第二話『はじまり』
勢い余って続きも書いてしまった……。
「――どうにも不可解だ」
HRを終えた教室にて、僕は一人呟いた。
冴えない顔であっても、なかなか不思議なことに一定の友人というのは存在する。いつもならば、そういう者たちの席に向かい、授業が始まるまでの時間を駄弁りつつ過ごすのだが、今日はそんな気分になれなかった。
気後れした、とも言えるだろうか。
「……男子まで美形になりおってからに」
今朝から驚きの連続であるが、ここまで徹底されるともはや呆れさえする。
つまるところ、美少女化は女子に限った話ではなかった。
「男子までイケメンになられちゃ、もう笑うしかないだろ?」
原因不明の事態に陥った人間が取りうる行動と言えば何が挙げられるだろうか。
まあ、まずは焦るだろう。次に取り乱し、さらに発狂する……って、これただ混乱がエスカレートしているだけで全部同じだ。
とりあえず、混乱する、と。
思考停止もあるだろうか。考えることをやめ、あるがままの現状を受け入れる。……僕はこの現状を受け入れられるだろうか? 僕以外の全員が美形になってしまった、この世界を。
――僕、以外?
「そうだ、そうだよ。肝心なことを確認してない」
僕自身は何か、変化したことがあるのだろうか。
僕の周囲、全員の容姿がグレードアップした。ならば、僕自身にも何らかの変化があってしかるべきだ。むしろそうであれ。
そうとなれば、確認すべくトイレへと向かった。
ああ、こんなにも鏡を眺めるのが楽しみな日がかつてあっただろうか。いや無い。鏡を見れば、そこには醜い怠惰な男の顔が映るのみだから。
だがそれも今日まで。周囲と同じように美形になっていたのなら、これからは毎日、どころか毎時間毎分でも鏡を見るだろう。
さあ、生まれ変わった自分とご対面だ――。
◇
「そこには、予想通りのイケメンがいたんだ。いたんだけどな、それがな、」
「授業中に見た夢だった、と。なんというか、すげえベタだね」
昼休み、午前の授業を消化し、次は昼食を消化している。
「まあ、居眠りしている間に見る夢にしては、割と整合性のある珍しい夢なんじゃないかなあ」
パリッ、とパンの袋を開ける美少女――否、女子にも見える美少年。彼は僕の友人である。
「……夢、夢ねえ」
これが夢であったならどれだけよかったか。実際には夢などではなかった。夢であったのは、僕がトイレに向かい、自分がイケメンであったことを確認した下りのみだ。それ以外は依然、変わらぬ事実として僕の視界に展開される。
「……さっきから俺の顔ばかりじろじろ見てるけど、なんかついてる?」
「いいや?」
この友人の顔だってかなり美化された。元から整っていたとはいえ、それは男子という性別においてだ。しかし今の彼は、どう見ても女子にしか見えない。それもすげえ美少女。いわゆる、男の娘、というジャンルになるのだろうか。初めて見た時はうっかり惚れそうになった。
「…………」
美少女に、イケメンに、男の娘。着実と現実が二次元化している現状に、思うところがないでもない。
しかし、前向きに捉えれば、この状況は天国に等しいのではないか?
これまで確認したところによれば、彼ら自身は変化に気づいていないし、違和も感じていない。この状況を知覚していて、楽しめるのは僕だけだ。
美少女たちの好意が僕の向くことはあり得ないだろうけれど、精々楽しませてもらおうではないか。
「ちなみに、さっき慌ててトイレに行ってたみたいだけど。鏡にはどんな顔が映ってたのさ?」
「そこら辺にいそうな、手入れを怠ったニキビ面だよ」
◇
「ブラコン妹、天然母、美少女委員長、友人の男の娘……濃ゆい」
軽くエロg……ギャルゲーを作れそうな面子ではないだろうか。
まあ? 僕には主人公に必須な、顔面偏差値と性格イケメン度が足りてないんですけど。
「なんにしても、僕の周りは華やかに、そんでもって潤ったよなあ」
日常的に願っていたことが叶ってしまった。これであとは、僕がモテ男にでもなれれば完璧なのだが、それはあり得ない。
何も卑屈になっているわけではない。自分が努力を怠っているとか、今回はそういうことを言うわけでもない。
「だってほら、男子までイケメン化しちまってんじゃん。僕一人ダサ男だぞ」
これでどうやって女子の気を引けと言うのか。ハードルが跳ね上がった気さえする。
……いや、僕はこの状況を楽しむと決めたのだ。幸いにして、人間関係がリセットされた、などということもない。今まで通り、冴えない高校三年生としてみんなと接しようではないか。
「それじゃ、俺は部活行くから。また明日」
放課後になり、友人はそそくさと教室を出て行ってしまった。この夏が高校生活最後の部活になるかもしれないのだ。それはもう、気合いの入り具合が違う。
僕も何か部活に所属していれば、違った高校生活を送れたのだろうか。今更何を言おうとも、遅いけれど。
僕も頃合いを見て帰ろう、と荷物をまとめていると、
「あ、ねえ、プリントまとめるの手伝ってくれやしません?」
今朝と同じ調子で、委員長が話しかけてきた。
◇
「僕が学級委員だったのは去年の話だろうに、なんだって今年もその仕事をやらなきゃいけないんですかね」
「いいでしょ、掘るもんでもなし」
「……んん?」
「減るもんでもなし」
よくある学級委員の光景をそのまま体現するかのように、二つの机を並べての作業。僕と委員長は去年も同じクラスで、度々こうして机を合わせて作業をしたものだ。僕が彼女と普通に話すことができる一端には、そういった事情もある。
「ええと……あれ、今年の男子の学級委員誰だっけ。僕じゃないことは確かなんだけどなあ」
「誰だっけねえ。忘れちゃいました」
「委員長がそれでいいんでちょ……なんでもない」
「ねえ、ホッカイロ持ってたりしない? もしくは湯たんぽでも囲炉裏でも、温まるものならなんでもいいんですけど」
「委員長今の季節わかってるの初夏ですけど十分暖かいどころか暑いけど!?」
いやまあ、酷かったとは思っているけれど。それにしたって辛辣だ。
「はいはい、その口をホチキスで綴じようか?」
「…………」
以降三十分、僕は無言で作業をし続けた。
その甲斐あって、作業はすぐに終わった。
◇
――今なら誰もいない。
部活に所属している生徒はすでに部活に向かったし、所属していない生徒も大方帰り終えた。姿を見咎められることはない、はず。
手にした桃色の封筒。それをうっかり握りしめそうになり、ハッと力を抜く。
大丈夫。彼ならば、これを受け取っても言いふらすことなんてしない。だから、勇気を出そう。
大丈夫。今の自分ならば、受け入れてもらえるはず。だから、
―――― を出そう。
◇
カサリ、と。桃色の何かが下駄箱から落ちた。
「なにそれ」
委員長が問う。
……下駄箱から落ちてきた桃色の封筒。ここまで状況証拠が揃っていて、答えに辿り着けない男子高校生などいるのだろうか。いやいない。
しかし、落ち着け僕。これは本当にアレなのか? 先ほども、周囲が美形になった世界で僕がモテることなどあり得ないと結論が出たではないか。
余計な期待は、自身を傷つけることになる。
――だが、こうも言った。
幸いにして、人間関係がリセットされた、などということもない。
こんな世界になってしまう前から、僕のことを好きな女の子がいたとしたら?
可能性としては低いが、あり得ない話ではない。と、思いたい。
傍に委員長がいるが、僕は逸る気持ちを抑えられずその封を切った。
『あなたがすきです』
僕が主人公のラブコメが、この瞬間、始まった。