ほんのり、する……。
意外にも、宿屋ではなくその裏手に作られた彼女とご両親の御自宅に招かれた。
ご両親は宿屋の仕事で忙しいらしくご不在だったけれど、まるでヴィオみたいに暖かい雰囲気の、木の香り漂うカントリー風のお家。
むきだしのでっかい梁もまだ真新しくて、おそらく建ってからまださほどの時が経っていないのだろう。
キッチンからはふんわりと湯気があがっていて、鼻唄を歌いながら何やらお鍋の中身をかきまぜているヴィオの後姿が、とてつもなく安心する。
言ったら怒られる事間違いなしだから口が裂けても言えないけど、なんか、お母さん思い出しちゃうなぁ。
元気かな、もし私がこのまま帰れなくなっちゃったら、家族は、友達は、同僚たちはいったいどう思うんだろう。
次々と、懐かしい顔が浮かんでは消える。
これまでは旅の中でどれだけ時間が経っても、浄化さえ終わらせてしまえば召喚されたあの日あの瞬間に戻れるって思ってたから、こんな不安はなかった。
二度と、会えなくなるかも知れないなんて。
もっとちょいちょい、里帰りすれば良かった。弟のカズだって、就職の相談に乗って欲しいって言ってたのにプロジェクトで忙しくって、次に家に帰った時にねって待たせてた。
ユウや明日香とも、もっとたくさんくだらない話をすれば良かった。あんな風になんの気兼ねもなく話せる友達なんて、年々少なくなっていってたのに。
涙がジワジワと湧いてきたから、目から溢れちゃわないようにヴィオの背中をジッと見つめた。
……ああもう、ずるいよ。
ヴィオのエプロンの結び目、縦になってる。
お母さんもそうだった。ぶきっちょだね、って笑ってさ、時々結び直してあげたんだ。
もうダメだ、涙を堪えるのも限界なんだけど。
臨界点をついに超えて、ボロっと涙が溢れた瞬間、ヴィオが勢いよく振り返った。
「できたよー! って、うわ、もう泣いちゃってるし!」
トレイを片手に走り寄ってきたヴィオは、乱暴にエプロンの裾でグイグイと私の顔をこする。
「あーもう、何があったのさ。ゆっくりでいいからさ、アタシで良けりゃ話してよ」
とりあえず飲みな、と温かいミルクティーをくれる。ジャスミンみたいな落ち着く香りがする、不思議なミルクティーだった。
トレイの上には以前私がこの宿にお世話になった時に「好きだ」と言った、この港町のお菓子や果物、温かいスープが用意されていて、ヴィオが私を元気づけようとしてくれている事が感じられる。
その心づかいが嬉しくて。
ああ、なんだかほんのりする、なぁ……。
少しだけ落ち着いた私は、ミルクティーをちびりちびり飲みながら、訥々と事の経緯を話す。私の今ひとつ纏まらない話を、ヴィオは遮るでもなく聞き返すでもなく、ただ頷きながら聞いてくれていた。