第二章 天の花嫁(一)駆け引き≪第廿五話≫No.29 ≪第廿六話 No.30
第二章 天の花嫁
(一)駆け引き
≪第廿五話≫ No.29
秋の収穫が近づいた頃、再び白根の佐藤一族が動き出した。しかも今度は、中之口の笹川氏と盟約を結び、味方の柿島氏との三家で兵を挙げた。俊高にも、すでにこの三家の動きは知らせが夏の盆の前には入っていた。
8月の盆明け、民衆が一時の安らぎである夏祭りに興じている頃、潟東の西入寺で佐藤・笹川・柿島家の密会が持たれた。寺院の茶室に佐藤政綱が上座に座り、左右に笹川常行・柿島信吉両氏が向い合った。
政綱が口火を切った。「ご両方、ご足労頂き有難く存ずる。さて本日の会合は他でもござらん。稲島と高野の盟約は既に聞いておられると存ずる。」二人とも頷いた。「そこで、常行殿も案じておられると思うが、長年の宿敵である高野家が更に撃ち難くなって、貴殿も頭を痛めていると存ずる。如何か?」
笹川常行は40歳半ばの額に深い皺を寄せて答えた。「政綱殿のご明察通り、高野が稲島と結べば、我らだけでは、厄介な立場になり申そう。増して、稲島の小倅が存外やり手である由、油断なりませぬな。」「わしも先の戦では、甘く見過ぎておった。・・・・されど、常行殿、貴殿は稲島の先代の娘(俊高の腹違いの姉)を嫁にしておるが、此度の戦、先ずは稲島を討ち、後に高野を討つ。宜しいのか?」政綱が常行の眼の奥を見据えるように確かめた。「おう、我らも宿願の高野氏を討ち果たせるのであれば、妻子の情は問題ござらん。」「それを聞いて安堵いたした。こちらの信吉殿も先々代の折、稲島より側室を貰っていたが我らに付いて頂いた。」どちらかと云えば無口で大人しい柿島信吉は政綱の言葉に黙って頷いた。
「さてもこの度の戦、是が非でも勝ちたい。されば、秋の取り入れが済んだ処を襲う。」政綱の策に笹川は「ほう・・・」と声を出した。「しかし、見す見す収穫を済まさせるのでござるか?」信吉が細い声で政綱に向かった。「そこよ、少し汚い手だが収穫した米を野党(盗賊の群れ)を雇って、襲撃させるつもりだ。」笹川常行は「ほう、ほう、」と声を出した。「出来れば、刈入れの半分は取りたい。今度こそ稲島を根こそぎ倒したいのだ。」政綱の言葉に常行はニヤッと笑った。「わしと柿島勢で稲島領内をかき乱す。常行殿は、高野を牽制してくれまいか!」
「相判った。国境に兵を集め申そう。」「うむ、その後の細かな戦仕様はこの後、其々の戦奉行を交えてじっくりと仕ろう。」
≪第廿六話≫ No.30
その年は大きな災害も無く、ほぼ無事に秋の収穫が出来た。家督を継いで2年目だが俊高達の開墾が実を結び、通年の500石増し近く米の収穫が得られた。どの村も豊作に沸いていた。
ところが、収穫を待っていた様に稲島領内で、あちらこちらで野党の群れが村々を襲い始めた。例年もこの時期には盗賊たちがここぞとばかり荒らしまわる。其の為、どの領内でも国主達は防備を強化して、常に見回りの兵を巡回させていた。
しかし、稲島で起きた野党の襲撃は常の何倍の人数と頻度であった。12ヶ村の内、9ヶ村が襲われ、延べ、860石程の米が盗まれた。全体の4割を越えていた。更に抵抗した村人が40人余りも殺され、家々が焼かれ、城兵も10人犠牲となった。
俊高は各砦に常の倍、兵を派遣して防衛を強化させ、更に20人組の見回り隊を3組編成させ領内を守らせた。その騒ぎが収まった頃、白根・味方の佐藤・柿島両氏が動き出した。俊高は重臣たちを急ぎ、長者原城に集結させた。
9月も既に27日となっていた。今日、新潟米は早稲のコシヒカリが主流であり、4月の終りから5月の初めに田植えを行い、9月の10日前後から稲刈りを始め、20日前には殆どの農家は刈入れを終えている。
元々、米は高温多湿地帯に生息する亜熱帯植物である。米の改良がまだ進んでいない昭和の30年代までは、全国的に梅雨の6月半ばに田植えをし、10月に収穫していた。この時代もほぼその流れであった。ただ、雪国・越後はさすがに早目に苗付けと刈入れを行っていたのだ。
集まった面々を確認して、俊高が侍大将の真島弥七郎に言葉を告げた。「弥七、野党どもを捕えたか。」「はっ!仁箇の布目辺りで三人捕え申した。」吉田三左衛門がすかさず聞いた。「やはり、白根の手の者か?弥七」「いや、まだ吟味中でござるのではっきりとは申せぬが、中の一人は信州(今の長野県)訛りでこちらに来て間がないとか」弥七の言葉に家老の佐野久衛門が言葉を挟んだ。「秋口から流民を含め、他国の者たちを雇っていた様ですな!」「姑息な汚い手を使うものだ。」横田重光が吐き捨てる様に唸った。
暫しの沈黙に俊高が凛とした口調で一同に告げた「いずれにせよ、佐藤一族が旗を挙げた以上今回は容赦なく攻めて来ようぞ! 柿島・笹川と合わせれば千を裕に越すであろう。」とその言葉に一同息を飲んだ。