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≪第七話≫         No.7-Ⅱ

≪第七話≫                    No.7-Ⅱ

 「語りたい事、伝えたき事多くあるが、そなたの()うしき働きぶりを権坐や久衛門からの伝えで知り、初代・俊明公や我が父・俊兼を越す武勇に感銘致したておった。この数年の稲島の栄え振りは驚くばかりである。よう、やったな。俊高殿。」「お()めのお言葉、恐縮に存ずる。この5年、幼きながらも家臣や領民の助けにより、ここまで来申した。」「うぬ、久衛門に聞いたが、16歳の誕生の朝、御山にて神託(しんたく)を受けたと・・・」「はい、俊秋父上からの文によりますると、私の誕生に母の天啓があったとか・・・」「そうじゃ。お前の母上は、大層信心深い方であった。朝な夕に手を合わせ、神仏に祈願していた。何か、そちの母に大きな願いがあったのであろう。わしも、稲島に助っ人として、送った権坐が弟・俊秋からの手紙を持参した折は、仰天(ぎょうてん)致した。俊秋の願いを聞き遂げる事は、人知では図れまい。

 されど、これだけは知っていてくれ。わしと美知は、ただただ云われるままに動いたのではない。始めは双方天の意図で結ばれると、少し遠慮があったが、何度か結ばれる内に我らは心から互いを知り、本当に愛し合ったのだ。決して形だけの夫婦ではなかったのだ。」

四十半ばを越えていたが、精気のある(りん)とした風貌(ふうぼう)に偽りはないと、俊高は実感出来た。長者原山で出会った折、何故か凛々(りり)しい姿に憧れの様な気持ちを少年の様に感じたのは、この方が、実の父の要望を秘めていたのかも知れないと俊高は、亡き父であった俊秋が、優しい人ではあったが、生来(せいらい)の病弱と戦国の世を活きる当主としての気質に欠けていると子ながら、感じていたからだ。けれど、俊高は父・俊秋が好きであった。父親というよりも、欲の無い、自然な物腰に安らぎを感じていたからである。しかし、その俊秋が急死し、突然の家督(かとく)相続を受けて、云わば、乱世に放り出されてみれば、己が父・俊秋の様に、弱い身体で、また鋭敏な決断の持ち主でなければ、当にこの国は滅ぼされていたであろう。

今、目の前に見る強靭(きょうじん)な立ち振る舞いのこの人物から、我が身が受け継いだ身体であり、また、母・美知の方の敬天の畏敬(いけい)(しん)が己の心根を形成したのかと思い、まだ、実父の情は湧かないが身体の中の血が騒いだ。

 「わしらは、まだ素状を明かせぬ身、今宵(こよい)も長いは出来ぬが、これからも朱鷺の権坐を遣わされれば、何時でもお役に立て申すぞ。」「御坊(ごぼう)、ならば早速一つお願い致したいが?・・・」「おー、如何にも」「皆さま方の武術をご伝授頂きたい。これからも、幾度となく戦にま見えましょう。あの折の神技の如く敵を瞬時に倒した業を是非、御教え頂きとうござる。」「・・・・相判った。ならば3人の修験者を当地に残して参るので、存分にお使い下され。」「忝い。」「俊高殿、そなたの行く末はまだまだ険しいと存ずるが、沢山の者の守りが有る事をくれぐれもお忘れなき様に!!・・・では、ごめん」「御坊(ごぼう)・・・・、またの再会を願っておりまする。」


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