空を駆ける魔神の船
「ッ……はぁぁぁっ!」
ケンの氷の刃がザンゲツを切り捨てる。
そしてぴたりと身体の動きが止まってしまった。
額からは滝のように汗が流れ、肺は酸素を求めて激しく躍動を繰り返す。
しかし休む間は皆無。
幾ら倒そうともアイス姉妹の呼び出したバエルの守護者の一角であるザンゲツデーモンは無限に復活し、平然と襲い掛かってくる。
そして上から感じる強大な感覚。
無我夢中で横へ飛び、地面の上を砂まみれになりながらゴロゴロと転がる。
さっきまでケンが居たところへ黒い稲妻が落ち、地面を抉っていた。
「「あはは! まるで地を這いつくばる虫けらのようだ! 無様だな、黒皇!」」
アイス姉妹は余裕の笑みを浮かべて、赤い月を背にケンを見下ろしていた。
今すぐにでも飛び上がってアイス姉妹を地面へ叩き落したかった。
そうすればこの泥沼のような戦いに終止符は打てる。
しかし無限に生まれ、倒しても絶え間なく復活するザンゲツはケンにその選択肢を与えない。
それでもケンは何度もザンゲツに対しての”スキルライブラリサーチ”を試みた。
その度にアイス姉妹の魔法攻撃が降り注ぎ、試みは露と消える。
「きゃっ!」
疲労のため回し蹴りが空ぶったラフィへ、ザンゲツが体当たりを仕掛けて突き飛ばす。
彼女は地面の上を球のように転がった。
「ハ、多段矢ぁ……ッ!」
リオンが闇夜へ向けて翡翠の矢を放つ。瞬間、弓の弦が千切れた。限界を迎えたリオンは肩で息をしながら、地面へ膝を突く。
分裂した矢は正確に目の前のザンゲツを貫き、消し去る。
しかし次の瞬間にはもう新たなザンゲツが現われ、ゆらゆらと肩を揺らしながら、満身創痍のリオンへ迫った。
「く、くそっ! このぉぉぉぉっ!」
四人の中で少しばかり体力に余裕のあるムートンはラフィとリオンを守るように前に立ちはだかっていた。
彼女は懸命に炎の魔法を放ち、魔剣を振ってザンゲツを叩き切る。
その表情には苦悶が浮かんでいる。
「ぐわっー!?」
体力の消耗で感覚が鈍ったケンへ、四方八方から黒い爪を振り落とした。
切り裂かれ傷から血が噴き出し、仰向けに倒れ込む。
そんなケンを上空のアイス姉妹は満足げに見下ろしていた。
「そろそろいたぶるのも飽きたわね。ねぇ、オウバ?」
姉のシャギがそう云い、
「そうですね姉様。そろそろお仕舞にしましょうか?」
アイス姉妹は互いに手を取り合って頬を寄せ合う。
姉妹から黒と白の魔力があふれ出て、彼女達の前で渦を巻く。
壮絶な破壊の魔力の輝きは周囲を真昼のように明るく照らし出す。
「「さぁ、これでおしまいだ黒皇! 覚悟しやがれ!」」
――負けるか、こんなところで……!
最後の力を振り絞り、ケンは砂を掴んで立ち上がろうとする。
ここで避けねば、それこそ一貫の終わり。
しかし予期していたアイス姉妹の魔法は未だ降り注がず。
「な、なんだ、あれは……?」
代わりに聞こえたのはシャギ=アイスの震える声だった。
次いで雷鳴のような轟音が、ケンの鼓膜を揺さぶる。
彼もまた立ち上がり、そして空に浮かぶソレを見て、唖然としてしまった。
”巨大な楕円形の物体”がケンやアイス姉妹よりも上の空に浮かんでいた。
硬い金属の艦底は赤い月の光を浴びて鋭い輝きを放つ。立派な三本の船柱には青白い光のマストが張られ、揺らめき、巨大な艦を推し進めている。
【空を飛ぶ巨大なガレー船】
それは闇夜に浮かぶ赤い月を覆い隠し、ケンとアイス姉妹を黒々とした大きな影で覆った。
『……ッ!』
すると、突然全てのザンゲツデーモンが肩を震わせ、動きを鈍らせる。
『ひゅー! いつみても立派だぜ、グラシャラボラスの船は!』
星回りの指輪に宿る魔神アスモデウスは嬉々とした声を上げた。
――あれがグラシャラボラスだってのか?
『おうさ、兄弟。あれこそおめら人間とグラシャラボラスの融合した存在だぜ!』
――なんて都合よく……ていうかなんで船?
『おめぇ、知らねぇのか!? グラシャラボラスは乗り物だぜ!? んなの常識だろうが!』
常識と言われても……と思うも、今はそんなことどうでも良いと思うケンなのだった。
【兄貴たち、避けてくださぇ!】
どこからともなくマルゴの声が聞こえた。
上空の船から大きな魔力の気配を気取る。
「みんな影から出るんだ!」
そう叫びケンは飛ぶ。
彼の声に従って、ラフィ、ムートン、リオンも遮二無二巨大な影の下から飛び出た。
途端、船の側面が開く。
何本もの立派な砲が現われ、砲口にマストと同じ青白い輝きを収束させる。
砲が火を噴き、鋭く尖らせた青白い輝きが地表へ向けて降り注ぐ。
それはまるで矢のようにザンゲツを貫き、黒い霧へと変えて行く。
巨大な船の陰から外れているザンゲツは相変わらず復活を繰り返す。
しかし月明かりを遮られ、撃ち抜かれれば、復活すること無く、ただ黒い霧が夜の闇に溶けて行くだけ。
輝きは豪雨のように降り続き、確実にザンゲツを仕留め、その数を減らしてゆく。
もはやザンゲツデーモンの再生は巨大な空飛ぶ船に遮られ、完全に封じられていた。
力はゴブリンと同等な黒い影の悪魔は、次々と姿を消してゆく。
「チッ!」
シャギは忌々しそうに光りのシャワーを回避しながら舌打ちし、
「オウバがぶっ壊してやる!」
目を血走らせたオウバ=アイスは魔法障壁で、船の放つ輝きを弾き飛ばす。
そして自らDRアイテム「崩壊塔棒」へ魔力を収束させた。
途端、船から降り注いでいた光のシャワーがぴたりと止む。
「ッ!!」
突然、オウバは背筋を伸ばし、目を見開いた。
「い、いつの間に……!?」
「忘れてたか? 俺のもう一つの力をよ?」
偉大なる魔神のもう一つの力。
気配は愚か、姿さえも消せる脅威の術。
”絶対不可視”
その力を使って、オウバの背後を取っていたケンは笑みを浮かべながら、右腕の筋肉を引き締める。
「二度もおなじ手を喰らう、てめぇは三下以下だっ!」
ケンはオウバの背中へ遠慮無く拳を叩き付けた。
オウバは逆くの字に身体を曲げて、真っ直ぐと地面へ落ちて行く。
そんなオウバを待ち受けていたのは、ラフィ。
彼女は尻尾を逆立て、足に紫の魔力を滾らせ飛んだ。
「狼牙宙返脚!」
「がっ!?」
鮮やかな宙返りが闇夜を引き裂き、鮮やかな軌跡を描いて、オウバを蹴り上げる。
「させるかぁぁぁーっ!」
空中でオウバに止めを刺そうとしていたケンへ、黒い魔力の爪を発現させたシャギが飛びかかる。
ケンはオウバへの止めを諦め、ひらりと身をひるがえして、爪を避ける。
シャギは飛んできたオウバを力強く抱き留めた。
「オウバ! しゃんとなさい! オウバッ!」
「ね、姉様……けほ! す、すみま……ッ!?」
アイス姉妹は揃って目を見開き、驚愕の息を吐く。
彼女達の瞳に、真っ赤な紅蓮の炎が映っていた。
「流石の私もさ、我慢の限界だったよ……まぁ、あの街を爆破するって決めたのは私だけどさ……」
「「ッ!?」」
「だけどお前らが攻めてこなきゃああはしなかったんだ! 迷宮都市の恨み、晴らさせて貰う! 炎魔神断罪!(イフリートディスティニー)!」
ムートンはアイス姉妹へしっかりと狙いを定め、真っ赤に燃える二振りの炎の魔剣を薙いだ。
寸前で姉妹は魔法障壁を張る。
しかし怒りの炎の斬撃は障壁を粉々に砕いた。
空中でアイス姉妹の姿勢がぐらりと崩れる
「拘束射!」
リオンの叫びが響いた。
地表からリオンはアイス姉妹へ向けて翡翠の矢を放つ。
それは姉妹の周囲を高速でグルグルと廻り、決して切れることのない光りの縄へと変化する。
シャギとオウバは背中合わせに拘束された。
「こ、この!」
「外れない……!」
アイス姉妹は必死に体から魔力を発して揺さぶり、翡翠の縄の拘束を解こうと身じろぐ。だが縄は食い込むばかりで、一向に溶ける気配を見せない。
もはやアイス姉妹に逃れる術はなし。
そんな姉妹を鋭く睨みながら、地上に降りたケンは、星廻りの指輪を大地へ叩きつけた。
赤紫の魔力を浴びた地面が激しく揺れ、土や石が寄り集まり隆起してゆく。
全てを打ち砕き、そして葬り去る魔神の拳。
「覚悟しろ、アイス姉妹! 魔神飛翔拳!」
ケンの声を受け顕現した巨大な岩の拳が手首から真っ赤な炎を吹きながら飛び出した。 闇夜を切り裂いて偉大な魔神の拳が、姉妹を打ち砕かんと進んでゆく。
その時、アイス姉妹と岩の拳の間に、漆黒の影が割って入ってた。
「殲滅ッ!」
縦一線に振り落とされた蛇の剣は岩の拳を両断する。
そればかりか剣圧は衝撃波となって地面をも切り裂く。
グリモワールの暗殺者:シャドウ。
ケンは改めてシャドウの恐ろしさを肌で感じる。
「そら解けたぞ!」
その隙にもう一人のグリモワールのメンバー:荷物係のウィンドが、翡翠の縄からアイス姉妹を解放していた。
アイス姉妹とウィンドは揃って地面へ音も無く降り立つ。
「「よくもやってくれたな。ただで済むと思うなよぉっ!!」」
姉妹は怒りに満ちた視線をケン達へ向け、魔力を高ぶらせる。
だがそんな姉妹の前をシャドウが塞いだ。
「どきなさないシャドウ!」
「姉様の仰る通りです! この恨み晴らさなければ収まりません!」
「至急リーダーよりの帰還命令! 今宵の遊戯はこれにて閉幕! 繰り返す、ミキオが二人を呼んでいる! オレとウィンドはそのために来た!」
するとアイス姉妹は悔しそうに口元を歪めながらも、大人しく魔力を収めた。
「「てめぇら覚えてろ! 次会った時がお前達の本当の最後だ! おい、ウィンドさっさとしろ! 私達を早くバエルへ帰らせろ!」」
「へいへい、わぁってますって。んったく、人使い荒いんだから……」
渋々と云った様子でウィンドは背中に背負ったリュック型のDRアイテム”次元背嚢の蓋を開けた。
リュックはまるで掃除機のようにアイス姉妹とシャドウを吸い込み、最後はウィンドさえも中へ納め、煙のように消える。
東の空より眩い夜明けの光が、空に浮かぶ巨大な鋼の船を煌めかせる。
森と村には静けさが戻り、ケン達はようやく緊張を解くのだった。