≪第八十二話≫ その3. No.137 ≪第八十二話≫ その4. No.138
≪第八十二話≫ その3. No.137
天地がピッカと光り、そこらにいた数百の兵士たちは、一斉に地面にしゃがみ込んだ。俊高は我に戻り、再び太刀を天に翳して、呼ばわった。「稲島全軍、反撃致す。弓を絞れ!!」と号令した。すると強い風が止み、稲島軍は肩に背負っていた小型の弓を持って、力一杯矢尻を引いた。そこにいた凡そ300人の味方が一斉に矢を放ったので、近くにいた白根・新津軍はバタバタと倒れた。
敵も反撃しようと、弓に手を懸けたが、今度は強い風がまた吹き出し、思うように弓を射る事が出来なかった。
俊高が、再び「弓を射よ!!」と叫ぶと、再び風が止まって、沢山の矢攻めが始まった。それが、3回繰り返されると、さすがに敵の武将達も恐れを成して、味方の本陣に向かって逃げ出していた。それと同時に、平澤城方面からワーと高野和久・真島高兼率いる430人の援軍が笹川行貞軍を蹴散らして、駆けつけて来た。
俊高は一端、攻めるのを止めて、兵を掌握した。そして、高野和久と逢い間見えて抱き合った。「叔父上、御無事で有りましたか!!」「俊高殿、笹川常満殿から、助けられ申した。有難うござった。」「荒田惣衛門殿は、どうされた?」
和久は少し項垂れて「父は死に申した。」「そうか。兄の照美殿は?」「照美は、岩室の館に幽閉致しました。」「・・・そうですか。それにしても、常満がおらぬが、如何されたか?」「はい、常満殿は、福井砦で『少し寄り道を致すので、先に行って俊高殿を早く救援下され』と云われた後、木島勘平以下、5人と権坐の忍びを2人連れて、何処かに行ってしまわれた。」「・・・・そうか。・・・それもよかろう。何か考えが有るのであろう。」
その後、俊高は、清水良高に錬成隊50人を与えて、亀城を攻撃中の、児玉監物が『山崩し』と呼んだ櫓を奇襲に行かせた。
一方、俊高達の奇襲隊を殲滅に行かせた部隊が大慌てに逃げ帰って来たので、冷静な監物も動揺した。戦死した佐藤忠勝の代わりに侍大将として立たせていた筆頭家老・坂下主膳の嫡子(長男)で坂下智明は、冷静沈着な性格に合わず、少し震えながら、「あの稲島の小天狗は、噂通り、妖術を用いまする。風を操って弓矢の反撃を受け申した。・・・」
「何を馬鹿な事を申しておるのか!?この嵐の強風を巧みに用いただけじゃ。・・・もう良い。直ぐに兵を立て直して、守備に備えよ。戦は、これからが正念場ぞ!!」「・・・はっ!」と坂下智明はまだ納得いかない素振りであったが直ぐに動いた。
俊高達が、奇襲を懸けた八幡神社の秋葉時盛の本隊は、監物の戦略で夜半に掛けて、密かに仁箇山に陣取り、決戦の為に準備していた。監物は状況を報告する為に、その小山に登って、敵の反撃に備えて、勝負は寧ろこれからである事を念を入れて報告した。
≪第八十二話≫ その4. No.138
時刻は俊高の本隊が八幡神社に着いてから、二刻近く(3時間半)が過ぎていたので、午前8時半頃であった。丁度その頃、亀城の裏山にいて、突入の為の工作をしていた吉田豊則以下の別働隊は、漸く裏門の扉を破壊して、中に潜入し出した。稲島の守備兵も必死で潜入を食い止めたが、多勢に無勢で城の地下にある食糧と武器庫に通ずる所から、一挙に入って来た。
また、その頃には、『山崩し』からの莚俵が功を奏して、大屋根に大きな穴が開いていた。そこに目掛けて、白根勢が積み上げた土俵を土台として、板戸橋を掛けて、亀城に渡し、そこから、50人程が城内に潜入しようと、屋根裏から、何本もの縄梯子を垂し始めていた。
亀城は正に上から、下から敵が侵入し出した。戦奉行の横山重光は、まだ傷が完治していず、余り動けない、高喜を情愛や奥の女子衆の護りに着かせ、自らが先頭を切って奔走していた。160人余が城にいたが、女・怪我人・職人たちを除けば、実質戦える者は80人程であったので、頭上から地下蔵からの侵入で一気に窮地に追い込まれた。
それでも、何度もこの城で、先々代から始めて籠城戦を戦って来た重光以下重鎮たちは、古参の猛者であったので、俊高の最後の敵本陣総攻撃まで、持たせたいと皆願い、この城の総ての仕掛けを駆使して闘っていった。
亀城は、あちら、こちらの壁が動き、全館、迷路の造形になっていた。分断された敵兵は隠れていた稲島兵により、あちこちでやられたし、また、味方同士の同士討ちにも、なった。しかし、城内の様子を熟知している吉田豊則は、確実に奥の間に近付いていた。
その時、豊則目掛けて、刀を振るう者がいた。「豊則、恥を知れ!!」と佐野久衛門俊種が一人、物陰に隠れていたが、隙を見て切りつけた。肩先に手応えがあったが、鎧の矢除けが切れただけであった。驚いた豊則は「御家老!!」と叫んで飛び沿いた。「お主の為に、三左衛門は腹を切ったのだぞ!それ程、手柄を立てたいか!?命が惜しいか!?・・・」としっかと久衛門は、豊則を睨みつけていた。