マルゴ一家
「この世界にはいつからかは知りませんけど、72の迷宮が存在します。それをこの世界の人たちは【序列迷宮】、通称「迷宮」って呼んでいます」
ギルドでの登録を終えたケンは、集会所に併設されている食堂で改めて、ラフィから【序列迷宮】の概要を聞いていた。
机の上にあるのは小さなパン一切れのみ。
ケンとラフィは小さなパンを二人で摘まみ合っていた。
「72の迷宮にはそれぞれ名前が付けられていて、例えばこの地方にあるのは【八位迷宮バルバトス】、わたしたちがずっと潜っていたのは【三十二位迷宮アスモデウス】って云われてます。それぞれの迷宮の深層部にはDRクラスアイテム、っていう、それぞれの迷宮を司る魔神が封じされているとても貴重なアイテムが眠っているそうです」
「なるほど。ラフィ、ちょっと」
ケンはラフィを手招きし、ハンチング帽を少しずらした。
「実は俺の左手にはまってる指輪なんだけどさ、これDRアイテムなんだ」
「ええっ!? ほ、本当ですか!?」
「声でかい!」
「す、すみません!」
周囲の視線が落ち着くの待って、ケンは口を開く。
「この間、アスモデウス迷宮の深層部まで叩き落された時、たまたまこれを手に入れたんだ」
「じゃあ、この間の凄い力はもしかして?」
「ああ。このアスモデウスが宿る「星廻りの指輪」の力のお陰だ」
「へぇ、これがDRアイテム……」
ラフィの尻尾を隠す外套が、僅かに震えていた。
警戒しているのか、彼女は指輪をしげしげと眺めたり、恐る恐ると云った具合に時々突いたりする。
「ここに魔神が宿っているんですよね? 着けてて平気なんですか?」
少し不安げにラフィが聞いてくる。
正直、HPを吸われたり、魚が苦手になったり、ギャンギャン煩いアスモデウスの声が聞こえてくるなど不都合満載だ。
『なぁ、兄弟。あんまり酷でぇことばっかり考えないでくれるか?』
少し不満げなアスモデウスの声が頭に響く。
しかし、このDRアイテムのお陰でこうして自由の身になれたのも事実。
「力を発動させると少し疲れるけど、それ以外は問題ないよ。むしろこれを手に入れたから、ラフィと俺は自由になれたんだからな」
「確かにそうですね。すみません、変なこと聞いて」
「いや、良いよ。ところでそろそろこっちのことも教えてくれないか?」
ケンはそう云って、腕に巻かれた、牛皮を白く染めたようなバンドをかざす。
「はい! そのバンドはギルド登録者の証です。白は登録したての新米を現します。そこからパープル、ルビー、オランジュと経験を積むごとにバンドが支給されて、最高位はブラックになります」
「経験を積むって具体的には?」
「ギルドに掲載される依頼、クエストってのをこなして成功させれば経験したことになります。後は序列迷宮で貴重なアイテムを持ち帰るとかです!」
「と、なるとこの「星廻りの指輪」を提示すれば一気にランクを上げられるんだな?」
「あ、そういえばそうですね!」
しかし気が引けた。
アエ―シェシェマンを襲ってきたグリモワールのシャドウとウィンドは、明らかに「星廻りの指輪」を狙っていた。
今ここで「星廻りの指輪」を提示すれば簡単にクラスは上げられる。
しかし自分とラフィが元奴隷兵士であること。
なによりもグリモワールのシャドウとウィンドの目的が分からない以上、迂闊に行動を起こすのは危険だと思った。
「やっぱり止めとこう。グリモワールの目的が分からない以上、迂闊なことはしない方が良い」
「わたしもそう思いますね……じゃあ、説明はこんなところで大丈夫ですか?」
「ああ。ありがとう。早速、クエストやらをみてみようか?」
「はい!」
ケンとラフィは食堂から出て、受付近くにある”クエスト掲示板”へ向かって行くのだった。
集会場の壁に大きく掲げられた掲示板には、そこを埋め尽くさんばかりのクエスト依頼書が張り付けられていた。
「うーん……あんまりわたし達が受けられそうなクエストないですねぇ……」
ケンの代わりに依頼書へ目を通すラフィが残念そうに呟く。
「そうなのか?」
「はい。この下のところ、これってクラス制限を現してるんですけど、殆どパープルか、それ以上しか無いみたいですね。ちょっと今日は運が悪いかもです」
「じゃあこれはどうなんだ?」
”クラス制限”の表記が無い依頼書をケンは指し示す。
なんとなくアラビア数字に近い文字が確認出来て、この依頼が相当な懸賞金がかかっていることぐらいは、ケンにも読めた。
「これははぐれモンスターの手配書ですね。相手は……レッドデスワーム。雑食で凶暴なモンスターですね。クラス制限はないですけど、ちょっとこれは危険だと思うんですけど……」
声色からラフィが自分のことを心配しているのだと、ケンは感じる。
その気持ちはありがたい。
しかし今のケンは早急に現金が欲しかった。
もうこれ以上ラフィに野宿をさせたり、みじめな食事を取らせたくない。
それに今のケンはあくまでギルド内では新米だが、能力はおそらく今この場にいる誰よりも高いと、自信をもって言い切れる。
――ラフィには申し訳ないけど、この依頼にするか……
そう決意して、手配書へ手を伸ばそうとしたその時。
サッと脇からギルドの職員がやってきて、新しい手配書を張ってゆく。
「あっ、これって……」
「どうした?」
「えっと、緊急依頼だそうです。クラス制限は無し、報酬は金貨4枚、内容はゴブリン討伐……」
アントル地方の外れにある集落がゴブリンの群れに襲われた。
そこで”聖騎士”が討伐へ向かうも音信不通。
どうやらこの集落の近くにある「八位迷宮バルバトス」の「枝洞」の一つに巣を作ったゴブリンが大挙して押し寄せ、現在集落は危機的状況に陥っている――と、ラフィが読んだ結果はこんなところであった。
「……」
「気になるのか?」
「あ、はい……実はその……わたしの故郷にも同じようなことが起こりまして……わたしの故郷、ゴブリンの群れにやられちゃったんです……あの時、すっごく怖くて、でもわたし達「不浄の一族」は誰も助けてくれなくて、それで……」
「悪かった、もう良い」
少しでもラフィの気持ちが落ち着けばと、彼女の髪を優しく撫でた。
はぐれモンスター:レッドデスワーム討伐、ゴブリン討伐ともにクラス制限はない。
どっちの依頼も今のケンならば造作もなくこなせる。
加えて前者の報酬はおそらくゴブリンの5倍。
ケンは依頼書へ手を伸ばし、そして「ゴブリン討伐」を掲示板から剥がした。
「この依頼を受けよう」
「良いんですか?」
「助けたいんだろ?」
「ケンさん……はい! ありがとうございます。わたし、頑張ります!」
『んったく、相変わらず兄弟はラフィちゃんにはあめぇな』
――うっせ、黙れ。
アスモデウスのからかいにケンは頭の中で答えて、「ゴブリン討伐」の依頼書を受付へ提出するのだった。
●●●
ゴブリン討伐を受注したケンだったが、一つ問題があることに気が付いた。
ゴブリンの巣が近くにあるということは、大量のゴブリンを一気に相手にしなければならないことだった。
ラフィを守りつつ、依頼も正確にこなす。
勿論、ラフィはケンと同じ奴隷兵士だったので、下手な連中よりは遥かに強い。
しかし、迷宮探索の時に負った傷が原因で、前線から退いたラフィには極力戦ってもらいたくはないし、危険な目にも合わせたくない
だからこそ、そんな彼女を守るための安心材料をケンは欲していた。
人を雇えればこの問題は解決できるは、今のケンは生憎一文無し。
『なぁに、心配しなさんな。兄弟が人数分の働きをすれば良いってことよ! なにせ、俺様の迷宮の最深部から一人で駆け上がって、モンスターハウスさえ壊滅させたんだからな!』
――それもそうか。
そんなことを考えながらラフィと共に集会場を出て、何気なく日当たりの悪い路地へと踏み込む。
「ケンさん……」
ふと、ラフィがケンの袖を引いた。
「どうし……ん?」
足を止めると、複数の柄の悪そうな男たちがケンの行く先を塞いでいた。
「おっとここはただじゃ通れねぇぜ、新人さん?」
男たちの真ん中にいた、細面で隻眼の輩が一歩前に出て、まるでテンプレートのようなセリフを吐く。
腕に巻き付いているのはパープルのバンド。どうやら一階級上の連中らしい。
――新人いびりみたいなもんか。
ケンはフッとため息をついて、
「悪かったよ。それじゃ」
面倒事に巻き込まれたくないと思ったケンは、ラフィの背中を抱いて踵を返す。
すると、来た道の向こうから別の柄の悪そうな男が現れて、道を塞ぐ。
「なんの真似だ?」
少し怒りを感じたケンは、再び踵を返して、隻眼の男を睨む。
「だからただじゃ通れねぇって言っただろ? ここの道へ入ったら、出るも通るも金がいるんだよ。なにせここは俺たち「マルゴ一家」の縄張りなんだからよ」
「……悪いが今の俺たちは一文無しなんだ。払える金なんてねぇぜ?」
「だったら身体で払ってもらうしかねぇな! おい、お前等!」
隻眼の男の指示を受けて、柄の悪そうな連中がにじり寄る。
「んったく、こっちが大人しくしてりゃ……ラフィ、ちょっと下がってろ」
「はい。気を付けてくださいね」
そっとラフィを離し、そしてケンは地を蹴った。
驚く男一人の懐へ一瞬で潜り込んで、まっすぐ拳を叩きこむ。
男は悲鳴を上げる間もなく、吹っ飛ばされ、壁へ叩きつけられた。
「や、野郎! 遠慮すんな! やっちまえ!」
隻眼の男の指示を受けて、マルゴ一家は一斉に短剣を抜刀して襲い来る。
しかし剣筋は鈍く、軌道も単調。
ケンは差し向けられる凶器を、アスモデウスの力を借りず、自分の力だけでひらりとかわす。
振り向きざまに回し蹴りをお見舞いしてやれば、男たちがボーリングのピンのようにバタバタと一斉に倒れた。
「はぁっ!」
すると、ケンの背後から鋭い気迫の声が聞こえて、柄の悪い男が一人吹っ飛んだ。
振り返るとそこには、拳を構え、鋭く眉を尖らせるラフィの姿が。
「ケンさん! ここはわたしも!」
「大丈夫なのか?」
「はい! 少しの時間でしたら!」
「分かった。でも無理はすんなよ?」
「はい!」
ケンとラフィは互いに背中を合わせて周囲を囲むマルゴ一家へ睨みを利かす。
「行きます!」
先に飛び出したのはラフィだった。
ラフィは風のように舞い、一瞬で距離を詰めて掌底を繰り出す。
「ぐおっ!?」
彼女の細腕から繰り出されたとは思えない圧力が、体格に勝る男の体勢を崩す。
その隙にラフィは思い切り地面を踏んで飛び上がり、鋭い蹴りを男へ向けて放った。
クリーンヒットした蹴りは男を駒のように空中で回転させて、地面へ叩きつける。
「狼牙拳奥義、狼旋風脚打ちました! ありがとうございました!」
久々に見たラフィの鮮やかな足技に、ケンはマルゴ一家を殴り飛ばしながら見とれる。
――怪我で前線から退いたとはいえ、さすが狼牙拳の使い手だ。
俺も負けてらんねぇ!
ケンとラフィは人数で勝るマルゴ一家をちぎっては投げた。
数では圧倒的に不利。
しかし過酷な序列迷宮で奴隷兵士として否応なしに鍛えられたケンとラフィにとってはそこそこの輩など全く相手にはならなかった。
「や、やろう!」
脇から隻眼の男の声を感じ、ケンは瞬時に腕をかざす。
人差し指と中指は、隻眼の男が振り落としてきた長剣の刃を、あっさり挟んで受け止める。
「なっ、なんだってぇ!?」
「切る時はもっと力を抜きな。そんなんじゃ切れるものも切れねぇぜ!」
ケンは空いた拳を隻眼の男の腹へと叩き込む。
隻眼の男は悲鳴を出す間もなく吹っ飛び倒れた。
「ケンさん! こっち終わりましたぁ!」
既にラフィに叩きのめされたゴロツキ達は白目を向いて、情けなく地面の上へと突っ伏していた。
そんなマルゴ一家の様子を見て、ケンの中に閃きが沸く。
「おい、お前」
「ひいぃ! す、すみませんでした! お、お金いりません! だから命だけはぁ!!」
ケンは一人こっそり逃げようとしていた隻眼の男の首根っこを掴んだ。
「おう、良いぜ。だけど俺の云うことを大人しく聞くのが条件だ。良いな?」
「は、はい! 聞きます、従います! なんなりと!」
「おっし、良い心がけだ。俺はケン=スガワラ。てめぇは?」
「マルゴです! マルゴと申しますッ!」
涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにした隻眼の男――マルゴ――はケンの言葉へ素直に応じる。
『やるなぁ、兄弟もラフィ嬢ちゃんも! クハハ!』
ケンの頭の中には至極楽しそうな、アスモデウスの笑い声が響くのだった。