≪第四話≫ No.4-Ⅱ
≪第四話≫ No.4-Ⅱ
「そなた、以前に天主教(キリスト教)の開祖であるイエズスには、父親が居らず、私生児としてお生れになったと申していたな。」「はい、申しました。ただイエズス様は神の御子として人の営みでなく、聖母マリヤの聖霊による受胎で身籠られたのです。」「では、肉の父親はいないのだな。」「はい。ですから、普通の人々から見れば、私生児と思われたのでしょう。」「そうか。わしにはその事は良く判らぬが、聖母マリヤは人の眼から見れば、不貞(不倫)を働いた様に見えるであろうな。」
「俊高様、何故、今その様な事をお聞きになりまする?」「先程、千春が参った。以前、わしはそちに隠し事はしないと誓ったな。」「はい、そう云われました。」「この事は、わしの一生に着いて回る事ゆえ、そちにだけは話しておきたい。」
俊高は父・俊秋の文を情愛に見せた。「小さな声で読んでみよ。」情愛は長い文をゆっくり読んでいった。
『我が子、小太郎に告げる。
この文を、佐野久衛門俊種に託すので、時有らば、開示せよ。
我が身の及んだ事であるが、そなたに直に告げねなんだ事、許して欲しい。
戦国の運命と性であろうが、一族を率いる主人が病弱であれば、どれ程、国の行く末が危ぶまれるであろうか。
そなたが三条に行っている間、わしはそなたの帰国を願わなんだ日が無かった。
応仁の大乱以来、60余年、この国は麻の如く乱れて、我が稲島家も父祖・俊明公から6代続いてきたが、我が身に成りて、お家滅亡と成るは途端の苦しみである。
そちも知っている様に、お前の母・美知の方が嫁ぐ前に、わしには二人の室が有り、正室は三条家(斎藤氏)から、側室は笹川家より向い入れた。
しかし、嫡男・俊興は初陣で果て、次男の俊行はわしに似て弱く3歳にて病死した。しかもその年の流行り病であった疱瘡に我が身も掛かり、高熱と病の勢いで、わしは子種がない者となった。』
ここで、情愛は言葉を止めて、俊高を見詰めた。俊高は俯いたまま腰紐に手を掛けていた。
『弱い主に、跡目がいなければ、戦国の世では滅びを待つのみとなる。我が父・俊兼にはその事が云えず、3人目の室として、岩室からそちの母を招いたのだ。
わしには、父・俊兼の子として、兄妹が8人いたが、男子は5人であった。しかし、嫡男・義俊は鎧潟の合戦で討ち死にし、次男と末子は病で若死にしていた。わしの直ぐ上の兄である俊景殿は、18歳の折、父・俊兼と不和になり家を出奔(家出)して、武家を捨て、高野山・金剛峯寺にて真言密教を学んだ後、熊野山谷にて修験道を極めた。法名を清水坊源芯と名乗った。
乱世の宿命、わしに後継ぎを創る様に父は急いていたが、わしはお前の母とは一度も床を共にしてはいなんだ。いや、出来なかったのだ。しかし、稲島家の明日を憂いた我ら夫婦は、時を見ては長者原山の観音堂に行き、稲島の行く末を祈念したが、そちの生れた一年前の4月16日の早朝、美知は天からの声を聞いた。
【この世を護る種が有るべし。汝ら夫婦・心を一つにし稲島家の血筋を守るべし!!
西南に光り有り!】と
それから不思議な事に、3日後、根来の忍び・朱鷺の権坐が兄・俊景の命を受けて我が身に仕える様にやって来たのだ。その時、わしは、稲島家の血筋を守れる唯一の人であり、越後・稲島から西南の位置にいる兄・三郎俊景こそが、天啓の人で有る事を悟り、美知の方とも同意して兄を呼んだのだ。』
また、情愛が一呼吸置いた。「ふ~・・・」と俊高もここで息を吐いた。