≪第三十話≫ その5. No.43
≪第三十話≫ その5. No.43
白根・味方軍の兵士達は山の火を見ながら度肝を抜かれてしまった。「なんじゃ、これは!?」と政綱も思わず、叫んでいた。傍にいた政時も息を呑んで声が出ない。宛ら、数千の敵の大軍に囲まれた心持である。
山の火は更に増えて山全体を覆うのかと思えた時、突然あちら、こちらで兵士達の悲鳴が起った。「敵襲~!敵襲~!」と叫びが変わった時、敵の夜襲が目の前に迫っていた。誰もが山の火に気を取られている隙に稲島軍の先方隊が村のあちこちに侵入していたのだった。
怒号が起こり、激しい白刃戦が始まって、火の手が起こる家もあり、闇は燃え盛る炎で辺りを照らした。地の利を生かした稲島軍は村のあちこちで敵を撹乱して走り廻った。
其の内、村の幹道である北国街道の東西から、稲島・高野の主力軍がどっと突入してきて白根本隊600人に飛び掛って来たのだ。駒城からも出兵して来た。三方から集中的に襲われたのである。数はほぼ互角であったがこの奇策に誰も対応できなかった。
仁箇山頂上でこの有様を見ていた佐藤忠勝と柿島信吉・信政親子は我を忘れたかの様に見入っていたが、「味方を救え!!」と誰かが叫ぶと、「いざ!」と山を下ったがそこには何時の間にか竹槍で括われた塹壕が出来ていて、前に進めず、立ち往生した。それでも激しい戦闘の末、突破して本隊に合流しようとしたが、既に味方は四方八方に乱れていて収集が取れる姿では無かった。
凡そ、一時(2時間)の攻防戦であったが白根・味方軍は大負けをして、命からがら引上げて行った。遠く、稲島・高野軍の勝ち誇った勝ち鬨を耳の奥に残しながら・・・・総大将の佐藤政綱は不幸にして、その逃げのびる際、馬上から落馬して腰の骨を折り、その後58歳で死ぬまで立ち上れなかった。
無数の松明の火の正体は、戦の被害を避ける為、山に籠っていた稲島の民衆であった。俊高の命を受けて村長達が千人近い村人たち・老若男女に両手で松明を握らせ、指示された山々で大きな演出をしたのである。
戦の後、高野和久は駒城で一夜を明かし、その翌朝、兵を纏めると俊高や稲島衆に挨拶をして、岩室に帰って行った。帰る道の馬上で和久は、昨日の出来事を回想しながら、(稲島のあの若大将、何か不思議な力を秘めている御仁じゃな)と、ほくそ笑みながら帰途に着いた。
この戦の勝利により、一躍、稲島小太郎俊高の名が下越・中越に広まっていった。何時しか、長者原山の小天狗と呼ばれる様に成っていた。