≪第七八話≫ その4.No.99 ≪第七八話≫ その5. No.100
≪第七八話≫ その4. No.99
その朝は薄い朝霧が越後平野を透けた絹の様に覆っていた。改築した亀城の新しい八角楼に一人俊高は眼下に押し寄せている白根・新津の主力を見下ろしていた。思えば丁度、4年前、16才の初陣から始まった幾多の出来事が今の全てに繋がっている。短い期間によくぞここまで来たなという思いが湧いて来た。
(仁箇沼の戦、和納の戦、そして見事に決まった夜襲戦、その後の中之口の戦いも何とか乗り越えた。しかし、笹川常満の救出も一歩間違えれば、落命していたであろう。赤塚の帰りの奇襲も権坐の助けがあったが、ぎりぎりの体であった。さらに・・・・情愛との不思議な縁、また常満や信政との出会い・更に義父である草日部英郷との交わりなど、いま振り返れば、人智を越えた出会いがこの身の周りで起こっている。
16才の砌、長者原山で体験したあの天からの教示が全てに繋がっているのであろうか?その後、毎日のように山頂に参拝して、更なる天啓を求めたが答えは無かった。しかし、多くの守護が有った事は事実である。
今回のこの戦。分は明らかにこちらが劣勢である。兵力差だけでなく、ここまでの筋書きは、児玉監物の画策通りに進んでいる事。頼みの援軍は今の所、高野家も草日部家も動けまい。さらに、敵側には、裏切った吉田豊則がいて、こちらの様子を悉く伝えている事であろう。・・・・我らには、この亀城と結集した740人以外に頼るものがない。・・・・)
俊高は想いを巡らしていたが、ふと背後に人の気配を感じたので、振向いた。
「お屋形様、ここにおられましたか。」情愛であった。「下は如何している?」「皆、今日の戦にしっかり整えておりまする。」「そうか、皆も心得ているのだな。これからの戦を!!・・・」「俊高様、」情愛が俊高と呼ぶ時は、二人だけの時である。横に来て俊高の左手に手を重ねた。
「お話がありまする。・・・私、懐妊致しました。」「えっ!」と思わず俊高は情愛の顔を見詰めた。「本当は戦の最中、未だお話すべきでないと思っておりましたが、何れ判る事ゆえ、俊高様には御伝え致した方が良いと考えました。」「そうか、情愛、でかしたぞ。で、何時産まれる。」「月のモノが止まって二ヶ月ですから、神無月(10月)か、霜月(11月)となると思われまする。」俊高は情愛を抱き寄せ、「この戦、是が非でも勝たねばならるな!情愛っ」「はい。」
≪第七八話≫ その5. No.100
白根・新津方の攻撃が寅の刻(午前6時)から始まった。先方集団の佐藤忠勝を侍大将に凡そ800人が先ず、外堀を攻め立てた。初めは弓矢の応酬である。火矢を含め、数千本の矢が稲島方に放たれた。
稲島方は、予め用意してあった縦2尺(約70cm)横1尺(33cm)の盾を各々頭に翳して矢を防いだ。矢の応酬が終ると、白根・新津方は、これも用意していた5間(凡そ9m)もある竹の長梯子を一斉に外堀を越えて、稲島方の外壁に立て掛けた。数は100を越えていた。
その竹梯子を2,3人づつ登り始めると、後方でそれを援護する弓隊が再び一斉に弓矢の雨を降らせた。俊高は内堀側にいて、亀城の正門に陣取り、全体の動きを観ていたが、敵の外堀越えに対して、白い小旗を振って下の味方に指示を送った。
下の兵士は、用意していた長さ7間(約13m)以上も有る竹竿を取出し、その先に槍先や布に油を染み込ませた物を絡ませ火を付けて、竹梯子を登って来る敵兵に一斉に突き出した。細く長い竹竿はクネクネと苦ねって敵兵に絡みついた。
半数近くがその竹竿を、避け損なって水堀に落ちた。それでもなんとか弓矢の援護で堀を越え外壁を乗り越える敵方もいたが、しかしこれも内堀の守備兵に矢を放たれて打ち取られてしまった。それでも、その中を勇猛に突破して飛び込んだ10人ほども構えていた味方の餌食となった。
俊高は頃合いを観て、次に赤い小旗を振った。それを確認した外堀の右翼・左翼を守っている笹川常満と柿島信政は、今度は木樽に用意していた革袋を兵士達に持たせていたが、一斉に外堀に向って投げさせた。その革袋には、菜種、胡麻、松脂などの植物油が5合ほど入っていて、投げ際に袋に小刀で少し傷を付けて放つのである。
外堀に投げ込まれた油は、幅2.5間(約5m)の外堀に広がって一面に油の膜が張られた。そこに火矢を放ったので外堀は一気に火の海となった。竹梯子を渡っていた敵方の数十人の兵士達は、殆どの者が火炎の堀の中に落ちて行った。
こうして最初の攻防戦は、稲島方の勝利で二刻(4時間)足らずで終った。白根・新津方は、100人ほどの死傷者を出したが、味方の落命者は、10人ほどであった。しかし児玉監物は負け戦にも冷静であった。初戦は様子見と思っていたのである。
それでも、内心は城方の奇声を挙げた勝ち鬨を聞きながら、やはり俊高の手配りの見事さに、思わぬ多くの犠牲を出してしまった事を腹立たしく思っていった。
それから10日間は戦と思えぬ静かな日々が続いた。城内の兵士達は、初戦の勝利に沸いたがその後の静けさに寧ろ敵の次の手が何か恐ろしげで不安を隠せなかった。