新たな命の存在
「おらぁっ!」
広大な荒野に気合の籠ったケンの声が響き渡る。
目前のオークは彼の拳を受けて倒れた。
今、ケンとラフィの前には迷宮らしく多様なモンスターが犇めいている。
しかし周囲は迷宮らしくはない砂と岩だけの不毛の大地が広がっていた。
マルゴ、ムートン、リオンの支援を受けて、ケンとラフィは白い大蜘蛛に変化した一位迷宮バエルの内部にある荒野を切り開き、最深部を目指していたのだった。
「はいぃっ!」
ケンと付かず離れずの距離を取るラフィは、尻尾を振り乱し、鮮やかな蹴り技で群がるモンスターをなぎ倒す。
「なんか、こういうの懐かしいですね!」
蹴りながら、ラフィは笑顔でケンへ語り掛けた。
「昔、こうして良く二人でアスモデウス迷宮に潜りましたよね!」
「ああ! そうだったな! あん時のラフィは全然、可愛げなかったよな!」
ケンもまた拳を振りつつ、ラフィの思い出話に乗った。
「良いじゃないですか! ギャップ、でしたっけ? そういうのって男の人大好きですもんね!」
「ははっ、確かに!」
「ケンさんも、無理やり給仕服着せる変態さんだったなんて意外でした。これもギャップ?」
「なっ――!?」
拳でゴーレムを叩き割ったのと同時に、ケンは絶句する。
急に恥ずかしくなって、心臓が激しく鼓動を放つ。
「まぁ、でも良いです。実は案外気に入ってましたし、あの格好。それにあれ着てるときのケンさん、ちょっと怖いけど、なんかドキドキしちゃってました。わたしに”ご主人様”とか呼ばせたり? 素直に”欲しいです、ご主人様ぁ~!”って言わないとダメだぞ、とかニヤニヤ迫ってきたり?」
「だ、だから、お前、こんな時に何を!?」
気が付くとケンとラフィを取り囲んでいたモンスターは全滅していた。
するとラフィはぴょんと跳ねるように、ケンの腕に抱き付いてくる。
花のようなラフィの香りと、肘に当たる柔らかい胸の感触は、血生臭い迷宮の空気で尖っていた気持ちを和らげた。
「だけど、これから少しの間、そういうこと我慢してくださいね」
「はっ?」
ラフィはそっとケンの手を取り、下腹部へ押し当てた。
「ここにいるんですよ、実は。ケンさんとわたしの子供!」
「はっ……? はあぁっ!? ま、マジかよ、それ!?」
不毛の大地に間抜けなケンの声が響き渡った。
「はい! もうそろそろ三か月くらいですかねぇ?」
「俺、聞いてないぞ!?」
「そりゃ、隠してましたから。だってケンさん、もし妊娠のことを話したらわたしをここに連れてきてくれなかったでしょ?」
ラフィは更にケンに身を寄せた。
円らな瞳が強い決意を滲ませ、凄味を感じさせる。
「ずっと黙ってたことは謝ります。バカなことをしているのは分かっています。でも、わたしも戦いたいんです。この子が生まれてくる世界を守るためにも……」
「ラフィ、お前……」
「だって、絶対にわたしの力が必要になりますもんね!」
おそらくラフィもケンと同じく、気が付いていた。
ずっと灰色の空の上から、自分たちを見下ろしていた存在のことを。
「もう良いよ、あなた達。黙ってなくて!」
ラフィは灰色の空を見上げる。
「あら? もう良いの? 最後なのだから、ここでもっと思い出を紡いでも良いのよ?」
滞空していた黒の魔導師:シャギ=アイスは不気味な笑みを浮かべてラフィを見下ろし、
「姉様の仰る通り。その胸に抱いた希望をオウバ達がズタズタに引き裂いてやろうと思ったのに」
白の魔導師:オウバ=アイスは顔を邪悪に歪める。
ラフィは眉間に皺を寄せ、ケンよりも前に出た。
「ケンさん、アイス姉妹さえ食い止めればあとは白閃光だけです。ここはわたしが」
かつて「格上殺し」とまで評されたラフィ。
その時と同じような鋭い気迫が、彼女の背中からあふれ出ていた。
本当は戦うな、と言いたい。
しかしおそらく今の彼女には何を言ってもダメ。
長い付き合いのケンにはそれが分かった。
だからこそ、
「約束してくれ。絶対にまた俺のところへ帰ってくるって。無事な姿を見せてくれるって」
ラフィのふさふさとした尻尾が喜びで横にブンブン触れた。
「約束します! 帰ったら一緒にわたし達の子供、元気よく育てましょう!」
「ああ!」
ケンはラフィへアイス姉妹を任せ走り出す。
しかし意外にも、アイス姉妹はケンを追わなかった。
「へぇ、ちゃんとわたしの相手してくれるんだ?」
ラフィが煽るようにそういうと、アイス姉妹は揃って微笑みを浮かべた。
「「今の彼ならば黒皇一人ぐらいどうとでもなるわ。私達はここでお前を殺す! それこそ彼のためであり、世界破滅の必須条件!」」
姉のシャギは真っ赤な目でラフィを睨んだ。
「殺してやるよ、小娘。お前をぶっ殺して、その腹の中にいる子供を引きずり出してズタズタに引き裂いて、未来の希望を壊してやるよ」