豊穣と破壊の魔神
「ここはなんだ……?」
ケンは思わず正直な感想を口走った。
ムートン、リオン、そしてラフィの協力を経て、一位迷宮バエルの最深層に至った彼を待ち受けていたのは、緑豊かな楽園であった。
枝葉を雄々しく伸ばす苔だらけの木々。
どこから吹いているのか分からない風が、極彩色の花々を静かに揺らしている。
空は迷宮の中の筈なのに澄み渡るように青く、清流のせせらぎはどこまでも穏やかで優しい。
”豊穣に満ちた楽園”
そう表現するに相応しいようにも思われる。
だが、そこは静けさに包まれていた。
緑の息吹はあるも、虫も、鳥も、獣も、人間の気配さえも感じられなかった。
『ひさしぶりだね、黒皇!』
どこからともなく軽やかな青年の声が聞こえてきた。
「ミキオ=マツカタ! どこにいる! 出てこい!」
ケンの叫びが、緑以外存在しない楽園に響き渡る。
すると、彼の目前にあった苔だらけの木々が揺れた。
木々は鞭のようにしなり数えきれない程の蔓をどこからともなく呼び出す。
一本の蔓は二本、四本、八本……廻り、絡み、溶け合って伸びて行く。
ほんの瞬く間に、ケンの目の前には雄々しく枝葉を伸ばし、蒼天を広く覆う大樹が姿を現していた。
大樹の表面が波打ち、ゆっくりと人の形が浮かび上がってくる。
『ようこそ、バエル最深部へ。待っていたよ』
数えきれない程の蔓を巻きつけた上半身のみのミキオは不気味な笑みを浮かべた。
「よぉ、ミキオ、久々だな。随分と賑やかな格好じゃねぇか。年末恒例の歌番組にラスボスみたく出演しようって魂胆か?」
ケンは余裕を装って、言葉を吐き出す。
『ははっ、懐かしいねそれ。二百年ぶりに思い出したよ。まっ、君にとっちゃ俺は正真正銘のラスボスだけどね』
「ははっ! ちげぇねぇ!」
『だろ? あははは!』
ケンとミキオは笑い声を重ね合った。
むしろケンは笑わざるを得なかった。
ミキオ=マツカタから発せられる圧倒的な魔力の感覚と、気を許せば一瞬で圧死してしまいそうな重く強いプレッシャー。
笑って、余裕であると自分に信じ込ませなければ、今にも卒倒しそうであった。
『でさ、やっぱ最後に聞いていいかな?』
「なんだよ、改まって?」
ミキオはにんまりと晴れ渡るような笑顔を浮かべ、
『君も君の嫁さん達もグリモワールに加わってよ。アンタだってこの世界には辟易してんだろ? 俺たちのような罪もない少年少女を勝手に攫ってきて、従えとか、戦え! とか言って来るこの世界にさ?』
「まぁ、俺が少年少女って言えるとしかどうかはアレだけどよ……分かるぜ、その気持ちは」
『でしょでしょ? 奴隷兵士として転生させられた俺たちは、最強の魔神の力を使って異世界を見返す! 良いじゃん! 気持ちよさそうじゃん! だから一緒にやろ……』
「だが、お断りだ!」
ケンはミキオのプレッシャーに臆せず、想いを言葉に乗せた。
『おっ? どこかで聞いたことのあるような名言?』
「いい加減にしろ。茶番は終わりにしようぜ、ミキオ」
ケンが声に凄みを聞かせると、柔和に和らいでいたミキオの表情が引き締まる。
『ふーん、交渉決裂か……まっ、想定の範囲内だったけどね。で、茶番は終わりにしてどうするつもり?』
「決まってる! てめぇをここでぶっ飛ばす! そしてこの世界に平和を取り戻す! それだけだ!」
『勝てると思ってるの? 今の俺は一位魔神バエルとダンタリオンを取り込んだ、正真正銘の魔神だよ? 化身なんてちんけなものじゃないんだよ?』
ミキオが首を傾げると、周囲の緑がざわつき始めた。
邪悪で強大な、気の遠くなりそうなプレッシャーが全周囲から押し寄せる。
だからこそケンは大切に想う人々を思い描いた。
マルゴとマルゴ一家、ロバートや、元奴隷兵士達がここまでの道を切り開いてくれた。
ラフィ、ムートン、リオンが他のグリモワールのメンバーを引き受けてくれたからこそ、今彼はこの場で、ミキオと対峙することができていた。
――だからこそ勝たなければならない! 流れ出たたくさんの血に報いためにも!
「魔神だろうがなんだろうが、俺はてめぇをぶっ潰す! 年貢の納め時だ松方 幹夫ッ!」
『それはこっちの台詞だ、菅原 拳。ならみせてやるよ……豊穣と破壊を司る、一位魔神の力をなぁ!』
ミキオが吠え、彼の周囲でざわついていた蔦が一斉に放たれた。
蔦は先端を鋭く輝かせ、ケンを刺し貫こうと迫る。
氷の鋭い軌跡が過り、バラバラに切り裂かれた蔦の残骸が宙を舞う。
凍てつく氷を刃として腕に纏うスキルウェポン【冷鉄手刀】
しかし刃で切り裂かれた途端、蔦は先端を再生させる。
「触手に再生は定番ってなぁ!」
ケンは靴底に魔力を集中させ、滑空のスキルを発動させて飛んだ。
蔦はすぐさま上向き、ケンを追う。
そんなケンの周囲には数えきれないほどの、魔力で形作った”針”が浮かんでいた。
「いっけぇぇぇ!」
ケンの指示を受けて針がミサイルのように飛び出した。
スキルウェポン:【飛翔針砲】
針のミサイルは蔦を的確にとらえて、突き刺さり爆破する。
ケンは無数の爆発を背に飛び、大樹の表面に浮かび上がったミキオを目指して飛行を続ける。
その時、脇に新たな殺気を感じた。
「それぇー!」
「ぐわっ!?」
白い法衣のような衣装を着たミキオがそこに居て、ケンを蹴り飛ばす。
「まだまだぁー!」
「がはっ!?」
今度は反対側に”別のミキオ”が姿を現し、ケンを蹴り上げる。
「「「これでおしまいっ!」」」
「――ッ!?」
そして最後に頭上にいた”複数のミキオ”がケンの背中へ揃った動きで踵を落とす。
ケンはなされるがままコケだらけの大地に叩き伏せられた。
『ほら言ったじゃない、バエルとダンタリオンを取り込んだって! ダンタリオンの幻影投射の力、忘れちゃダメだって』
ケンの目前では数えきれないほどの”ミキオ”が不敵な笑いを浮かべていた。
無数の幻影が同時に地を蹴り、嬉々とした笑みを浮かべて飛び掛かる。
ケンは遮二無二、魔力が渦巻く星回りの指輪を地面へ押し当てた。
「地獄の熱で灰になれ! 【灼熱壁射】!」
突如緑の大地から生えた無数の石壁はケンの前に立ち塞がる。
そして面を真っ赤に染め、激しい熱線を発する。
熱線は瞬時に複数のミキオ達を蒸発させる。
そればかりか熱線の熱は、子葉を、木々を、花々を発火させた。
静寂の緑であった楽園は一瞬で紅蓮の炎に包まれる。
楽園は灼熱地獄のような熱さに飲みこまれた。
『あれ? 気配がしないなぁ……』
大樹に浮かぶミキオは蔦を操り、炎を鎮火させつつ、周囲をきょろきょろと見渡す。
その時、ミキオの脇に金色の輝きが湧いた。
『そこかぁ!』
ミキオの大樹から巨大な真っ白な花が咲き、まるでアイス姉妹が得意とする光属性魔法:レイ・ソーラに良く似た輝きが迸った。
二つの金色の輝きの帯は正面からぶつかり合う。
その力は互いを打ち消し合い、激しい衝撃波と共に、光の粒となって消える。
『あれぇ?』
「ここだぁー!」
『なっ!?』
森の中から巨大な岩の拳、スキルウェポン:【魔神飛翔拳】が飛び出して、大樹の表面に浮かぶミキオの上半身を押しつぶす。
そして気配を殺すために発動させていた【絶対不可視】の力を解除して、ケンは再び飛んだ。
腕に氷の刃を浮かべ、更にそこへ魔力を押し流してゆく。
氷は素早く肥大化し、彼の腕よりも遥かに大きく長い、氷の大剣を形作る。
「これで、おわりだぁぁぁ!」
振り落された氷の刃は大樹を、ミキオを押しつぶした岩の拳もろとも両断する。
太く堅そうな大樹が、ミシミシと音を立てて、二つに分かれて倒れた。
『あっはははー! ひははは! それで俺を倒したつもりなの!?』
「っ!?」
真っ二つに裂けた大樹の間から数えきれないほどの蔦が生えてきた。
それは廻り、編まれ、固まり、新たな大樹を形作る。
そしてその表面から、まるで何事も無かったかのようにミキオの上半身が姿を見せた。
『言ったでしょ、バエルは豊穣と破壊を司るって。バエルの宿る黙示録ノ箱を取り込んだ俺は死なないよ? 不死身だよ? 幾ら物理で殴ったって、魔法で焼いたって無駄だって』
「ちっ!」
『さぁ、ダンタリオン! 黒皇をやっておしまいなさい!』
ミキオの胸に口鼻の無い不気味な仮面が生えるように浮かび上がった。
吊り上がった双眸の穴が白色の輝きを発し、地面に降り注ぐ。
無から有が生まれるように、仮面を付けた白法衣の男が次々と姿を現す。
どれもミキオ、誰も彼もが、史上初のブラッククラス:白閃光こと、ミキオ=マツカタ。
再び無傷な白色の魔神の化身が一斉にケンへと迫る。
――だったらスキルライブラリだ!
もはや出し惜しみなどすべき時ではない。
――例えこの命が燃え尽きようと、ここでミキオを倒す!
「おおおっー!」
ケンは勢いよく地を蹴り、接敵した最初のミキオを氷の刃で切り裂く。
そしてその奥で怯んでいたもう一人のミキオへ向けて星廻りの指輪が輝く手を伸ばす。
「何!?」
しかし腕が触れる寸前、ミキオは煙のように溶けて消えた。
『質量を自在に変えられる幻影仮面の力を忘れてたね?』
勝ち誇ったかのようなミキオの声が天から降り注ぐ。
唖然とするケンの脇腹へ、別のミキオが鋭い蹴りを加えて吹き飛ばす。
そして弧を描いて吹き飛ぶ彼へ目がけて、森から無数の蔦が湧いて出た。
彼をキャッチした蔦は手足を拘束し、天高く掲げる。
それはまるで十字架を背負わされ、生贄に捧げれる供物さながらの様子であった
「く、くそっ! 外れねぇ……!」
幾ら身を捩ろうとも、蔦が食い込むばかりで手足が全く動かせない。
これでは触れることで発動させるスキルライブラリはおろか、まともに攻撃すらも与えられない。
ケンは必死に身を捩り、拘束を解こうとする。
そんな彼の前へ細い数本の蔦が現れた。
細い束となり先端がミキオの上半身に代わる。
『無様だね、菅原 拳。本当に手も足も出ない状況になったご感想は?』
「ちっ。最悪だぜ!」
せめてもの反撃、と悪態を返す。
だがそれは結果としてミキオに満面の笑みをもたらした。
『良いね、その顔! 最高だよ! ホント、君と組んで一緒にこの世界を破壊して再生させたかったよ』
「熱烈なラブコールどうも。でも生憎俺は男に興味はないんでね!」
『まぁ、でも君はそれを望んでいないわけだし。だったらせめて!』
ミキオが腕を振り上げると別の蔦が持ち上がる。
蔦が激しくうねり、そして長く鋭い刃を形作った。
『君の代わりにその腕ごとDRアイテムを貰うことにするよ。全てのDRアイテムも、世界も、俺たちグリモワールのもの。最強は、この世界を自由にするのは俺たち、栄光のパーティー:グリモワールだけだぁぁぁ!』』
無慈悲にも蔦の刃が振り落される。
拘束されたケンに抗う術は無く、状況は絶望そのもの。
しかしケンは――口元に笑みを浮かべていた。
『なっ!?』
突然、蔦の刃へが”ボンッ”と真っ赤な火球に包まれて爆発した。
そして拘束されるケンの背後に躍り出た影が二つ。
「あうあ! あーっ!」
獣化したリオンの長く鋭い爪が蔦を切り裂く。
そしてふわりと解放されたケンを、ぽいんと柔らかい胸の双丘が頭の後ろに当たった。
「お姫様を助ける王子様達参上ですっ!」
ボロボロで煤けてはいるが、それでもラフィはケンを抱いて、元気よく稲穂のような尻尾を横へブンブン振っていた。
「王子様って、そりゃ俺の方だろ?」
「まぁまぁ、捕まってたのは事実なんですから。王子様を助けに来たお姫様じゃなんか、しっくりこないでしょ?」
「はは! 確かにな!」
ケンはラフィに抱かれたまま、静かに着地する。
「ケーン!」
すると同じくボロボロだが、元気そうなリオンが腰に飛びついてきた。
「僕、倒したよ! ウィンド倒したよ!」
「おお! すげぇ! やったな、リオン!」
「あう! でへへ!」
「ムートン、その腕どうしたんだ!?」
少し離れたところで物欲しそうにしていたムートン。
彼女の右腕はだらんと力なく落ちていた。
「あはは、ちょっと、ええ、まぁ、やっちゃいまして……だからみんなみたいに抱き着けないなぁ、と……」
「バカ」
「あっ……」
ケンは腕を伸ばし、ムートンの右腕を痛めないよう抱き寄せる。
「こうすりゃ良いんだって」
「ケンさん……ふふ、そうですね!」
ケンは無事に戻った三人の愛する女達を強く抱きすくめた。
「良く帰ってきた! 待ってたぜ!」
「「「はい! 約束通り戻りました! ケンさん!」」」
彼女たちの熱を、息吹を感じ、ケンの身体に力が漲る。
「あ、あ、ああ……も、もしかして、みんなは……シャギは、オウバは、ウィンドは、シャドウは――!?」
そんなケンの後ろでミキオは、まるで世界が終わるかのように声を震わせている。
「彼らは素晴らしい戦士でしたよ。全く、あのシャドウって男は」
ムートンはミキオを見上げる。
「あう! ウィンドとシャドウはお前のために頑張った! 同じ戦士として、僕とムーは彼らに敬意を贈る!」
リオンの声が響き渡る。
「シャギちゃんとオウバちゃんは最後までミキオさん、あなたのことを一生懸命愛していましたよ……だけどわたしは彼女達よりも、この世界を、ケンさんを愛しています! だから勝ちました! だから今ここにいます! 世界を滅ぼそうとする貴方を倒すために!」
ラフィの宣言を受けて、ミキオの眉間に皺が寄る。
『てめぇらぶっ殺す! ぜってぇ、ぶっ殺す! シャギ、オウバ、ウィンド、シャドウの弔いだ! 世界を壊す前に、まずはてめぇらを血祭りに上げてやるぜぇ!』
ミキオの激昂が響き渡る。
木々が激しく揺らめいて幾つも鋭い刃を形造り、数えきれないほどの仮面を付けたミキオの幻影が姿を現す。
するとリオンがニヤリと笑みを浮かべた。
「八位魔神バルバトス! オーブ小隊所属、リオンッ!」
ムートンは左手で魔剣「シュナイド」を握り締め、刃へ真っ赤な炎を浮かべる。
「六位魔神アモン! 怒りの炎は邪悪を断罪する! 魔神騎士ムートン、ここに見参!」
ラフィの身体から金色の輝きが発せられ、彼女は強く地面を踏みしめる。
「五十六位魔神グレモリー! 狼牙拳 ラフィですっ!」
テンションが高まり、童心へ帰っているケンは、何発も空拳を繰り出し、最後にDRアイテム「星廻りの指輪」を翳し、地面を強く踏みしめた。
「三十二位の魔神! 地獄の魔王アスモデウス……スガワラ ケン! 行くぞ、これが本当の最後だ!」
「「「はい! ケンさん!」」」
ケン達は一斉に地を蹴って飛びだす。
世界を破壊しようとする魔神を葬り去るために。