≪第三二話≫ No.34-Ⅱ
≪第三二話≫ No.34-Ⅱ
「突然の文に恐縮致し候。
天意あれば、この文がそこもとに届くと信じ、お渡し致した。
一年前の攻防戦、まだ昨日の事の様に思えて候。
運あってか、この身の命果てずに、今、草木に身を隠す我生業。
貴殿との戦、負け戦と云えど、我が身にとり、終生の誉れとならん。
願わくば、同舟の杯を酌み交わさんと欲す。
山辺 堂風 」
読み終えて、暫し天を仰いだ。「権坐、監物は他に何か云わなんだか」
「はい、『この文をお渡し頂いた後に、俊高殿の御返答が有らば、この先の白木屋という宿屋に届けてくれ。山辺堂風と云う名で部屋を取っている。』と申しておりまいた。」
「うっん。判った。この事は誰にも云うでない。暫く時を見よう。」「はっ。承知致しました。」
「お主よりも透太が良いな。暫く監物の動向を調べよ。権坐!」「はっ」と云って権坐が立去ろうとした時、
「権坐。お主、何故、監物を殺めなんだ。お前にとっても憎い仇で有ろう!?」「・・・・忍びに私情は禁物でござる。・・・・」と云いながら、少し目線を下げた。「そうか、ならば良い。頼んだぞ。」と云いながら、俊高は権坐の胸の痛みが見えた。
権坐は、俊高と別れた後、秋風を体に受けながら、月の灯りの中を駆けた。
(あの折、確かに左手に毒針を忍ばせていた。いざとなれば、やるつもりでいた。・・・・あの最後の亀城攻防戦の折、片腕であった石目を、無残にも殺され、稲島の大杉の根元に縛られていたあやつの姿を忘れられぬ。
大杉の天辺に掲げるはずであった高野夫婦の救出成功の印である、朱色の小旗を握り締めていたのを、お屋形様の命で探りに行った朱音が、血塗りの小旗を持ち帰ったのだ。・・・・最後まで使命を果そうとした石目の執念であった事よ。)
「許せよ、石目。わしはあの折、監物の隙だらけの体に寧ろ威圧されてしもうた。・・・・殺すなら、何時でも良いぞと何も身構えぬ姿に偽りは無いと思うたのだ。・・・・忍びには私情はござらんとお屋形様には云うたが、石目、あれは嘘ぞ。・・・・心底は恨みで一杯であったわ。・・・・許せ、石目。お主の仇は別の形で取るぞ・・・」と、開き始めている芒の穂の波を揺らして、駆け抜けて行った。
権坐が去ってから、すぐに床に戻った俊高であったが、児玉監物の生存を知って、思いを幾十にも廻らしていた。
(監物は、何故わしに報せて来た。一番知られたくない相手ではないか。・・・・同舟の杯を酌み交わさんと欲す。 とは、わしに会いたいと云う事か?あれ程の策士だ。そのまま、鵜呑みには出来ぬが、・・・・もし、笹川常満や柿島信政の様に、味方に付いてくれれば、これ以上の味方はおるまい。・・・・しかし、あれ程の激しい攻城戦を繰り返したのだ。
仮にわしが、監物を受入れても周りの者達は許さんであろうな!! 権坐でさえ、心を押し殺していたわ。それにしても人の命運とは分らぬものだ。1年前であれば、5ヶ国の軍を統率していた名軍師が、今では流浪の世捨て人の姿でいる。
戦国の世で有る故、やむを得ぬとは云え無情な世よな。・・・・兎に角、暫くの間、様子を見ようぞ。・・・・今は、斉藤・秋葉との戦に備えねばならぬ・・・・)
この夜の出来事の10日後、斎藤氏の動向を探らしていた権坐から、再び知らせが有った。栃尾の五十嵐氏が再度、軍を進めて、斎藤氏との国境に1,200の兵で旧領を奪回する動きに出た。その為、三条方は稲島との対峙の様相も有り、主力は動かせず、先途の功績もある黒江軍団のみを送ったが、それも全軍で無く、500という規模に留めたのである。