序列72位魔神アンドロマリウス(*ムートン視点)
「風太ぁーっ!」
「ッ!?」
倒れた筈のシャドウが咆え、ムートンは咄嗟に踵を返した。
上半身のみのシャドウは起き上がり、肘を深く折る。
そして腕のばねのみで、飛んだ。
シャドウの上半身が放物線を描いて、ムートンの頭上を飛んでゆく。
「ま、まて! ぐっ……!」
走り出そうとしたが、シャドウの蛇の剣に貫かれた腹から、赤い血が噴き出た。一瞬、意識が朦朧とし、視界が霞む。
既に上半身のみのシャドウは、真っ黒に焼け焦げ、煙を上げるウィンドを抱きかかえていた。
「風太! しっかりしろ、風太ぁーっ!」
シャドウは魔導人形とは思えない感情の籠った声で、何故かウィンドを他の名前で呼ぶ。
しかしウィンドは声を出すどころか、反応一つすら示さない。
既にウィンドの命の炎は消えているのは明らかだった。
「どうしてオレはいつもお前を守れないんだ……!」
シャドウの赤い双眸が激しく揺らいでいた。
この世界でおそらく最初の”感情”というものを目覚めさせたホムンクルスの、シャドウと名乗る魔人。仲間の死を悼み、悲しみに暮れる姿、それはもはや魔道人形にあらず――人間、と表現するに相応しい姿だった。
「許さんぞ……一度ならず二度までも、この世界は風太を殺した……!」
呪詛のような言葉と共に、上半身だけのシャドウは黒い瘴気のような魔力を放った。それを彼の腕に巻き付く蛇型のDRアイテム「正義毒蛇」が口から吸い始める。
やがて虚ろだった毒蛇の目が血のように真っ赤な光を放った。
「風太を二度も殺したこの世界を、全てを、オレは駆逐、破壊、殲滅ッ! 七十位魔神アンドロマリウスよ! オレの命を吸い、オレに力をよこせ!」
蛇は黒雲のような魔力を吐き出し、ウィンドの亡骸を抱く、シャドウを覆い隠してゆく。
「オオオ! 嗚呼嗚呼ーーっ!」
「ッ!?」
シャドウを中心にまるで暗幕のような魔力が爆ぜた。
漆黒が放った衝撃は凍土を砕き、満身創痍のムートンさえも紙切れのように吹き飛ばす。成すがままに衝撃に翻弄されるムートンの身体を誰かが背中から受け止める。リオンだった。
そして二人は衝撃波の範囲外に降り立った。
「ムー、大丈夫!?」
リオンは自分の傷を顧みず、冷や汗を浮かべながらムートンに聞く。
「リオンちゃんこそ大丈夫なの!? ボロボロだよ!?」
「あう。なんとか……」
表情で互いの無事を確かめ合うムートンとリオンへ、黒々とした巨大な影が落ちる。
二人はその強大な魔力の感覚に自然と全身を震わせながら、視線を上げた。
天をつらぬように伸びた首。
とぐろを巻く長い体は、ムートン達を取り囲むどの氷山よりも巨大だった。
その姿はまさに、シャドウの腕に巻き付いていたDRアイテム「正義毒蛇」そのもの。
二人の前に、既にシャドウとウィンドの姿は無く、代わりに見上げても足りない程の巨大な”毒蛇”が出現していた。
「SYHAAA!!」
毒蛇が大口を開いて、奇声を発し、何かを吐きだす。
危険を感じてムートンとリオンはその場から転がり飛ぶ。
先ほどまで彼女たちがいた氷が泡立った。
氷が溶け、更にその下ある硬い氷に何千年も覆われていただろう土さえも溶解し、海水が湧きだしてくる。
「SYHAAA! SYHAAA!」
毒蛇はのた打ち回るように、口から赤い毒液をまき散らしながら蠢く。
石よりも遥かに硬い凍土は、”永久”を奪われ、次々と亀裂が生じ、砕けて行く。
そんな毒蛇の背中へ真っ赤に輝く炎の矢と球が一斉に降り注ぐ。
本来は全てを焼き尽くし、生命を奪う程のムートンの放つ炎の魔力。
それを浴びても毒蛇は苦しんだ素振りを見せない。
しかし、一瞬だけ動きを止めることはできた。
「今だよ、リオンちゃん!」
「必滅・長弓射ゥッ!」
ムートンの背後で荘厳な翡翠の光が迸り、リオンは目いっぱいに魔力を込めた矢を放った。矢は真っ直ぐと、シャドウが変化した巨大な毒蛇へ向けて突き進む。
だが矢は到達する前に、毒蛇の吐いた毒液によって、まるで飴細工のように溶けて消えた。
毒蛇の怒りに満ちた真っ赤な双眸がムートンとリオンを睨み、氷上でのた打ち回るように蠢く。
毒液の滴る鋭い牙で、彼女達を噛み殺そうと迫る。
ムートンとリオンは飛び退いて回避すると、再度攻撃に移った。
「でやあぁぁぁッ!」
どんなにムートンが力を込めて切り付けても、毒蛇の鋼よりも硬い鱗には傷一つ付かず、
「多段矢ぁ!」
リオンの放った雨のように降り注ぐ矢の中でも、毒蛇はダメージが通っている素振りすら見せず、蠢いた。
「このぉ! 火ノ(ファイヤボルト)矢!」
無我夢中でムートンは足元から数えきれない程の真っ赤な炎の矢を放つ。
矢が毒蛇に突き刺さり、爆ぜ、ムートンの視界を紅蓮の炎が赤く彩る。
しかし毒蛇は爆発をものともせずに突き進んでくる。
「SYHA!」
たった一発の矢が毒蛇の口の中へ飛び込み爆ぜた途端、毒蛇は一瞬動きを止め、これまで以上に怯んだ。
――あそこが弱点か! だったら!
対処が分かったならば手の打ちようはある。
そう思い態勢を整えようとしたとき、炎の中から毒蛇の尾が横なぎで飛び出してきた。
「うわ――っ!?」
「あう――っ!?」
岩のように大きく、鋼よりも硬い尾がムートンとリオンを突き飛ばした。
二人は遥か遠くの氷塊に叩き付けられる。
傷口が開き、深い窪みができた氷塊に真っ赤なムートンの血がしたたり落ちる。
これでもし、突き飛ばされる寸前に”魔力障壁”を張っていなければ、一体どうなっていたことか。
あまりに敵は強大で、厄介な相手と思い知らされた。
――やっぱり私じゃ届かないのか……シャドウを滅ぼすことはできないのか。それがシャトー家の血を持つ、私への罰なのか……
そんな弱気が沸き起こり、それまでしゃんとしていた意識が突然呆然とし始めた。
身体が凍えるように寒く、大切な得物である魔剣さえ握るのが億劫に感じられる。
「ムー! しっかりする! 諦めない!」
「ッ!!」
そんな中リオンの声が響き、彼女の弱気は霧散した。
ここで倒れるわけにはいかなかった。ここで倒れては世界の終り。
すなわちそれは、せっかく婚姻できたケンとの幸せな生活が果たせなくなること。
――そんなの絶対に嫌だ! 絶対に!
ムートンの身体に熱が戻り、彼女は残ったもう一方の魔剣「シュナイド」の柄を強く握りしめた。全身から滴る血など気にも留めず、両の足でしっかりと地面を踏みしめる。
「ありがとう、リオンちゃん。戦おう、一緒に!」
「あう!」
そう決意してはたりと思った。
――そういえばさっきからなんで一切攻撃が無いんだ?
シャドウが変身した毒蛇は依然健在だった。
しかし不思議なことに毒蛇は、その場で狂ったようにのた打ち回り、所構わず毒液を吐き続けているように見える。
動きに規則性は無く、まるで、ただ暴れているようにしか見えない。
――……アモン、ちょっと良いかな?
ムートンは意を決して、魔剣「シュナイド」に宿る六位魔神アモンへ、心の中で語りかけた。
『主から力の解放以外で話しかけてくるなど初めてだな。この期に及んで私に聞きたいこととは?』
メイに良く似たアモンの声が響く。
この声を聞くたびに、ムートンは懐かしさとそして喪失の悲しみで胸がちくりと痛む。だからこそムートンは意識的にアモンと会話しないようにしていた。
しかし今は、過去の傷を抉ってでも、魔神の意見に頼りたかった。
――アモンから見て、今のシャドウ……アンドロマリウスはどう映る? なんとなくなんだけど、あれって力が制御できてなくて、暴走しているだけなんじゃないかなって思うんだけど。
『ご明察だ。主の言う通り、あの魔導人形とアンドロマリウスは互いの力が干渉しあって、ただ闇雲に暴れているだけだ。あの蛇の中では莫大な魔力が渦巻いている。その力に耐えかねてのたうち回っている、と表現した方が良いな』
予想が解答なって帰ってきたことにムートンは安堵した。
――なるほど。ありがとう、アモン。参考になったよ。あと「ナハト」折っちゃってごめんね。
『気にするな。私は既に主のもの。いずれ直してくれれば構わん』
――ありがとう。じゃあ、あと少しだけ宜しくね!
『心得た! 私の力存分に使うがいい! 我が主ムートン=シャトーよ!』
随分とアモンが饒舌なような気がした。もしかすると彼女は、ムートンとの語らいを望んでいたのかもしれない。これからは、ちゃんとアモンとも会話をしよう。
そう思い、ムートンは魔剣を握りなおした。
「リオンちゃん、あの毒蛇、そろそろやっつけちゃおうか?」
ムートンは敢えて、何でもない、ありふれたことのように言う。
すると、リオンは八重歯を覗かせて笑った。
「あう! 倒す! 僕たちで!」
ムートンはリオンの自信に満ちた綺麗に輝く翡翠の瞳を覗きこむ。
それだけで強い勇気が湧いた気がした。
もはや弱気など、今の彼女の中には一切なかった。
「これで終わりにするよ! リオンちゃん! アモン!」
「あう!」
『心得た! 主よ!』
ムートンは紅蓮の炎を纏い、翡翠の風となったリオンを引き連れてまっすぐと飛んだ。
「多段矢ぁ!」
後ろに続くリオンが、空へ向けて翡翠の矢を放つ。
空に達した矢は幾つにも分裂し、矢の雨となって蠢く巨大な毒蛇へと降り注ぐ。
やはりダメージは一切見受けられない。
だが、注意を引くことはできた。
「出し惜しみ無しだぁっ! 全部もってけぇ!」
ムートンは数えきれない程の火球を、炎ノ矢(ファイヤ―ボルト)を放った。
狙いは全て、大きく開かれた毒蛇の口。
全ての炎が毒蛇のあんぐり開いている口の中へ飛び込み、爆ぜる。
口の中で爆発が起こる度に毒蛇は巨体を震わせて、明らかに怯んでいた。
その隙にムートンは魔剣「シュナイド」へ力を集める。
魔剣が炎を発し、激しく燃え上がる。
ムートンは力を振り絞って、飛翔した。
「これで終わりだぁぁぁ! 炎魔神断罪!」
毒蛇の口へ狙いを定め、全ての力を注ぎこみ、魔剣を横へ凪ぐ。
瞬間、体勢を立て直した毒蛇の口が堅く閉ざされた。
魔剣は固い鱗に防がれ、注いだ全力がムートンの右腕へ逆に流れ込んでくる。
ゴキリ、と嫌な音がして、鋭い痛みが腕から全身に広がった。
「く、くそぉ……! 腕が……!」
着地したムートンは恨めしそうに毒蛇を見上げる。
魔剣を握りなおそうにも、衝撃で腕の骨がどうにかなってしまったのか、指先が震えるばかりで全く力が入らなかった。
そんなムートンを毒蛇は赤い双眸で睥睨し、あんぐりと口を開ける。
喉の奥から、赤い毒液が沸き立つのが見えた。
――絶好のチャンスなのに……! それなのに……!
冷たく動かなくなったムートンの右腕に僅かな温かさが宿る。
気づくと、リオンが動かなくなったムートンの腕をそっと握りしめていた。
丸く宝石のようなリオンの翡翠色をした瞳。
「リオンちゃん……?」
「ムー、僕も手伝う! だから!」
それが強い決意を表すように光り輝いていた。
それだけでムートンは全てを察した。
「良いんだね?」
「覚悟、できてる!」
リオンはよどみなくはっきり答えた。
「……ありがとう。じゃあ、行くよ!」
「あう!」
ムートンはリオンと寄り添うように立ち上がり、そして毒蛇を見上げた。
「力をよこせ、アモン!」
『心得た! 主よ、ムートンよ、燃やせ! お前の怒りの炎を!』
六位魔神アモン由来の業火が傷だらけのムートンを紅蓮で明るく彩る。
「バルバトス、力!」
リオンもまた八位魔神バルバトスの力を解放する。
”炎”は”風”を受けて更に激しく燃え上がった。
それは足元の凍土を、凍てつく周囲の空気さえも、常夏のように熱し、燃やしてゆく。
その激しい炎を前に、巨大なアンドロマリウスの毒蛇は怯んだ。
「「これで終わりだ、シャドウ、ウィンド!」」
その時、二人の魔力が臨界を迎え、炎が光となった。
「「銀ノ翼!」」
ムートンとリオンは声を重ね、そして燦然と輝く”銀の翼”となって、突き進んだ。
その荘厳で暖かな輝きは巨大な毒蛇を飲み込み、優しく包み込む。
更に輝きが増し、氷の大地は一面白の世界へと誘われる。
やがて光が捌け、そこには何も残ってはいなかったのだった。