≪第七九話≫ その5.No.110 ≪第七九話≫ その6.No.111
≪第七九話≫ その5. No.110
この日の戦で、白根・新津勢は130人が打ち取られたので、4回の戦で合計410人となった。稲島勢は、30人が犠牲となったので、計140人となり、双方ともギリギリの所に来ていた。
城内で討ち死にした敵方の兵士は、荷台車に乗せて城外に運び出したが、双方死者の弔いを重んじて、攻撃はなかった。一時の静寂が夜の帳を覆った。5月の明るい半月と星々が夜空を照らす夜であった。
俊高の命を受けた15人の武者達が、新しく作った抜け穴から、密かに抜け出していた。時は丑の刻(午前2時)を少し廻っていた。弟の高喜が隊長となり、清水良高・木島勘平ほか、精鋭15人であった。目的は、あの5台の投石器を破壊する事である。
寝静まった夜の闇の中を、5人づつ組となり、青草の匂う山道を慎重に進んだ。勿論ほぼ全山白根・新津勢の見張りがあちこちに立っている。抜け道の先は、亀城の東側奥にあり、暫らく行くと湯煙りの香りが漂って来た。湯の腰の湯治場に出たのである。
元々、この弥彦・角田(長者原)山連山は今日より凡そ200万年前に海底火山の噴火により、隆起した地層群で出来上がった地帯であった。故に岩室温泉・弥彦温泉・湯の腰温泉(現在は、新たな温泉郷が出来ている。)など、10km圏内に多々出現している。更に今世紀に入り、掘削技術の進歩もあって、あちらこちらに湯治場が出現した。
高喜達は、何とか無事に城を抜け出し、敵本陣とは真反対の方角である湯の腰に来たのである。これには訳があった。一つは敵方に悟られない事、もう一つは、ここで朱鷺の権坐と合流する手筈となっていた。15人の面々は、周りを警戒しながら、湯治場の小屋に近づいた。
不思議に敵方の気配がない。その時、夜の薄明かりの中に、チリン・チリンと微かに鈴の音がした。権坐の合図である。高喜達の前に7人の黒い影が現れた。先頭の権坐が忍び声の術で耳元に囁いた。「高喜様。こちらに・・・」と湯治場の小屋に皆を案内した。高喜が「敵は大丈夫か?」と聞くと「周りにいる者は皆倒しました。」と権坐が答えた。
≪第七九話≫ その6. No.111
高喜が更に問うた。「例の所まで、案内出来るか?」「承知致しておりまする。この者達は私の下忍でござる。」と月明かりの中で、控えていた6人を紹介した。更に目配せで二人の忍びが前に出た。「これは、我がの息子と娘でござる。挨拶を致せ。」と云われて黒頭巾の口元を下す。
「疾風の透太と申しまする。お見知りおき下さりませ。」と年の頃、18歳くらいの目元涼しい若者であった。」「私は、朱音と申しまする。」「朱音とな?良い名じゃ。」と高喜が云うと、朱音は少し恥じらいだ。そして、残りの4人も名乗った。「石目」「鷹の目」「蛍火」「銅丸」一同頭を下げた。
権坐が「高喜様は、鷹の目と蛍火をお連れ下され。鷹の目は闇夜にも目が訊きまする。蛍火は火薬など火遁の術が得意でござる。」「お主たちは如何する?」「我等は仁箇山辺りで騒ぎを起しまするので、その隙に破壊して下され。」高喜が頷き、「首尾よく事を成せば、我ら一同、一端五ヶ浜の避難所に参る。よいな!」「心得まいた。」と権坐が答えた。
その後、7人の忍び衆は、倒した敵方の兵士の武具を付けて出陣の準備をした後、権坐と4人の忍びは風のように姿を消して行った。高喜らも2人の忍びに案内されながら、次第に敵本陣に近づいて行った。亀城を出て一刻(2時間)が過ぎていた。後一刻ほどで夜が明けてしまう。
しかし、本陣に近づけば周りは敵ばかりとなる。人が一番深寝するのが、夜明け前の4時前後と云われるが、戦の最中である。また、あちこちに見張りの兵が立っているので、そう簡単に目的の投石器に近づける訳がなかった。
その時、仁箇山の数ヶ所でバチバチと火が燃える音がして暗闇に輝いた。更に稲島の村外れの農家から、火の手が上がった。周りが騒ぎ始めたので庄屋の母屋を寝所にしていた児玉監物も、夜襲かと思い、跳ね起きた。「何事か!?」近従の兵士が「敵が火を放った様でございまする。」と叫ぶと「夜襲の備えをせよ!!」と下知を下した。
そして、近くの高見が出来る土手に行き、様子を覗った。何ヶ所かに火が見えるが大軍が動いている気配がない。「・・・・?」暫らく思案して亀城の方向に振り返った。山の中腹に眠った亀の様に何の動きも無い。所々に城内の篝火が隙間から洩れているだけである。
「・・・・!あの火は囮だな‼・・・・『城崩し』が危ない!!」と直ぐに土手を下りて叫んだ。「城崩しを守れ~!!」寝所近くにいた兵士達が一斉に動いた。
一方、この騒ぎの中で高喜達は何とかドサクサに紛れて、目的の投石器まで近づいていたが、周りに沢山の兵士達が囲んでいた。篝火に照らされている巨大な化け物5台を一度に破壊するのは到底無理な状況であると高喜の目には映った。