≪第八十話≫ その5.No.118 ≪第八十話≫ その6. No.119
≪第八十話≫ その5. No.118
甲斐甲斐しく世話をやいていた女達の中にも、3人の感染者が出た。俊高は情愛を呼んで暫らく奥の部屋から出ない様に指示した。
皆が気を使うので懐妊した事をまだ公にしていなっかたのだ。「もう皆に告げねばなるまい。」と俊高が情愛に話す。情愛は黙っていたが、城内だけでなく、この戦に、皆生死を懸けている。城主の妻だからとて、この状況では特別扱いは出来ないと思っていた。
「俊高様。この病に例の薬師堂の霊水を皆に飲ませましょう!さすれば、この苦難を越えられると信じまする。」「おゝ、それは妙案だ。毒消しと一緒に届けさせよう。・・・・情愛‼今はとにかく暫らく動くな。お腹のやや子を守ってやらねばなるまい。判るな‼」情愛は、静かに頷いた。
その後、俊高は直ぐに権坐に向って、光の合図を送った。一人、こちらに寄こす様にと・・・
亀城の八角楼から、長者原山の頂上に向って、銅鏡の光の信号が何度か送られた。梅雨の少しの晴れ間を利用しての通信であった。
暫らくして、秘密の抜け穴を蔦って若い忍びが城内にやって来た。疾風の透太であった。「朱鷺の権坐の息子、透太と申しまする。」「おお、権坐にこんな息子がおったのか!」と笹川常満が透太をマジマジと見ながら云った。透太は権坐の様な厳つく渋い顔付よりも恐らく母似であろう目元涼しい理知的な面射しをしていた。
先回の奇襲のあらましを透太から聞いた後、「お前の父には何度も助けられた。高喜達が助かったのも、お前達のお蔭だ。礼を申すぞ。この戦が収まれば大きな恩賞で酬いたい。此度は更に軍功が上る役を頼みたいのだ。」と俊高が丁重に云ったので,透太は畏まった。
俊高は透太を連れて、病人達が隔離せれている部屋に案内した。権坐の息子の透太が、其れなりに病の事や、治療の事を察すると観て連れて来たのである。
透太は、感染者を診ながら症状を聞いて行った。『血くそ』(赤痢)は、当時よくある病気の一つで有った為、透太にも必要な薬剤が理解できた。それを確かめると、俊高が「出来るだけ早く毒消しを持って来てくれ。それに大杉のある薬師堂の湧水を樽に入れて、運んでほしい。あれは、天が呉れた霊水なのだ。」
敵の囲みを縫って城内に薬草と湧水を何人かで運び入れる事は、先回の投石器破壊の任務とほぼ同じ位困難な密命で有るが、亀城の内情を観て透太にもこの非情事態が呑み込めた。このままいけば、戦わずしてこの城は落城する。
透太は、直ぐに夜の闇の中に俊足を持って消えて行った。疾風の透太の異名は、常の忍びの倍早く走る技を心得ていたからであった。
≪第八十話≫ その6. No.119
7月に入り、長雨が更に続いていた。城内は蒸し暑く息苦しい程であった。『血くそ』(赤痢)の感染者は増して、70人を越えていたし、既に5人の死者が出ていた。
透太が去って10日が経っていたが、まだ薬と湧水は届かなかった。俊高は長期の籠城戦に、感染病という最悪の事態となって、兵士の士気が低迷する事を考慮し、兵士達に体力強化と錬成を兼ねて、城内の馬場を道場代わりとして、情愛の側近・菅田須衛門と楓の二人から柔術を習わさせていた。
上半身裸の侍達が次から次へと組打ちをして飛んだり跳ねたりして、その場は戦場で有る事さえ忘れて、熱気が漂っていた。互いに滅入る感情を押さえて,組打つ姿は新鮮であった。時折、その亀城の声が雨の中、待機している新津・白根兵達にも聞こえて、敵の活気付いた声に嫉妬を感じる程であった。
児玉監物は、そんな周りの雰囲気を他所に、時盛に伝えた『決定的な策』を探さんと長者原山の中を歩き廻っていた。壊された投石器の増加分が後10日もすれば完成して、こちらに到着する。また、吉田豊則に探索させている抜け穴も何れは見つかるであろう。更に後詰めの兵500も荒田惣衛門に渋々承知させ、新津・笹川勢と合わせて手配を済ませ、総攻撃の準備が出来次第、出兵させる手筈となっていた。
しかし、しかしである。未だ徹底的な最後の秘策が見当たらない。俊高が対処出来ぬ何かがなければ、こちらの大勝にはならないのである。・・・・雨で抜かるんだ山道を時折足を滑らせながら、供の者を連れて、亀城の裏側まで来ていた。
突然、足元が崩れて、小さな土砂崩れが山の斜面を滑って行った。「おゝ~‼」と危うく転がり落ちそうになったその時、監物は「占めた!!これゾ!!」と叫んだ。その後、再び山間を丁寧に探索をして、本陣に戻って行った。
奇しくもその夜、激しい雨風の中を敵方の目を盗んで、5人の影が長者原山の獣道を縫うように進んでいた。背中には黒塗りされている10升樽と木箱を背負い、ひたすら走り続けている。夜でも目利きする鷹の目を先頭に、疾風の透太・高喜・勘平・朱音の5人であった。