≪第十二話≫ No.14-Ⅱ
≪第十二話≫ No.14-Ⅱ
俊高は権坐と別れ、直ぐに出陣の用意をした。今、この岩室で戦は出来ぬ。戦が終ったばかりで防備が弱いからである。暫く野戦で様子を見て、時を稼ぎ、体制を整えてから、斎藤勢の動きを見極めるしかないと、昨日の戦で高野館で休んでいた諸候を呼び寄せた。
荒田照美の乱を掌握して、味方に付いた高野兵300人を合せて1,700人の兵がいたが、先ずは1,200人を以って出陣した。
現在の国道116号線と国道289号線の交差周辺が吉田郷であった。国道289号線をそのまま、弥彦山に向かうと越後・一宮弥彦神社がある。当時はまだ原野が多く、所々に沼地が点在していた。その後の権坐の知らせで、斎藤氏の別働隊は近くの吉田ヶ原(現・米納津辺り)に留まっているとの事。稲島軍は、刺激しない距離を保って、暫く様子を見た。
俊高にとり、双方千を越える兵力で、平地にて野戦をするのは初めてであった。軍を三つに分け、右翼の350を騎馬隊100と共に、笹川常満・常豊兄弟に任せた。左翼の350は、亀城決戦や天神山城の落城に功績を立てた草日部軍を柱に、高野軍100を添えて、貴英・公英の二人に任せた。本隊としての500は自らが少し後方で対峙し、陣形は所謂『鶴翼の陣』と呼ばれたものであった。
西の原野から、ドドド―と地鳴りがしだし、土煙が1里(4Km)先で起り始めた。左翼の貴英から報せが来た。
「寅の刻(西南方向)より、騎馬300程がこちらに向かっておりまする。」「うぬ、判った。貴英殿に、敵の進軍を前方3町(300m)出て、食い留めよとお伝え致せ!」「はっ、判り申した。」
伝令の騎馬兵は、取って返した。「高喜、わしは常満に会って来る。ここを頼む。」「おゝ~」と高喜が返答を背にして、俊高は真島良高を連れて、馬を飛ばした。
右翼の常満の陣に着いた時、既に左翼の貴英軍は、前方に3町程、進んで陣形を整えようとしていた。それを、横目で確認しながら、俊高は常満と駒を並べた。
「常満、斎藤の黒江勝重、唯者でない様だ。草日部軍が応戦したら、お主、騎馬隊を引連れ、敵の横合いから攻めて崩してくれ。その後、わしがここの兵を連れて、敵を包囲致す。」
「おゝ~。相判った。」常満は、言葉と同時に、騎馬隊100に鞭当てを上げて、準備させた。
次第に敵の騎馬隊が近づいて来ていた。彼らは殆んど真直ぐに、何の躊躇もなく、着き進んでいる様であった。遠目で見ていた俊高は、最初の突撃を食い止めれば、こちらの騎馬隊と歩兵で囲み、初戦をものにすれば、何とかなると見ていた。
平野での、正面衝突は初めてであったが、戦の定法は同じである。敵の機先を打つ事であり、また、勝負が見えるまで、全軍を動かす事は迂闊に出きぬ事である。
しかし、この後、起る事が俊高の戦観を根本的に変えた。丸で黒い塊が大地を滑る様に付き進んでいた。鎧兜も武具も馬の装備も総て黒尽くめで黒い騎馬集団が、一丸となってやって来る。
待機していた左翼・貴英軍は、150人の弓隊が3列になって、構えていた。標的が射程距離に入った時、貴英が「射よ!!~」と号令すると、50人づつ少し時間をずらしながら間断なく射続けた。
前方の黒い集団の先頭を走る騎馬武者が、広げた黒い鉄扇を左右に振ると、瞬時に6本の細長い槍の様に縦に戦列が組まれ、敵が放った矢群を綺麗に避けながら、進んで来る。更に各々背中に背負った厚い黒革の大きな扇を羽の様に広げて、矢を防ぐ。それが遠う目で黒い揚羽蝶の様に見えて、更に不気味であった。
黒い騎馬軍は殆んど無傷で、350の貴英軍に襲い掛かった。6本の槍が突き刺さる様に、躊躇なく稲島軍の左翼を八つ裂きにして行った。先頭の6人の騎馬武者が通過した跡に、死人の列が出来ていた。黒い甲冑に、黒い面を付け、鉄張りの長い槍の先に、鎌の様な横刃が出ていて、丁度、稲穂を刈取る様に、味方の兵たちの足を切り、腕を切り、首を切った。