≪第廿七話≫ No.31 ≪第廿八話≫ No.32
≪第廿七話≫ No.31
俊高は更に続けた。「先度は敵も油断していたであろう。此度は形振り構わず攻めてこよう。城も砦も其れなりに修復したが、この戦、受け身になれば我らの負けじゃ!。」「何か、策がございまするか?」と佐野久衛門が皆を代表して俊高に問うた。「うむ、仁箇山に陣を張り、一端敵の総勢を誘き出す。平沢城に伏兵を置き、高野殿の手勢と合わせて奇襲を駆ける。」
黙って聞いていた横田重光が口を挟んだ。「俊高殿、同じ手は通じぬのではないか。仁箇山は低い山故、何処からでも攻めて来られよう」高喜がすかさず反論した。「叔父上、其の為に様々な仕掛けを施すのでござる。あの山は我らの中庭でござる。」参加していた何人かの若い衆がどっと笑った。「お前たちは戦を舐めているぞ!あのイタチの介(佐藤政綱のあだ名)が容易な者か!」と重光が怒り声で云い放った。
「されど、先度も籠城のみを主張された叔父上よりもお屋形様の策が勝ったではないか。」少し語調を荒げた高喜は食って繋った。「何を!」と重光が高喜を睨み付けたので俊高が止めた。「止めよ!。・・・政綱の狙いは稲島の領土よ。やつはこちらが籠城をしてほしいのだ。我らを閉じ込めておいて、領土を奪い取るのが狙いじゃ・・・。
多少、危うくとも出兵をし敵に備える。国主足る者、見す見す敵の思う壺にはさせん。それがわしの戦法じゃ。皆の者良いな!」一同、「はあ~!!」と頭を下げた。吉田三左衛門が少し、おどけた手振りで「万が一、危なくなればこの城に逃げ帰れば良いわて・・・あはっはっはっ」と豪快に笑ったので一同も釣られて苦笑いした。
俊高が最後に「この場はこれにて終わる。各自持ち場にて戦支度を行え。後は主だった者が残り細かき事を詰める。・・・・叔父上、岩室の荒田殿に文を書いて下され。わしは和久殿に援軍の要請を書く。宜しいか」「相判った。」重光も同意して頭を下げた。
一同が一端評定所を出た時、立ち上がった俊高に久衛門が近づき耳打ちして話した。「お屋形様、知恵を使われましたな。この度の真の策を詳しくお聞かせ下され。」俊高がニヤッとすると久衛門も笑った。「少し、待て。後で全てを伝える。」と云って俊高は厠に向かった。
神無月(旧暦の10月)に入り、白根の連合軍は動き出した。佐藤・柿島軍は合わせて、930人、笹川軍は270人で俊高が予想した通り千人を越し、1,200の数となった。稲島は総勢420人、高野氏は石高6,700石で580人の兵力であったので、援軍を出せても300が最大であった。味方は多くても700人余りである。
≪第廿八話≫ No.32
10月の5日、佐藤政綱は、本城の白根城を発し、中之口川を渡って、支城の井随城に入りそこで一泊した。白根勢は総勢750人であり、石高12,400石・総兵力1,170人の内、6割以上を投入しての構えであった。西蒲原一帯では、佐藤氏に対抗する者は無かったが、戦国の世である。留守中に寝込みを襲われる事は常のものである。大抵は守りに半数は自国に残すもの。今回の政綱が執念は、並々ならぬものであった。
今年54歳になる政綱は、稲島の先々代・俊兼と同じ年回りであったが、この俊兼に散々煮え湯を飲まされた。特に鎧潟(現在は埋め立てられてないが、この地方最大の潟)の戦では、奇襲を駆けられ,嫡男の政興を失っていた。大層、自慢の息子であった。
10年前、宿敵・俊兼が病で死に、病弱な俊秋が受け継いだので、ここぞとばかり、稲島を攻めた。3度ばかり、長者原城を囲んだが城の頑強さに舌を巻き、諦めざるをえなかった。ここ数年兵力を蓄えていたが、その俊秋も死に元服間がなく、初陣もしていない小倅の俊高が立ったので、すわと、1年半前に兵を挙げたのであった。
稲島軍は当然、籠城の一手と視て、その籠城策を見据え、敵を封じ込めておいて周りの領土を抑えてしまう策を計った。しかし、戦経験もない若造に奇襲を駆けられ、まんまと計られた。…(此度は目に物見せてやる!)と内心の怒りを抑えて軍を進めたのだ。
腹の内で(汚い手だが野党を用いた収穫米の略奪は功を奏し、そして可なりの手応えがあった。ここが正念場である!後は、柿島と笹川を使って、稲島氏を自慢の長者原城に閉じ込めれば良い。盟約を結んだ高野氏も我らが一千を越える兵力では迂闊に出てこれまい。それに当主の和久に実権が無く、実父である家老の荒田惣衛門は腹黒い男である。負ける戦に易々と兵は出すまい。其の為に笹川と手を結び、高野を抑える為、国境に兵を配置させた。・・・・
後はじっくり料理すれば良い。知らせでは、稲島の小倅、また性懲りもなく仁箇山に陣を張り、城を出て戦う構えやら。高野の援軍を宛にしても無駄であるのに、あの低い丘に四方から攻め繋れば如何に繕うと我らが勝ちじゃて。あの堅固な城を離れてわざわざ撃たれにこようとは、まだまだガキの戦よな。ふっふっふっふっう…)自然に笑いがこみやげて来て止まらなかった。
翌朝、井随城を立ち、大通川を渡って柿島領に入り、柿島勢と合流した。そこで、柿島氏の本城である味方城に一泊して、更に慎重に戦に備えさせた。