≪第三四話≫ No.36-Ⅱ
≪第三四話≫ No.36-Ⅱ
今日の白根は、現国道8号線沿いにある細長い街並みが続く人口3万人の市街地である。当時は1500世帯程の街並みが街道に広がり、凡そ6500人程の人口があった。笹川常満を頭に500人の稲島軍は、寝静まっている城下を縫って本丸の南側を囲んだ。この城の本丸は、先回の斎藤氏の攻撃で炎上し、修復中であった。建て替えの足場が組まれていたが、ここに稲島勢が一斉に火矢で攻撃したので、夜空に赤々と火が立ち上った。
その後一刻半の攻防があったが、城内の守備兵達も必死で抵抗したので、常満率いる稲島軍は、夜明けと共に一先ず攻撃を止めて兵を引いた。
斎藤方の反撃は、その日の日暮れ近くに始まった。鵜の森支城にいた斎藤義興は、白根からの急報を聞き、三条に知らせを走らせると、自ら兵を率いて白根に向かった。又、周辺の味方衆にも伝令を送って追撃軍を収集させたので、合わせて1300人の軍勢が白根城に向かう事になった。
義興軍は、途中で合流した兵を合わせ、凡そ700人が戸頭まで進んで来た時に、突然、中之口川側の林の中から、永島公英率いる稲島騎馬軍団の奇襲を受けた。
200騎の騎馬団は、始め一丸となって詰め寄せたが、3町(約300m)先で、20騎づつ、小隊に分れ、丁度扇を広げるように散開して、斎藤軍の隊列の先頭から、後尾に向けて突進して来た。
稲島騎馬団の巧な戦術に、斎藤勢は対応出来ず、刀で寸断された様に陣形が乱れ出した。義興はそれでも、周りの者たちに呼ばわって、「陣形を崩すな!! 敵は多くないぞ!!」と自らが駒を飛ばし、味方を収集させた。
稲島騎馬団は、斎藤軍を分断した後、一旦敵勢から離れて隊を纏め、今度は40騎づつで、5方に分れて再び敵の隊列に切り込んで行った。それを2度程繰返されると、斎藤軍は陣形がズタズタにされて、隊列を完全に壊されたていた。そこに、白根城を囲んでいた、笹川常満率いる500の軍勢が、追い討ちを掛けて来たので、斎藤義興は、堪らず兵を退却させざるを得なかった。
稲島軍は、戦後、全軍で再び白根城を囲んだが、火矢による火攻めをして、夜半には白根大橋を渡って引っ返して行った。
白根城の奇襲、義興軍の敗北を受けて、斎藤方は三条城にて、緊急の評定を計った。 城の評定の広間に50人程の武将が集って来た。中央の上座に斎藤義政と義兼が並んで座っている。当主である義兼が右側の首座であるが、集った諸将達は、左側の義政が事実上の采配を握っている事は熟知していた。
一同が揃った所で、筆頭家老の石田吉衛門芳時が一同を見渡して声を上げた。
「ご一同の方々、ご苦労様でござりまする。只今より戦評定を行い申す。先ずは斎藤家・当主義兼より挨拶がござる。」
「皆の方、至急の参議かたじけない。評定の前に、此度当家と親書を交わした新津・秋葉家の筆頭家老・大場實春殿から、ご挨拶頂こう。」
義兼の指示に実春が答えた。「秋葉家・筆頭家老 大場実時改め、實春でござる。此度、当主・時盛の名代として参議致しました。お見知りおき下さいます様に。これなるは、我、甥の實敏にござる。」と紹介した。
「大場實敏にございまする。宜しゅうお頼み申し上げまする。」
「實敏殿、お年は幾つに成られたか?」と義兼の問いに實敏が少し緊張した赴きで答えた。
「は、はい、当年、23となりました。」「さようか。ならば時盛殿とは、年差が無いのう。立派なお身内がおって實春殿も安心であるな。」「恐縮にござる。」と義兼の儀礼的な言葉に實春も応じた。
「義兼、早う評定を始めよ。」と渋く低い声で、黙って聞いていた義政が眼を見開いて指示をした。その声に一同畏まって緊張した。
当主の義兼は、頷いて「先ずは、義興!いままでの戦のあらましをお伝えせよ。」
「はっ、お館様、畏まりまいた。先日、22日夜半、稲島勢は突如中之口川を渡り、白根城に夜襲をかけ、修復中の本丸を攻撃して参った。辛うじて城は防備致したが、彼奴らの狙いは援軍を奇襲する狙いで有ったのだ。
我らは鵜ノ森城の周辺の兵1300を白根城に向かわせたが、途中、戸頭辺りで、わしが率いる700の軍勢に、稲島の騎馬軍団凡そ200騎が突如攻め寄せ、更に白根城に攻め寄せた笹川常満率いる500の兵が、押し寄せて参った。
我らは、応戦したが敵の騎馬隊が巧みに攻め寄せ、我が隊を崩しに掛ったので一旦は鵜ノ森城まで、引き上げ申した。
その後、2度稲島勢は、白根城を攻めたが本丸の一部を焼いただけで、中之口川を引き上げて行き申した。今、焼落した本丸の一部と白根大橋の関門を修復させてござる。」
「義興!その位でよい。勝重、次は其方が報告致せ。」と義政が少し不機嫌な顔付きで黒江勝重に命じた。