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(八)天の花嫁≪第四六話≫ No.64 ≪第四七話≫  No.65

(八)天の花嫁

≪第四六話≫      No.64

 ここで越後の国の国情を少し説明しておきたい。『応仁の大乱』以来越後の国もその乱れは例外ではなかった。室町幕府の成立後、越後の国は関東管令職の上杉家が代々守護大名として支配していたが、実際の統治は、守護代の長尾家が行っていた。

 8代将軍・足利義政の時、後継者問題で弟を押す将軍義政と、実子の誕生により我が子を立てる将軍・御台所の日野富子との云わば日の本の国を裂いた夫婦喧嘩が11年に及ぶ大乱を引き起させ、結果100年間の戦国時代の幕開けになってしまった。

 室町幕府の統治力が弱まると、それぞれ地方の勢力争いが始まり、下剋上を繰返し、やがて戦国大名を誕生させていった。

 その中で、守護・上杉家と守護代・長尾家の主従による争いが越後の国を二分して凡そ30年続き、その後は国人衆による領地争いが20年続いた。稲島家のある西蒲原地域(下越)は当初は上杉派の新津・秋葉氏と長尾派の三条・斎藤氏の二大勢力がぶつかり合い10年以上の攻防戦が続く。その後、双方とも力を弱め、其々についた豪族たちも自領の拡大に紛争していった。

 稲島家は当初、中立を保っていたが、三条の斎藤家の圧力で止むを得ず与力して、先々代の俊兼の時、秋葉軍を破り大きな功績を立てた報償として平沢、鷲の木の地を賜った。それが笹川・柿島領の一部であったのでその後の対立に繋がっていたのだ。

 その年の収穫も無事に終り、領民たちは、胸を()で下ろしていた。中之口川の戦が長引けば今頃、稲の刈入れも出来ずにいたかもしれない。稲島の民は三度に亘る若き当主の活躍に、今までにない大きな喜びを感じていた。

 雪国の小さな貧しいこの国が、わずか3年足らずで隣国を従える勢いになっていた。しかも民からみれば、軍事面は云うまでも無く、様々な改革に実を結ばせて、大いに希望が持てたのである。北国街道の往来も明らかに(にぎわ)いが出来ていた。

 そんな時、民衆が更に沸き踊る流言(うわさ)が飛び交い出した。「長者原山の小天狗が花嫁御料を貰うそうな」「それも、ほれ、あの白狐の別嬪(べっぴん)姫五()()じゃそうな!」と誰云うたか、(またた)く間に風評(うわさ)が広まっていった。

 ≪第四七話≫    No.65

 俊高が当主となって、3回目の正月が来た。今年は例年並みの積雪であったが割と穏やかな年明けとなった。しかし、今年の正月は今までと大きく違い、長者原城に三が日の祝いに高野夫婦、笹川常満・柿島信政夫婦が集い、何とも賑やかな正月の祝いとなった。

 それ程広くない評定(ひょうじょう)の間に、4ヶ国の者たちが(ひしめ)き合って膳をならべている。ざっと数えれば(ゆう)に50人は越えていた。酒も入り、座興も入って、盛に盛り上がっていた。

こういう時必ず出て来るのが吉田の三左衛門である。ひょっとこ顔で「皆の衆様、」と、酒が入っていた勢いで、少し()(れつ)が回らないまま、「今日は,誠に嬉しい日でござる。今まで争っていた西蒲衆が一同に集い、この様に祝いの杯を酌み交わせるという事が、丸で夢の様じゃ。ウイ~お屋形様に成り替わり、厚く、厚く、御礼申し上げる。・・・・げっぷ」 

そこへ笹川の常満もやって来て、口上を述べた。この男も酒は大層に行く口であったので、活弁でよく口が廻った。「いや~あ、愉快、愉快、・・・・稲島の御大将のお蔭様で、僅か1年足らずでこうして高野殿とも、盟約の契りが出来申した。有難や、有難や!・・・ところで、わし等は皆、かか殿を連れて参ったが肝心な若大将に奥方がござらん!・・・皆様如何が致そうか?」と酔った勢いで捲し立てた。

そこに柿島信政も加わり、大声で吹聴した。「皆の衆!近頃、不思議な噂を耳にしたぞ!長者原山の天狗様が赤塚の白狐様を嫁御に貰うそうだとな!・・・こりゃ、誠か、三左衛門殿、」と聞くと騒いでいた連中も一斉に俊高の方を見詰めた。

しかし、肝心な俊高本人はニヤニヤするだけで酒も飲まず、正月の馳走を口に運んでいただけだった。

 そんな出来事があった丁度一カ月後に、雪の深々と降る2月の晩、赤塚から3人の使いが稲島館に佐野久衛門の案内で俊高を訪ねてやって来た。

 奥の間に通されたのは、赤塚・草日部家の家老で本田与一益(ます)(たけ)とあの情愛(あやめ)姫の従者であった男女二人である。男の方は名を菅田(かんだ)()衛門(えもん)と云い、南郷流柔術の達人であり、剣の指南役でもあった。女の方は名を(かえで)と云い、情愛付きの侍女である。

 本田益丈が主人・草日部英郷の文を俊高に渡した。それは、俊高にとっても待ちに待っていた内容が書いてあった。


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