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≪第三七話≫  No.50  ≪第三八話≫  No.51

≪第三七話≫    No.50

 三左衛門の響く声に皆も注目した。俊高が立ち上がり、少しざわついている皆を目で沈めながら話し出した。

「当面の敵であった佐藤氏は、先度の戦いで当主が寝込み、後を継いだ政時には先代の力量が無く、暫しの脅威(きょうい)は無いかも知れぬ。

しかし、これは佐野久衛門の話しだが、力が弱まれば強い者に頼るのが常、もし、三条の斎藤氏か新津の秋葉氏と手を組めば、先回の様な数でなく、2,000、3,000の兵が攻めてこよう。そうなれば、今の稲島などは赤子の手を(ひね)る様なもの。」

ここで少し言葉を切った。「その様な動き今、あるのか、兄者、いや、お屋形様!」と高喜が聞くと佐野久衛門が「あくまで備えでござる。」と説明した。

俊高が話を続けた。「わしは、先程、示した事柄をこの三年を目処(めど)に成し遂げたいと考えている。まだ云えぬがわしにはある大望がある。長者原山の頂上で向陽に誓った事だ。横山の叔父上や佐野が云う様にわしに何か守る者が有るとすれば、其の時受けた天護であろう。

 今日は全てを決める時がない。細かなものは其々の立場で準備してくれ。

ただ、今この国の急務は、防壁の壁を造る事以上に民の心を一つにして国の財力を創る事だ。財とは、人と大地成り!!

 わしは、赤塚の(くさ)日部(かべ)(ひで)(さと)殿が稲島の清水(しみず)を呑んで病を回復した話を聞き、この山の持つ自然の力を多くの人々に分けてやりたい。

 故に、村長衆が集まり、『毒消しの薬』を生み出してくれまいか。更に農地を広げた折、(くわ)(かま)が良く折れた。稲島には良い鉄工(てっこう)鍛冶(かじ)がおらぬ。何人か三条へ修行に行かせて良き技を習得させて来てくれ。最後に米の改良が出来ぬものか?雪国に向く寒さに強い米が欲しい。」

 俊高の提案に皆驚いたが、(じつ)のあるものばかりであったので、納得はしたが果して、越後の片田舎で本当に出来るのか大きな夢でもあった。

 評定はここで終り、夕方から無礼講(ぶれいこう)(上下も無く,自由に交流する事)で(うたげ)が始まった。留蔵やお洋が用意した山海の珍味が膳に並べられ村長は勿論、重臣達も大層喜んで呑み食い又唄った。

  ≪第三八話≫   No.51

 卯月(4月)になり雪がほぼ消えた頃、俊高の国創りが始まった。示した五つの内、早期に出来るものは、一番目の『矢倉及び兵士の監視所を造る事』であったのでこれはすぐに着手された。

 勘定方(財務管理)の吉田三左衛門が懸念した木材の確保は長者原山の倒木(とうぼく)を使い、また造り人は設置する12か所の近辺の村が担当した。領民皆の協力により、20日足らずで完成出来た。

 物見矢倉は高さ3間(約5.5m)で台形(だいけい)の四角粋をしていて、平地でも周囲半里(2km)四方は望めた。兵士の監視所は宿舎も兼ね、矢倉の直ぐ傍に設置された。造形は六角形で遠くから観ればお堂の様にも見えた。常時、2~3人が交代で配備されたが、防備だけでなく、様々な情報伝達の役割も兼ねていた。

 そしてその伝達方法としては、俊高が考案した光の通信であった。日中は大鏡による日光を用いた信号、夜間は(かがり)()による信号で伝える。雨天などは、ホラ貝・鐘などで知らせる事になっていたが、敵に知られず敏速に伝達する方法として光信号が最適であった。これで最前線から、駒城に知らせが届くまで早ければ2~3分で情報が届いた。

15歳以上の武術鍛錬も始った。当初は15~25歳を中心に、3日に一度日中(にっちゅう)農閑期(のうかんき)を用い、訓練されたが時には、3日、4日と集中して合宿でも進められた。その担当に清水寅之助と高喜が当てられ、錬成(れんせい)組頭(くみがしら)と呼ばれた。

 水田の開墾は更に進められ、俊高が当主になって以来、5,000石近い石高となっていた。更に米の改良には、各地から取寄せた稲を試験的に植え付けもする手配もされていった。

 そして鉄工(てっこう)鍛冶(かじ)の要請は若く力量のある者達が選ばれ、まずは三条の鍛冶職人として5人が選らばれ出立(しゅったつ)も出来た。

 駒城の改築の事は、費用も掛かり大掛かりにする事は、暫らく見送られたが、俊高が見聞(けんぶん)して工夫を()らせる所は、城兵達で造り上げた。また、城の周りを囲む水堀を広げ、防備用の土豪も石垣を増やし、塀も強化した。

 こうして、俊高の国創りの改革は確実に実を結んでいったが、最後の『毒消しの薬』推進は思いもよらぬ所から急進展し出したのである。



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