≪第七八話≫ その8.No.103 ≪第七八話≫ その9.No.104
≪第七八話≫ その8. No.103
亀城のあちらこちらに火の手が上ってきた。しかも、目に沁みる黒く悪臭のある煙が漂っていたその最中であった。
亀城の大手門・前方と左右の4ヶ所から垂直に鉄板の淵取りを施された高さ2.5間(4.5m)の分厚い板壁がガラガラ~と轟音を立てて突き出て来た。その大壁は白根兵を掻き分けて延びて来て内堀の防護柵と接し、云わば間仕切りの閉じ込められた空間を齎したのである。
次に城の高見台から、ド~ンと雨戸が開くように、防壁が外側に大きく開いて、閉ざされた空間にいた白根兵に向って、亀城の兵士達は一斉に上から弓矢や、油入りの革袋を放ち、敵を大混乱に陥りさせた。更に城の大屋根から、油入りの樽が内堀に幾つか投げ込まれたので、狭い内堀は、一挙に火の海と化してしまった。
攻防の3回戦は、ほぼ互角に昼前には互いに攻撃は休止されていた。計3回の戦いで、白根方は280人、稲島方は110人の兵を失っていた。どうにか1勝1敗1分けで凌いだが、俊高は思った以上の苦戦に負け戦を感じていた。
(これ以上犠牲を出したくない。出れば我らの負けである。しかし、戦はこれからが本番であろう。児玉監物という男、噂は聞いていたが恐ろしい男だ。次はこの亀城の中に敵を誘いこんで大打撃を与える策しかない。しかし、吉田豊則がいて、監物は充分に警戒しているはずである。仕損ずれば落城となる。・・・・)
白根方は又暫し動かなかった。次の攻防がこの戦の行方を決めると敵方も判っていたのであろう。俊高は何としても、もう一度防ぎたかった。
当主の間に主だった者達を集めた。笹川常満・柿島親子、此度の戦奉行である横山重光・筆頭家老の佐野久衛門・侍大将となった清水寅之助改め良高・そして副将である弟の高喜である。次席家老となった真島高兼は、支城の平澤城を任されていた。
俊高が先ず3度の籠城戦の慰労を口にした。「方々、3度の攻防戦、よう戦ってくれた。特に此度は叔父御の采配が功を奏している。この城にて何度も戦った事、さすがである。」久衛門が続いた。「細かな所まで、よく配慮して頂いており、さすがでござる。」他の者達も大きく頷いて横山重光を賞讃した。
籠城は攻めるだけでなく、防御が最大の武器となる。また敵の攻撃に対して、手際の良い対応を瞬時にせねばならない。白根方の火責めに素早く処置出来たのも、何度もこの長者原城で戦ってきた横山重光らの重鎮たちの働きが大きかったのだ。
皆から賞賛を受けて、例の如く、顎鬚と口髭を交互に撫でながら、重光は返礼した。
「恐縮に存ずる。わしの働きなどは大したものではござらぬ。皆がようやってくれ申した。わしなどは先々代の俊兼様の戦仕様をこの身に叩き込んで置いたまでの事。それにお屋形様が新たな工夫をされて、敵の猛攻を防げ申した。・・・・されど、次の戦が勝敗の鍵と成り申そう。」
俊高がその言葉を受けて「その通りである。方々、児玉監物は、用意周到、隙なく攻めて参ろう。されど何が何でも、次の一戦を必ずや凌いで我らは持久戦に至さねばならる。この戦、長引かせねばなるまい。児玉監物の気質から長期戦を願ってはおらぬはず。長引けば我らより白根方が不利となる。」
≪第七八話≫ その9. No.104
俊高は話しを続けた。「次はこの城に敵を招くつもりだ。しかし、敵に寝返った吉田豊則がいる為、簡単には入ってこぬまいと思う。何か良い策はないか。方々」一同も暫し沈黙せざるを得なかった。
いつも豪快な話をする笹川常満であるが、さすがに相手が児玉監物である為に言葉を選んで云った。「先ずは、敵の出方を確かめねばなるまいな。向うも勝負を賭けてこように。
しかし、あの土団子は何じゃ。砕けると黒い汁が出て火が付けば一気に燃えた!」と溜息混じりに続けた。柿島信政が「多分、あれは秋葉の黒水であろう。黒川辺りで良く沼地から湧いて出ると云う事だ。燃える水と不思議がられておる。」俊高が「城の被害はどうじゃ?」と佐野久衛門に問うと、「幸い、手筈通り火消し組が砂や泥水で早目に治めてくれ申した。されど、こちらの反撃がもう少し遅ければ、惨事になっておりました。」
「お屋形様、次の攻撃に我ら錬成隊を使って下され!」と力強い声で副将の高喜が提案した。錬成隊とは、俊高が稲島改革の時、提案した15~25才の者達を定期的に訓練していた若者の中で、特に優れた者達を当主付きのお傍衆として40人の隊を作っていた。清水良高も後押しした。「お屋形様!白根の佐藤忠勝は、父の仇を討つ為、以前より必要にお屋形様を狙ってござった。身共にお屋形様の鎧・兜を貸して下され。先方隊の忠勝に一泡食わせれば、激怒して追っ駆けて来ましょうぞ。そのまま、城に誘き入れまする。」黙って聞いていた横山重光は、膝を打って「おう!それは名案。修羅場では、冷静さを欠く事が多いものじゃ。良高、上手くやるのじゃぞ!」一同も同意した。
しかし、俊高は思案気に「・・・・確実に敵を100人は入城させねばならぬ。わしは、児玉監物という男、本来は武力による戦を好まぬ人物と視た。慎重に事を運んでいる事や、最小限の犠牲で勝つ道を選んでおる。云わばあ奴の美学とも云えようが!?・・・・」「それならば、俊高殿に良く似ておりまするな。」と常満が云った。
それには答えず、俊高は続けた。「わしはこの戦、白根が500か、当方が200を失えば勝ち負けが着くと観ている。そして、長くても100日を境に攻めてこよう。今の我らには、援軍は望めぬ。次の合戦に100人は倒し、更に味方の犠牲も最小限にせねばなるまい。故に、佐藤忠勝にはわし自らが当る。」
一同が声を揃えて反対した。しかし「如何にわしを憎んでいる忠勝とて、先方隊を任されている侍大将じゃ。軽はずみな事はすまいよ。わしが行って奴を連れて来なければなるまい。」皆、俊高の性分は良く知っていた。いざとなれば、誰よりも先頭に立つ。目的に対しては、決して妥協しない事を・・・・評定は続いたが皆、この戦の窮みを感じていた。