≪第九話≫ No.9-Ⅱ
≪第九話≫ No.9-Ⅱ
俊高は評定の始めに、「皆の方、御集り頂き有難く存ずる。戦評定を始める前に、赤塚の貴英殿にご挨拶頂こう。」と口を開いた。「草日部貴英にござる。御見知りおき下されたく存じまする。父・英郷に代り参上致しました。」貴英が会釈すると、赤塚の二人の重臣も頭を下げた。
「貴英殿、御年は何歳に成られたか?」と笹川常満が大きな声で問うた。「はい、今年19歳と成り申す。」「おゝ、英郷殿も頼りがいのある事よ。それにしてもいい男だな!はははっは~」と緊張気味な場の雰囲気を一気に緩ませた。貴英は、英郷とイソルデの長男で日墺の血を引いた混血児であったので、髪の毛も常の和人と違い、少し赤毛であった。目鼻も輪郭がハッキリしていて、堀が深く、背も俊高より、額分高かった。
常満が「俊高殿、我が弟と甥にも挨拶させてくれ。」「如何にも、」と俊高が促したので、二人は挨拶した。「笹川常豊でござる。お見知りおき下され。」「行充でござる。」「皆の衆も御存じと思うが、この行充が、三和殿と祝言を上げる手筈であった。」と常満が口を尖らせながら、付け足した。その言葉に一同、更に目を凝らして行充を見直した。
「本日御集り頂いたのは、白根城を囲む斎藤氏の動向と、二日前、岩室で起きた反乱を、如何にすべきかを評定致したい。先ずは、白根の動向を信政殿お伝え下され。」「相判った。5日前に、三条を発った斎藤勢は、斎藤義興を総大将として、総勢2,000が白根城を囲んでおりまする。今の処、攻撃せずに、政綱の投降を待っている有り様。我らに対する動きはござらぬ。」
「政綱は降伏致すか?」と俊高が問うた。「未だ、判り兼ねるが、政綱も侍、意地もござれば暫く睨み合いが続くと見たが・・・」「あのイタチの助(政綱の仇名)、足腰立たぬがそれでも、侍の意地は持ち合わせたか!!」と常満が半分感心して一同を見渡したので、笑いも起った。
「されば、岩室の様子を、清水雅兼殿と長谷川芳直殿にお伝え頂こう。」と俊高が二人を見た。「はい。畏まって候。3月27日明け方、凡そ50人程の武者団が荒田照美救出の為に押し入り、警備していた20人の兵を倒し、そのまま当主館に奇襲致して、和久様・雅代の方を惨殺致し本城である天神山城に立て籠もってござる。その折、三和様を人質にされ、唯今は凡そ300人にて守っておりまする。」
雅兼の後に芳直が続けた。「照美救出の背後に、斎藤氏の伏兵がござった事、明白。我らの兵の中に、奇襲した敵兵が、見知っていた斎藤の兵であると、何人か申しておりまする。」
一同を見渡して、俊高が話した。「この数年、斎藤家が動かなんだのは、栃尾の五十嵐氏の牽制の為であったが、昨年の秋、駒込の戦で勝利を収めた故、いよいよ我らの西蒲領土に矛先を向けて来た。
此度は佐藤氏を倒す為に、我らの動きを押さえて岩室の高野家を狙った斎藤義政の策であろう。いずれ、この時を迎えねばならなかった。」
「俊高殿、岩室に早急に兵を進めねばならぬぞ。」と常満が最先を切って問うた。「如何にも!斎藤勢の主力が白根にいる内に、天神山城を落とさねばならぬ。」
「されど、俊高様。天神山城は名うての堅城、それに三和様が人質であれば、中々攻めきれまいと存じまするが・・・」と柿島の家老・酒井建脇が心配そうに尋ねた。
「心配致すな。俊高殿は既に落城を見切っておられるのだ。」と信政が家老を諌めたので、居合わせた者たちは、この5年程の目覚しい俊高の神憑り的勝利を思い出していた。
「今は云えぬが、あの城、大きな盲点がある。そこを突く。佐野高兼を戦奉行と致すので、これより各家より、1人残して詳細を定め、明日明朝、5家全軍にて天神山城を囲み申す。御一同宜しいか!!」と俊高が評定をまとめ、号令した。