白閃光の決意(*ミキオ視点)
まるで貴族か王族が眠るような豪奢で立派なベッドがそこにはあった。
ベッドを囲む調度品はどれも高価なもので、立派な花瓶に生けられた美しい花束は薄闇の中へ、その鮮やかな色彩を放っている。
まるでおとぎ話出てきそうな、お城の中にある貴賓室。
かつてこの世界に奴隷兵士として転移転生させられた”松方 幹夫”と”森川 智”が夢想した初夜の部屋。
しかしここは城の中でもなければ、貴賓室でも無い。
不気味で凶悪なモンスターが跋扈する死の空間。
世界の破壊者、栄光のブラッククラスパーティー:グリモワールが根城とする、序列一位迷宮バエルの深層部の一角であった。
「……」
「……」
穏やかな寝息が上がり、溶けては消えて行く。
豪奢なベッドの上には素肌を全て晒したシャギとオウバがいた。
二人は真っ白で絹のように滑らかな手触りのシーツにくるまって、深い眠りに落ちている。
そんな姉妹の穏やかで可愛らしい寝顔を見て微笑む男が一人。
グリモワールのリーダー、史上初のブラッククラス、白閃光ミキオ=マツカタである。
つい先刻まで無我夢中で愛し、愛された熱は心地よい余韻となって、ミキオの心を潤し、満たしていた。
――やっぱ似てるよなぁ、智と望に……
もう二度と会うことは叶わない、大切だった”森川姉妹”瓜二つな”アイス姉妹”
特に姉のシャギを見る度に、ミキオは守りたかった、しかし守ることができなかった大切な人のことを思い出し、胸を痛める。
艶やかな黒髪。
少しつり上がっていて意志の強そうな目をしている癖に、案外泣き虫で弱虫。だけどいざという時は、自分を支えてくれて、助けてくれる幼馴染の彼女。
何度もシャギはシャギ=アイスであり、彼が愛した”森川 智”ではないと思いこんだ。
そうでなければ深い愛情を注いでくれるシャギに失礼極まりないと思ったからだった。しかし気が付けばやはりシャギを智として見てしまうミキオがいたのは確かだった。
そうすると決まって、自分の悲願とはまた別の、笑ってしまいそうな程ちっぽけな想いが胸を過る。
――世界の破滅とか、作り変えるとか、そんなの止めて、シャギ達とどこかで静かに暮らそうか……世界を壊さず、このままで……
否。
もはやミキオは引き返せないところまで来ていた。
この世界はミキオやグリモワールの手によって、未曽有の混乱に見舞われた。
彼は既に数多の命を殺め、数多くの幸せを踏みにじってきた。
全てはシャギにオウバ、シャドウやウィンド、そして自分が幸せに暮らせる世界を創造するため。かつてこの世界に殺された智や望、景昭や風太の無念を晴らし、この歪んだ世界へ復讐し、正すため。
――必要な魂は集まった。
敢えて想いを断ち切るように、これまでの状況整理に頭を切り替え、ベッドで眠るシャギへ背を向けた。
悲願であった【世界破滅計画】は順調。
これまでの混乱は人の魂を肉体から解き放ち、集めることにあった。
それも全て、計画の最終章のため。
そして必要な魂が集まった今こそ、最終章へ移るべきタイミング。
もはや黒皇など構う必要は無い。
そんなことを考えているミキオのシャツの裾が引かれた。
自然とつま先が返る。
シーツで体を覆っていたシャギは、摘まんでいた裾を離す。
顔はうつむいたまま、表情はうかがい知れない。
「どしたの? もしかして一緒にトイレ行って欲しいとか?」
ミキオは顔に笑顔を張り付けて、おどけてみせた。
しかしシャギは俯いたまま答えない。
「ミッキー、あの……」
細く綺麗な指先が再び彼の裾を掴み、僅かに力が籠る。
瞬間、胸がキュっと締まり、張り裂けそうな想いが膨らむ。
きっとシャギはこれが最後だと分かっている。
黒皇を放っておいてまでもバエルへ呼び戻され、貪るように愛し合った意味を理解している。
正直なところミキオも自分の選択に寂しさを感じていた。
もう二度とシャギに触れることができなくなることに戸惑いと不安を抱いていた。
――だけど俺は決めたんだ。この世界を破壊しつくして、新しい世界の創造を。シャギやオウバ、ウィンドにシャドウが幸せに暮らせる新世界を……!
想いは断ち切るべきだった。
しかし今、そうしてしまえば後悔が生まれると思った。
――だけど、せめてこれぐらいは……
ミキオは一歩踏み出し、腕を開く。
そしてまるでか弱い小動物のように震えているシャギをそっと抱きしめた。
「大丈夫、俺はいつもシャギの傍にいるよ。たとえどんな姿になろうとね」
「うっ、うっ、ひっく……」
シャギは必死にミキオの胸の中で、頷き続けていた。
ミキオの胸はシャギが流す温かい涙で濡れる。
彼女の悲しみが痛いほど伝わってくる。
きっとシャギは”行かないで欲しい”と云いたいのだろう。
もう世界の破滅なんて忘れて”ずっとこのままでいよう”と叫びたいのだろう。
しかし彼女はそれを必死に堪えて、ミキオを送り出そうとしている。
その想いがあるからこそ、彼女は涙はするも、何も言おうとはしない。
気高いシャギの気持ちは、ミキオに決意を改めさせる。
だからこそ彼も胸に燻ぶっている小さな幸せへの羨望は、決して口にはしなかった。
「シャギ、頑張ろう。それで俺たちの悲願を叶えよう。みんなが幸せに暮らせる理想の世界を創造するために!」
「ごめんなさい、ミッキー……困らせて」
「ううん。俺の方こそごめんね」
離れがたいと思う。だからこれ以上は未練が残ってしまう。
智に良く似た陽だまりのような香りをミキオは目一杯吸い込み、胸の内を満たす。
想いが残らないよう、記憶にはっきりと刻み込むように。
するとシャギ方から離れた。
鮮やかなルビー色の瞳に迷いは無く、彼女は僅かに微笑んで、そして、
「いってらっしゃい、ミキオ。貴方は私が守るわ! そして創造するの! 私達グリモワールの手で、理想の世界を!」
シャギに初めて”ミキオ”と呼ばれ目頭が熱くなった。
まるで目の前にかつて愛した最愛の幼馴染がいるような気がした。
もう一度抱きしめたかった。
かつて星空の下、彼女と夢想した部屋を模して作ったここで、彼女と愛し合いたかった。
だが、それは叶わぬ願望。これ以上はダメ。
そんなことをしても、強く気高いシャギは喜びはしない。
だからミキオは沸き起こった欲望を固く閉ざし、心を再びグリモワールのリーダー、世界の破壊者:白閃光のミキオ=マツカタに切り替える。
「ありがとう。じゃあ、行ってきます!」
ミキオは振り返ることなく部屋を出て行く。
ぱたんと扉が閉まった途端、シャギの膝から力が抜けた。
彼女は声を押し殺し、あふれ出る涙に耐え続ける。
しかし涙は止まらずあふれ出るばかり。
「姉様……」
すると、いつの間にか起きていた妹のオウバがそっとシャギを背中から抱いた。
「オウバ……うわぁぁぁー! ぁああっ……ミキオ……行っちゃやだぁ……!ミキオぉっ……ッ……!」
「一杯泣いてください……姉さんの気持ち、全部受け止めます。だから後悔しないぐらい泣いてください……どんどん泣いてくださ……ひっくっ……」
シャギは起き上がったオウバに抱かれ、声を押し殺して泣き叫ぶ。
そんな姉をオウバは抱きつつ、涙するのだった。
●●●
「もう良いのか、リーダー」
部屋を出ると不気味なバエルの岩壁に背中を預けて佇んでいたシャドウが声を掛けて来た。
「ああ! もう十分! 忙しいところ時間を作ってくれてありがとね、シャドウ!」
ミキオは満面の笑みを浮かべて、寡黙だが仲間想いの黒衣の戦士へ握手を求める。
シャドウは快く応じ、魔道金属の固い掌で、ミキオの生身の手をしっかりと握りしめる。
どことなくかつてこの世界に殺された、”影山 景昭”によく似ている彼。
彼にはこれ以降のグリモワールの指揮を任せていた。
――きっとシャドウならシャギやオウバ、ウィンドに良くしてくれる。彼にだったらみんなの明日を任せることができる。
「これからよろしく頼むぜ、グリモワールの新しいリーダーさん!」
「……承った。任せろ。皆に危害を加える者は全て、駆逐、破壊、殲滅、だ」
シャドウの兜の奥で、僅かに赤い双眸が揺らめいたような気がした。
「さっ、行こうぜミキオ兄ちゃん!」
ずっとシャドウの脇にいたウィンドが快活な声を上げた。
もう一人の友人、”佐々木 風太”と同じく、ウィンドはいい意味でこの少ししんみりしやすいパーティーの空気を明るく彩ってくれる。
「だな! ウィンド、グリモワールの資金は頼んだぜ!」
「まっかせろってんだ! 俺がきっちりみんなの財布を管理してやんよ! 代わりに兄ちゃんはこの糞な世界を頼んだぜ!」
「頼まれた!」
ミキオはニカッと笑い、ウィンドも応える。
もはや思い遺すことは、もう何もなかった。
「おっし! じゃあ行こう! 世界破滅計画の最終章を始めるために! 護衛よろしくねシャドウ、ウィンド!」
「了解!」
「おうよ!」
ミキオはシャドウとウィンドに挟まれ、迷宮の奥へと消えて行く。
――これで全てを終わらせる。そして世界を作り変えるんだ。俺の、俺たちの手で!
ミキオは覚悟の下、第一位迷宮バエルの最深層部を再び目指して進んでゆくのだった。
【ご案内】
本部分にて最終章の半分の掲載が終わりました。
これ以降、最終決戦パートへ移ります。
後半もどうぞよろしくお願いいたします。