(二)和納(わのう)の戦い≪第廿九話≫その1No.33 ≪第廿九話≫ その2 No.34
(二)和納の戦い
≪第廿九話≫ その1. No.33
10月に入り、俊高は城兵と村人を合わせ、300人程で仁箇山の山頂に周囲およそ3町(約300m)の柵を張り、陣営を造らせた。更にあちら、こちらに落とし穴や泥堀を造らせて合戦に備えた。
白根、味方の連合軍が国境を越えて松野尾砦に向かったとの知らせが届いたのは、7日の早朝であった。俊高は、松野尾砦の兵士達に、敵が囲む前に、砦に火を放ち、武器や兵糧を運び出し、全軍仁箇山の南側にある竹野砦に入る様、指示を出していた。すでに七日前より、臨戦態勢に入っていた稲島軍は全将兵が城や砦にて寝起きしている。其の日、明けて直ぐに城内の重臣を集め、最後の戦評定を行い、此度の戦に備えた。
戦奉行の佐野久衛門俊種が兵の配置とこの度の戦模様を説明した。「平沢城に真島弥七郎が兵100名で待機、鷲の木砦には吉田嘉助豊則が兵50名で笹川の奇襲に備え申す。松野尾砦には遠藤佳臣が30名にて待機、その後、竹野砦に合流し、計50名にて砦を死守する。そして、お屋形様率いる本隊・150名もすでに仁箇山に陣取られておる。残り60名で横山殿とこの佐野が本城をお守り申す。」
横山重光が口を挟んだ。「白根方は本当に全軍で仁箇山を囲むのか?もし二手に分かれ鷲の木や平沢城に攻め寄せれば我らは孤立するぞ。そうなれば、高野家も易くは援軍の兵を出せまい。どうじゃ?」重光は興奮するとすぐに髭を撫でた。更に語調を強めて続けた。
「佐藤政綱は3度もこの城で煮え湯を飲んでおる。奴はこの城に全軍で籠城される事を一番恐れているはずじゃて!・・・戦を長引かせ、弱った処で高野殿に援軍を要請すれば、あの慎重な荒田惣衛門殿も動くと云うもの。」また一頻り髭を撫でた。
佐野久衛門が反論しようと口を開く瞬間、止めて俊高が喋った。「叔父御の策は最もじゃ。わしもこの城を隅から観て廻り、先々代の傑作と解り今では感心しておる。しかし此度は籠城だけで済むとは思えぬ。敵方の別の知らせも入っている。」重光は俊高を見ずに佐野久衛門の顔を見据えた。久衛門は黙って頷く。「久衛門、後で叔父上にも伝えてくれ。」と俊高が添えた。
≪第廿九話≫ その2. No.34
俊高は重光が籠城に拘っているのも良く判っていた。先々代の俊兼の時、弟の重光が祖父の片腕として軍事面を引受け、特に白根・佐藤一族との三度に亘る籠城戦に最大の功労者でもあった。弱小な稲島一族をこの城を盾にここ20年余り守り貫いてきた自負心があったのだ。
しかし、俊高の胸の内は(守るだけの受け身の戦だけでは、これからの乱世は生き抜けぬ。本当に強い兵力を創らねばならぬ。!)
まだ若輩の俊高ではあったが、無き父母や家老の久衛門、多くの仲間からの教授により、又、更に1年前のあの天啓の事も有り、これから行くべき道が前人未到の茨道である事を肝に銘じていた。
最後の評定を終える頃、松野尾砦に火の手が上がったと物見の知らせが入った。時は寅の刻(午前7時過ぎ)に入っていた。
すでに、其々の部隊は定められた場所に着いている。俊高は弟の高喜を連れて、仁箇山に登った。頂上には五日間掛けて築いた簡易ながらしっかり組合わされた竹柵の陣営の中に200人程の志願した郷人達が俊高を待っていた。戦国の世を強かに生きている者たちである。殆どが何処からか持ってきた武具で身を纏っていた。
二人が陣の中央に来ると、大きな輪が出来た。五、六人の村長が前に出て来た。稲島の村長で12ヶ村を束ねる稲島・湯の越の仁平が皆を代表して俊高に挨拶をした。「お屋形様、御云いつけの事、全て整いましたすけ、ご安心下されや。後は、御下知下されば何時でも動くすけ。」「仁平、皆の衆、ようやってくれた。礼を申すぞ。」俊高が頭を下げると村人は一斉に頭を下げた。「お主らの働きが無くして此の度の戦は勝つ事が出来んすけ、誠に感服いたしておる。・・・白根・味方の軍はもう半時(1時間)で竹野砦に着く。その後は侍組頭の遠藤佳臣の下知に従ってくれ。よいな」「お任せ下され。出来るだけあいつ等をここに引き止めておきますすけぇ。」