≪第三九話≫ No.52 ≪第四十話≫ No.53
≪第三九話≫ No.52
梅雨の長雨になる頃、佐野久衛門が駒城の当主の奥座敷に俊高を訪ねてきた。10畳程の広さで、この城では唯一の畳敷きの部屋で、吉田三左衛門と遠藤佳美が俊高と改革の進み具合を合議していた時であった。
久衛門が少し遠慮気味に「お屋形様、少しお話ししたき事がござるが、宜しゅうございまするか?」と何時もの雰囲気と少し違い俊高も奇妙に思ったが「うむ、どうしたのか?後ではならぬか」「はい、出来ればお人払いを」と願ったので二人を外した。
外は梅雨の湿った雨が降り続いていた。二人が出たのを確かめて、久衛門は外に向かって「入っても良いぞ!」と呟くと暫らくして廊下の戸が開いた。そこに黒い影が片膝を着いて控えていた。
「お屋形様、この者は根来の忍びで名を朱鷺の権坐と申しまする。」「朱鷺の権坐?面白い名だな」「今まで、お屋形様にはお伝えしておりませなんだが、この者はお屋形様付きの喇叭(情報を探る密偵)でございまする。先代より仕えしておりまするが、この度は暫らく私目が用いておりました。お赦し下され。」「久衛門にも、わしに話せぬ事がまだ有る様だな。」
「お屋形様、権坐が白根の動きを調べて参りました。権坐、御話し致せ。」「承知。」と低い声で下向き加減で話すこの男、浅黒い顔の額に深い皺を刻んで年の頃40は過ぎているだろうと俊高は見ていた。
「当主の佐藤政時は父の政綱に比べ、戦はそこそこでござるが政務は丸で納められず、政綱が直江津(上越後の都市)より、児玉監物という策士を抱え申した。その監物が徐々に新津の秋葉氏に取り入っておりまする。二度の負け戦の埋め合せを画策しておる由。」
「そうか。ところでお主、何故、朱鷺と呼ばれる?」
「はっ、私目の得意技の一つが毒殺でござる。河豚の丹毒を要に用いますると、真っ赤な顔にて頓死致しまする。その技から付いた名でござる。」
「毒薬を作れるのであれば、良薬も作れるな。」「はい、忍びは大抵の薬を作れますので・・・・」
「わかった。久衛門、今日からこの男はわしに仕えるので、良いな」「はい、勿論でございまする。」「お前を呼ぶ時はどうするのだ。」
「この鈴を鳴らすか、この短冊を外に吊るして下され。」と赤い紐の付いた鈴と朱色地の短冊を俊高に渡した。
≪第四十話≫ No.53
その事があってから、半月が過ぎた頃、俊高は、稲島領の主だった村長を再び、当主館に集めた。館の広間には、集められた薬が並んでいた。
「いや~、短い間に良くこれだけ、集まったすけ。」と皆が驚く程、多種の丸薬・粉薬・水薬・練り薬が陳列してあり、更にその材料となる薬草、動植物の干物、鉱石が置かれていた。そして、其々の薬の調合が詳しく筆書きに纏められてもいた。
俊高が集まった村長達に「これだけでは未だ不十分だが出足にはなるじゃろう。」「お屋形様、これだけの物をどこから集められました。」と稲島の仁平が聞いたが「それは今は云えん。時がくれば明かす。」と俊高は答えなかった。
「仁平、毒消しを何処で作るか、皆で話しあってくれ。更に出来た毒消しをどの様に世に広めるかもな。・・・わしはこれから城に行く。夕刻戻って来るのでそれまで詰めておいてくれ。」「承知致しました。」
日暮れに俊高は佐野・吉田・遠藤の三重役を連れて、館に戻って来た。広間に入った時、そこに12ヶ村の村長全員が集まっていた。そして、皆、生き生きと談笑する姿を見て三人の重臣たちは何か、不思議なものを見ている気がした。
俊高達に皆が頭を下げて迎えた後、代表の仁平が直ぐに報告した。「お屋形様、話しの流れで全村の村長達に来てもろうたすけ。皆、この『毒消しの商い』が大いに期待が持てると皆乗り気ですけ、早く始めてえといろいろ皆で決めましただ。
先ず、製造は、3年前の嵐で移って来た角海浜衆が受け持ちいたしやす。実は、角海浜村民は30年前に能登地方から移り住んでいる者たちでございますが、これが実は先祖が韓の国(現在の韓半島※)からやって来た人々で、その中に漢方医薬の知識を持って来た者がおりましたすけ、今でも、自家製で薬を調合致しておりまする。
毒消しの調合作業場は稲島・平沢・竹野の三か所にて行いまする。造り手は角海浜衆に指導してもろうて、其々の女子衆を当てまする。そせば、畑仕事にも支障は少ねえと存じますすけ。
肝心な商いは近場では三条・長岡に卸ますが、製造が軌道に乗れば、北前船で上方まで運んで都で売り捌いてもようございます。」と今まで出て来た案を一気に話し立てた。それを俊高達も感心して聞いていた。
「おお、良く出来た。他国との関係や商いの決まりもあるので後の細かき事は、この三人と合議致せ。」
こうして、越後・稲島の『毒消しの薬売り※』が始まった。