飛翔針砲!」
概念の中にあるトリガーを引けば、空中にいるケンの周囲に無数の魔力の針が生成された。
先端に光属性の爆破力を持つ針は、底部から火炎放射を放って一斉に発射された。
「グエ! ギャッ!」
接触、爆発、昇華。
次々とゴブリンは爆発した輝きの中で塵となり、灰へ変わって風に揺蕩う。
しかし中には間を縫って、針を避けるゴブリンも居た。
「一匹も逃がすな! 追えッ!」
ケンの意思を受け、針のミサイルは急反転、上昇、急加速。
逃げ惑うゴブリンをいつまでも追い続け、最終的には光属性の爆発に飲み込まれ姿を消す。
「俺らもやるぞぉ!」
「「「「「へいッ!!」」」」
負けじとマルゴ一家は、ボスのマルゴの号令で様々な得物を振るい、ゴブリンを潰してゆく。
つい先ほどまで、この村には絶望しかなかった。
人知れず滅びの運命を辿ろうとしていた。
だが今は逆。
蹂躙者として村人を追い回していたゴブリンは、今度は獲物にされ、その数を減らしてゆく。
そんな中、ケンは煮えたぎるような怒りの感覚を感じ、その場から飛び退く。
靴底に感じる小刻みな震えと、彼へ落ちる黒く巨大な影。
「ゴルァァァッ!」
オーガと見間違えるほど背丈が大きく、筋骨隆々な”巨躯のゴブリン”が大斧を振り落とす。
斧は大地を抉り、砂塵を巻き上げた。
しかしそこには既に、ケンの姿は無し。
「ゴアッ……!?」
砂塵の中に、既に気配は無し。
姿は煙のように消失していて、巨躯のゴブリンは周囲を見渡す。
「ゴアッ!?」
ゴブリンは脛に強い衝撃を感じ、一瞬で膝を着いた。
立ち上がろうにも、その一撃で脛の筋肉が断裂し、身体が起きない。
「ゴアッ! ガッ! グルアッ!!」
膝を着く、巨躯のゴブリンは、見えない衝撃に肩を、わき腹を、首を、頭を、打ち据えられた。
視界が己の血で霞み、歪む。
必死に大斧を振り回すが手ごたえは全く感じられない。
「ガッ!」
利き手が打ち据えられ、関節が逆方向に曲がり、大斧が吹っ飛んで、地面へ突き刺さる。
そして巨躯のゴブリンはぼやける視界の中見た。
自らの前に突然現れた、黒い髪の人間の姿を。
「ゴ、ゴルアァァァァッ!」
肌で死の危険を感じ取った巨躯のゴブリンは仲間を呼ぶ。
ぞろぞろとゴブリンが寄り集まってくる。
しかしそれはケンの狙い通りだった。
「へっ、一網打尽! こいつで止めだぁッ!」
ケンは大地へ力を流し込む。
砂が、石が、砂塵を巻き上げて寄り集まり、巨大な拳を形作る。
「なぎ倒せ!」
『魔神飛翔拳! ってか!』
ケンと三十二番目の魔神アスモデウスの意思が重なり、巨大な岩の拳は火炎と光属性魔法を放ちながら飛ぶ。
岩の拳は大地を抉りながら疾駆し、その先にいた巨躯のゴブリンを、
集まってきた他の個体をなぎ倒し、すり潰す。
逃げ惑うゴブリンはおしなべて、巨大な岩の拳に粉砕された。
「グ、グエェェェェ! グエェェェェ! ……」
一匹のゴブリンが大声で叫びをあげた。
すると、それまで村を蹂躙していたゴブリンは次々と踵を返して、走り去ってゆく。
『どうやら、恐れを成して逃げ出したみたいだな。こっから先はどうするんだい? まっ、依頼自体はこれで完了だけどな?』
アスモデウスの声が聞こえ、ケンは舌なめずりをした。
「マルゴ、ここは任せたぞ」
「兄貴どちらへ?」
「この村が二度と襲われねぇよう、ちょっくらゴブリンの巣を叩き潰してくるわ。ラフィと村のことは頼んだぞ!」
「ちょ、あ、兄貴!?」
唖然とするマルゴをしり目にケンは地を蹴る。
『くはは! やっぱな! 兄弟のことだからそうするって思ってたぜ!」
――たりめぇだ!
『よし! んじゃ、いっちょゴブリン共に魔神の恐怖を味合わせてやろうぜ!』
――ああッ!
ケンは逃走するゴブリンを追い、一陣の風のように村の先にあった森を駆け抜ける。
そしてゴブリンの巣がある「バルバトスの枝洞」へ、迷いもせず飛び込むのだった。