(五) 義 父 ≪第七二話≫ No.90 ≪第七三話≫ No.91
(五) 義 父
≪第七二話≫ No.90
年が明けて、正月の祝いもそこそこに高野家を除く四家は春先の戦の支度に入った。稲島家では、亀城に兵糧と武器の確保が進められ、さらに籠城戦に用いる様々な大道具・小道具を準備し,又、投石用の大小の石、大量の油などが城内に持ち込まれて行った。
俊高は、小正月(15日)が過ぎて12ヵ村の村長を亀城に集めた。今までの経緯を伝え、此の度の戦が長期戦になる事、この戦が大きな峠となる事などを説明して最後に
「皆の衆、敵は三度の負け戦に有りとあらゆる事を仕掛けて来よう。女、子供にも容赦せぬかも知れぬ。・・・半年は耐えて行かねばならぬので、良いか、稲島全域の者に退避させてくれまいか。これより雪解けを待って、交替にて長者原山の五ヵ浜砦を中心に避難所を築き、更に角田浜にも、そして、赤塚の草日部家にお願いして、越前浜にも一ヶ所、避難所を設けるつもりだ。
我らは亀城に籠城するが、万が一、敵が避難所を襲っても救出出来ぬかも知れぬ。今まで若い衆を鍛えて来たので皆で此の苦難を越えてくれ!この戦、必ず勝つ!堪えてくれい・・・」
村長の総代理をする稲島・湯の越しの仁平が膝を進めた。「お屋形様、我らも皆、覚悟が出来ていますけ、御心配に及びませぬ。それより、折角出来上がった毒消しの調合所や鉄工鍛冶場が奴らに取られてしまうのが、口惜しいすけ。どういたしましょうか?」「必要な物は皆持っていけ。敵が調合所を焼き払えば、又建て治せば良い。」「はい、皆も判っただな!」と仁平は村長達に呼びかけた。「へい!判りましただ。」と一同声を揃えた。
この後、俊高は清水寅之助と弟の高喜に命じ、城内から外に抜ける秘密の出入口を3つ造らせた。吉田豊則が敵に内通したので、以前の抜け穴は全て閉鎖したのだ。
2月に入り、俊高は義父である草日部英郷に会いに行く時が来た。その前夜、もうすっかり正室の振舞いが板に付いた情愛が俊高に懇願していた。「お屋形様、赤塚に私も連れて行って下され。久しぶりに父上や弟妹に会いとうございまする。」
綺麗な瞳を更に輝かせながら、詰め寄る情愛に俊高は少し戸惑いながら「今回はだめじゃ。そなたの父上と心底通づる話をしたい。そちが来れば、英郷殿も情に絆されるやも知れぬ。私情を挟まぬ男と男の契りを結ばねばならぬ。判るな!情愛。」
暫し俯いて情愛はコクリと頭を下げた。「ならば、文を書きまするのでお持ち下され。」と願ったので俊高は頷いた。
≪第七三話≫ No.91
翌朝、俊高は20人の手勢を連れて赤塚に出発した。雪が一番多い季節であるが、行けるのは今しかないのだ。敵の間者を避けて、越前浜の海岸線の裏道を進んだ。途中から空模様が怪しくなってきた。
朝は晴れていたが越後の天気は直ぐに変わる。朝晴れでも昼には吹雪となる。天候が西北の風に乗って良く変わるのだ。
云わば日本海側の冬の典型である。また、海沿いは海風が物凄い。ゴーゴーと音を立てて吹きまくる。更に地吹雪が足元から舞上がり、目の前が見えなくなる事もしばしばである。しかも道は雪道より凍った道が怖い。滑って良く後頭部や腰を打つからだ。
一行は足元から巻き付ける様に絡む雪風を受けながら進んだ。稲島から草日部氏の居城まで凡そ2里半(10Km)であるが、常の倍近くは時間が繋った。慣れた者でも途中で何度も転んでいた。雪道用の寒敷きを履いてでもである。馬にも足に藁靴をする。それでも滑るのである。
浜の砂丘から続く、松林の茂る高さ20mほどの丘陵地帯が延々と海岸線を走る。その一角に草日部氏の居城・赤塚城があった。俊高は初めてここに来た。周囲を石垣の上に樫の木の頑丈な塀で蔽い、東西南北に物見矢倉がそそり立ち、ほぼ中央に三層の本丸がどっかりと座っているのが見えた。
父祖以来8代目の当主を支え、この地帯を治めて来た威風は伊達ではなかった。俊高一行は城の正門に着いたが、途中で出迎えに来てくれた草日部家の兵士達に守られながら入城して行った。
5代・英興の時に草日部家は全盛期を迎えた。領地は8,500石があり、今より2,000石以上も有って兵力も最大で800人を越えていた。しかし、その後の度重なる新津・秋葉氏との合力で戦が重なり、多くの兵と財を消耗した。現在は6,400石、550人の勢力であった。
城門を潜ると、紫地に家門の亀甲菱が鮮やかな山吹色に染められた草日部家の陣旗が多数棚引いていた。すでに戦の雰囲気であった。幾つかの通用門を通って威風を放っていた本丸に出た。そこからは、俊高・高喜・寅之助の三人だけが通され、奥の評定の間に着いた。
上座に英郷がドッカリと座っていたが、その後ろに俊高が今まで見た事のない幾つかの品々が置かれていた。義父とは昨年の祝言以来の出会いである。