(四)三匹の白(びゃっ)狐(こ) ≪第三一話≫ No.44 ≪第三二話≫ No.45
(四)三匹の白狐
≪第三一話≫ No.44
何時の頃からか、妙な噂が流れていた。その話が俊高の耳に入る頃には、この近辺で知らない者がいない程であった。何故か、俊高には伝える者がいなかった。
内容が他愛の無いものと思われたのか、それとも政務に忙しい日々を送っていたお屋形様に伝える事ではないと思われたのか、又は、例の薬師堂の大杉の山道を毎朝、長者原山頂まで、祈願に行くお屋形様には敢て、お伝えしない方が良いと皆が思ったのか、兎に角、俊高がこの噂を耳にしたのはつい最近であった。
昨夜、館に戻ったのが遅く珍しく朝寝坊して目が覚めた。下男の留蔵が起しに来た。「お屋形様、御目覚めになられましたか?朝げ(朝飯)になさいますか」「いや、よいわ・・・少し疲れたようだ」「お屋形様は跡目を継がれてから走り貫かれて来られましたすけ、少しは御身体を労わって下さいませ。」
厠(便所)に行き、井戸水で顔を洗い、未だ目覚めぬ頭の中を動かそうとしていた。賄い所(台所)の出口の横にある洗濯場で下働きをしている三人の女たちが仕事をしながら、通る声で喋くり合っていた。
「あんた等、白狐の話し聞いただか。」
「ああ、聞いたすけ。夜な夜な薬師堂の大杉に出るってのう。」「そういんだ。それも一匹と違うんと。三匹もいるそうて」「ほんとか?真っことおっそろして~」「おれが聞いたのは其の内、二匹は雌狐だと。しかもおっそろしく、べっぴんだとよ。」「ひゃ~。一度見てみてぇなあ~」「ばっか~。食い殺されるぞ~」「ひゃ~。あっはっはっは~」
俊高はその話を聞き流しながら、少し興味を抱いていた。自分が何時も朝通っている大杉の道である。そこに出た風評を知らなかった。他愛のない民衆の戯れ話しは何処にでもある。しかし、この話しは何処か心に引っ掛かってぬけなかった。
それから暫らくして騒ぎが起った。秋も深まり、長者原山全体が紅葉に色づいた、霜月(11月)の5日、政務も終り、高喜と寅之助の三人で当主館に帰る道すがら、大勢の村人が松明を持って山道を登って行くのを見た。「何があったか調べて来い」と寅之助に命じた。暫らくして寅之助が急いで帰って来た。「お屋形様、皆は白狐を追っかけておりまする。」
≪第三二話≫ No.45
「わァ~!わァ~」と声が木魂して増えて来た。「お~い!そっちさ、いったすけ~捕まえろ~」「こっち来たど~」50人程の村人衆が手に手に鍬や棒きれを持って次第に群れが萎んで来ていた。その行き先に向かって俊高たち三人も駆け出して追った。
大杉のある薬師堂から続く坂道を村に下って三匹の、いや三人の白狐が襲ってくる村人たちを巧みにかわして逃げていた。村に入った所で大勢の村人に囲まれてしまった。誰かが「こ奴ら!白根の廻し者や!稲島に怨みを晴らしに来たすけ!!」と叫ぶと皆、一斉に飛び掛った。
しかし、三人とも、恐ろしく技が立った。柔術の一種か、村人たちは投げ飛ばされて、木の葉の様に舞い上った。蓑をつけているが白い狐の面を被り、白装束を着て驚くほど身軽に立ち振舞っている。しかし、多勢に無勢である。次第に疲れて来たのか動きが鈍ってきたその時、一人が捕まった。「こ奴、顔を見せ~」と面を剥ぎ取った顔を見て一同驚いた。
松明の明かりに浮かんだその顔は、日本人離れをした顔立ちで、目鼻がくっきりと透き通るほどの白い肌をした美しい女相であった。
「どひゃ~、すっげえ~べっぴんだで~」おおっと皆が覗き込んでいる所に俊高たちがやって来た。清水寅之助が「どけっ、どけっ、お屋形様が来られたぞ!」と叫ぶと一斉に輪が広がった。
この女が捕まえられると不思議に後の二人も大人しくなっていた。面を取ると、男と若い女であった。「お前は誰だ?どこから来た?」と俊高が最初に捕まった女に訪ねた。勿論、無言で話すはずがない。「お屋形様、こいつら、きっと白根の犬だて」「馬鹿っ、犬で無く、狐よ」笑いも出たが「殺した方がいいすけ。」と口々に罵る声も出始めた。「そうよ。夜な夜な稲島を探っておったとよ。」「この前の仕返しじゃ。きっと!」
民衆の不安もあり、このままではすまない様子となったので俊高は「一先ず、わしの館に連れて行け」と二人に命じた。白狐の三人は縛られて稲島館に連行された。特に牢など無かったので、裏の蔵に閉じ込めた。
少し経ってから、寅之助に最初捕まった女を土間に連れてこさせた。女は黙り続けると俊高は思ったが、以外にも口を開いた。「私をどうするつもりか?そなたが稲島の当主なら私を解放したが良いぞ!」「黙れ!雌狐‼偉そうな物言いをいたすな!」と弟の高喜が木刀を女の肩に押し付けて怒鳴った。