≪第八十話≫ その11.No.124 ≪第八十話≫ その12. No.125
≪第八十話≫ その11. No.124
救出の為に夜半まで15人の猛者たちはじっと山中に息を潜めた。19日の夜中、其々の持ち場を決めて、15人は松岳山の裏側から頂上の松岳城天守に向かって動き出した。松岳山は、本城のある天神山の北側にあって174mの小山で有った。形が美しい為、岩室富士とも云われた。
その日は、雨も止み、月明かりの綺麗な夜で有った。山間は夏の時期の鬱蒼とした木々が生い茂り、時折、野鳥の鳴き声が響き、梟や耳ヅクのホーホーという声が山を覆っていた。
山頂に近付くと周りを照らす篝火が見えて来て、二層の天守を中心に、凡そ100坪程の台地に防柵がされていた。そこに15人程の見張り番の兵士達が寝ずの番をしている。
常満は高野和久夫婦が閉じ込められている城の2階に目をやった。すでに二人とも休んでいる様で、部屋には明かりが見えていない。番兵の配置は岩室からの上り口に5人、城の周りに10人が警備していた。(思ったほど、少ないな・・・)と誰もが思うほど、閑散とした周囲であった。
ピュッ、ピュッと小さな音がして、石飛礫が一番前で並んでいた二人の兵士の眉間へ見事に当たった。二人は声も出ず、もんどり打って仰向けに倒れた。石目の投げた平たい石が当たったのである。
更に間髪入れる事なく、権坐が放った朱に染めされた羽根付きの吹き矢が、二股状の筒から2本同時にシュッと飛んで、上り口にいた二人の兵士の首に刺さり、彼らも気を失ったまま頓死した。
朱鷺の権坐と云われる由来の毒針を使った武器で、その先にはトリカブトの絞り汁・河豚の肝・ハブの毒・鉛や水銀などの鉱物液が塗られていて「山根」と呼ばれた猛毒であった。首筋に当たれば、僅か数秒で倒れた。
前の4人がドッと倒れたので、残りの兵士達は肝を潰した。しかし、次に銅丸が放った仕込み分銅が5人目に炸裂すると、さすがに敵の来襲と気が付き「曲者,敵襲!!」と叫び出した。その時、待機していた10人の笹川勢が一斉に飛び出して、山頂にいた兵士を一挙に事如く始末してしまった。
彼らは直ぐに城内に侵入すべく入口に寄せたが、門は固く閉まっていた。中にも何人か高野勢がいるはずである。慎重に常満たちが近づいた時、突然扉が開いた。中から蛍火と鷹の目が出て来たが、なんとそこには高野夫婦が既に立っていた。
周りで戦っている間、二人の根来衆が二人を助け、更に中にいた警備兵を和久も助勢して討取っていたのだ。入口で笹川常満と高野和久はしっかりと手を組んだ。
≪第八十話≫ その12. No.125
脱出に成功した常満と和久たちは、麓に降り、直ぐに味方の収集を始めた。先ず和久側の重臣で、清水寅之助良高の実家でもある清水家に足を進めた。朝の4時前である。突然の訪問に主の清水雅兼は当主・和久夫婦の姿に度肝を抜かれたが、事情を察して丁重に彼らを迎えた。
奥座敷の上座に領主夫妻を座らせると、雅兼は二人に深々と頭を下げた。「殿、奥方様よう御無事で戻られました。」と声を震わせながら挨拶した。「雅兼、心配を懸けた。許せ。されど今直ぐに事を起こさねばならぬ。味方になる兵をどれ程集められるか?」「はっ、私目の配下だけでしたら、精々15人程でございます。」「15人か?・・・・」「少し、時を頂ければ、更に20人程なら呼べると思われますが・・・」「常満殿、如何か?」と和久が問うた。
「荒田惣衛門の屋敷には、どれ程兵が配置されておるのか?」と常満が雅兼に聞いた。「はい、恐らく非常時でございまするから、常よりも多く30人は待機されていると思いますが・・・」と清水雅兼が渋い顔で答えた。
「殿、」と更に雅兼が和久に顔を向けた。「二日前に、稲島の陣中より使者が来て、本日300の兵を持って出陣せよと御家老・荒田様に児玉監物殿の文が届いておりまする。既に本隊は福井砦に集結致しておりまする。」
「本日、20日とな!?」と常満の顔を見ながら和久が云う。「それで、松岳城に警備の兵が少なかったのか。」と木島勘平が呟いた。常満が「決戦は21日じゃな!!・・・・とも角、時が無いので素早く動かねばならぬ和久殿。荒田親子は同時に抑えねばならるな。」と決断を求めると「如何にも」と常満の言葉に和久が同意した。
和久が「雅兼、照美は今、何処にいるのか?」「はい、臨戦下でありますので、昼は天神山城に待機し、夜半から館に戻っておりまする。この直ぐ先でござる。」と常満にも目を向けた。
一同を見渡しながら、常満が「松岳城の襲撃が発覚するのは、時間の問題であろう。二手に分かれて、一挙に攻めるが、先ず惣衛門邸は、和久殿・我ら・清水殿の今居る配下で充分であろう!。照美の屋敷には、清水殿の集めた兵を待って、勘平以下6名が加わり、照美邸を押さえる。如何か?和久殿。」と常満が云うと、「それでよかろう」と二人は、見詰めながら頷いた。
清水雅兼の館に木島勘平と3人の兵士、更に銅丸・蛍火を残して、和久を先頭に常満・権坐ら10人と雅兼の配下15人で未だ明けぬ岩室の路地を巧みに突き進んで行った。雅兼の情報では、松岳城の番兵は三刻(6時間) 交替で、次は卯の刻半(午前6時)となっていたので、騒ぎが始まるはずの1時間内に事を成就せねばならなかった。彼らは躊躇している間もなく、俊高譲りの機敏な行動で目標に対処した。