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(七)中之口川の合戦≪第四五話≫  その1.No.58≪第四五話≫  その2.No.59

(七)中之口川の合戦

≪第四五話≫  その1.  No.58

 長月(ながつき)(9月)に入って、(やま)(あらし)(現代の台風)が越後を襲った。裏日本のこの地方は比較的、台風の直撃が少ない地方ではある。しかし、日本の最長河川(かせん)である信濃川が5,6年に一度洪水を起し、50年に一度、大洪水を起した。

 潟東の語源にもなった、鎧潟はその中の500年に一度の爪痕(つめあと)が、東西26(けん)(2.6Km)・南北11間(1.1Km)の巨大な湿地湖を造らせた。この物語の舞台である越後平野の住民は、まさに冬は雪、夏は洪水と云う、水の闘いをした。

 幸い、今年の山嵐は、所謂(いわゆる)、風台風で暴風が吹捲(ふきまく)ったが雨量は少なかった。まだ稲穂が重く付く前であったので田畑の被害は少なく終ったが、風で家々が倒れた。

其の為、木材を大量に信州(長野県)から信濃川を下って、(いかだ)を組み、船頭たちが川流しで運んでいた。

 そんな折、突如、笹川勢と柿島勢が大通(おおどり)川を越えて、佐藤氏の潟東領地に侵入して、最前線基地である打越(うちこし)砦を夜襲し、直ぐに支城である井随(いずい)城を明けて取囲んだ。

 笹川勢・250人、柿島勢150人の計400名が出動して、100名程で守備する井随城を取囲んだのである。・・・しかし、これは誘いであった。井随城を囲めば、白根から援軍が来る。今の佐藤氏の勢力では3~400人を送るのが精一杯であろう。

 白根城から、中之口川を越え、潟東(がたひがし)に渡る為には、二つの橋のどちらかを渡るしかない。一つは中之口に通じる白根大橋で在り、もう一つは味方に出る曽我(そが)橋である。普通であれば、白根大橋を通って救援に向かうのが常策であろう。

 どちらにせよ、やって来るこの援軍を倒す事が本命なのである。この佐藤氏の云わば、本隊を笹川軍・150人と稲島軍50人の計、200名が別動隊として、これに当る。

 そして、俊高率いる200人の伏兵が密かにある場所で待機していた。故に、佐藤軍の本隊が橋を渡って、井随城に向かった背後を突く、これが俊高が立てた作戦であった。

 しかも、敵がこちらの策に乗ってこず、援軍を出さない時は、両橋を一端閉鎖して潟東の旧領地を完全に奪還すれば良いと考えた。

 井随城を笹川・柿島両軍が囲んで丸三日が過ぎたが、白根勢の動きは無かった。俊高は密かに高喜を連れて井随城を囲んでいる笹川常満と柿島信政に会いに行った。


≪第四五話≫  その2.                  No.59

 味方の陣営に着いて二人に会った俊高は、「三人だけで、話をしたい。」と双方の重臣たちを下がらせた後、「こちらの計が白根方に漏れているのではあるまいか」と常満、信政に問うた。「それは、あるまいと存ずる。」と常満が答え、

「万が一、知られたとて、二つの橋を封鎖致し、領地を奪った後、この井随城をじっくり落とせば良かろうと存ずる。」

 信政が更に続けた。「佐藤政時だけであれば、直ぐにでも飛び出して来ようが、さすがに児玉監物(けんもつ)は慎重な男でござろう。」「ならば、このままの布陣は危険である。後、二日見て敵が動かなければ、橋を封鎖致す。」と俊高が断じた後、暫らく二人の顔を眺めていたが「貴公ら、わしに何か隠している事はないか!?」と長身の体を縮め、二人の顔を(のぞ)き込んだ。

 常満が気間ず悪そうに「いや、隠す事ではなかったが、此の度の盟約の経緯(いきさつ)で、当方に切羽詰(せっぱつ)まった訳がござった。・・・・実は、後ろ盾の佐藤氏の没落に岩室の荒田惣(あらたそう)衛門(えもん)が密かに三条の斎藤氏と組んで、我ら中之口を挟み討ちに致すと云う知らせが届いたのだ。十数年に亘る笹川と高野の抗争をここで一挙に終わらせたいと画策した由。」

俊高は睨んだまま、次に信政を見た。「わしも隠す積りではのうたが、先回の負け戦の責任を柿島にも取らせると政綱が息巻いて、味方(あじかた)の一部を召上げると云って来たのだ。・・・しかし、我らの想いは先日の西福寺での誓いに二言(にごん)はござらぬ。」「わしも同じじゃ!」と常満が続いた。

 俊高は睨みつけながら、「お主らの心を疑っているのではない。ただ、全てを話してくれなんだ事が残念だ。・・・・児玉監物は双方の事を知っているので、今は一端潟東を手放したとしても、笹川氏が斎藤・高野両氏により落ちた後、新津の秋葉氏と組んで柿島領を根こそぎ奪えば良しと見ているはず。故に此度は援軍をよこさぬはずじゃ。その事を知っていたならば、この戦始めから戦法は違っていたのじゃ!!」と俊高に叱責(しっせき)されて、二人とも頭を下げた。

「済まぬ!わし等が甘かった俊高殿。ならば、早々に両橋を封鎖いたそう!」と常満が云った。「井随城は全軍で攻め申すか?」と信政が聞くと「・・・・わしに考えがある。兎に角今日、明日は火責めを中心に城を攻めてくれ。」と俊高が命じたので二人は「相判った!」と声を揃えた。


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