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≪第廿九話≫  その5. No.37 ≪第廿九話≫  その6. No.38(三)夜 襲 ≪第三十話≫  その1. No.39 ≪第三十話≫  その2. No.40

≪第廿九話≫  その5. No.37

 半時(1時間)が過ぎても、笹川の本隊がこちらに向かって来ていると云う知らせが届かなかった。(おかしい?向うは策を変えたのか?・・・もし、遠回りして白根勢と合流すれば厄介になる!)俊高は一人、思案を巡らした。

 その時、急遽、伝令がやって来て、平沢城にいる真島弥七郎の文を俊高に渡した。それには、短文であったが待っていたものが書かれてあった。『笹川本隊は昨夜、本拠地・中之口城を出て、朝方には和納城に着き、白根・味方の軍勢が仁箇山を囲んだ後、平沢城に向かう由。高野勢も国境に常の倍の守備態勢を敷いているとの事。』

「お屋形様、如何(いかが)なり申した?」傍にいた高喜が不安げに(のぞ)いたので、伝令文を渡すと「おお~!」と声を上げた。「高喜、動くぞ。」と俊高が号すると「おお~!」と更に大声で答えた。伝令として高喜に平沢城に向けて走らせ、俊高本人は、砦の物見矢倉に登って待機している本隊に合図の手鏡で光を送った。

 やって来た本隊と鷲の木砦の50人中、30名を合わせ、180名で国境の諏訪橋に急いだ。笹川軍が橋を渡る前に着かねばならない。国境まで半里(2㎞)である。越後平野は周りが遠くまで見渡せる。敵に見つかる前に橋の手前にある諏訪神社の森の中に隠れねばならない。

 幸いに敵はまだ動いてはいなかったので、俊高は兵を4つに分け、橋の前後左右に40人づつ、配置した。川は西川と云って、現在でも一級河川にはなっているが、川幅7~8mが今日の姿である。当時は今の3倍以上の川幅があり、かなりの大川であった。元々、西川の名の起こりは本来、信濃西川が旧名であり、現在の信濃川は、信濃東川と呼ばれ、更に昔、主流は寧ろ西川の方であった。

 河底はそれ程深くないので、橋を渡った左右の兵たちは、身を隠すために土手を下りて(あし)(くさ)(むら)に隠れたが、中には水面に顔だけを出して隠れた者もいた。橋を渡らない右手前の40人はほぼ一列になって、草むらに横になり身を沈めていた。俊高率いる60名は20騎の騎馬隊と40人の槍隊で神社の奥の方で敵の来るのを待ち続けた。

 待機して四半時(30分)が過ぎた頃、前方の味方より、光の合図があった。敵が来る‼ 笹川軍は物見の斥候を数名前方に配置しながら、整然と橋に向かっていた。誰かが斥候に見つかれば其の時が戦の合図となる。息を殺しながら稲島の兵士たちは、じっと耐え忍んだ。

  


≪第廿九話≫  その6. No.38

俊高は心の内で(未だだ、未だだ!)と叫んでいた。敵の先頭が橋を渡り切った時が頃合いである。小走りで笹川軍が諏訪橋を渡り出した。俊高は満を持して、戦闘の合図を知らせる(かぶら)()を飛ばした。ヒューと空を切る音に、稲島軍は一斉に攻撃を開始した。

 突然の襲撃に笹川軍は度肝を抜かれた。前後左右から、弓矢が飛んできたので橋を渡り駆けていた数十人の兵士たちは、逃げ場が無く次から次へと西川に落ちて行った。俊高率いる20騎の騎馬隊は奇声を挙げて橋を渡った先頭部隊に突っ込んで行った。

 笹川軍・本隊は270名の構成で先陣の100人程が渡っている時に攻撃を受けたので、後の部隊は立ち往生して混乱したのである。それでも中央にいた笹川常行は、怒号を発し、味方を(まと)めさせようと努めたが、前から退却して来た味方の兵が更に混乱を招いてしまった。

 「ちィ、」と吐いて、「一端、引けぇ~!!」と叫んで馬に鞭を当てた。なんとか半数の兵を動かして退却が出来たが、稲島軍が追撃して来ている。和納の原野を暫し走った処で向きを変えた。「反撃するぞ!!」と下知して、敵の攻撃に向かった。

慌てたので相手の兵力を見ていなかったが良く観れば、ほぼ同数か寧ろ、味方の方が多勢である。「慌てるなァ!敵は多くは無いぞ!」と叫んで反撃に転じた。俊高たちは、橋の大半の敵を倒し、敵本隊を追撃したが、反転して来た部隊とぶつかり、ほぼ互角の白昼戦になっていく。

其の時、真島弥七郎・高喜率いる70人の別動隊が西川の浅瀬を渡って駆けつけて来た。それを見て笹川勢は再び崩れとなった。俊高はここぞとばかり総攻撃で敵を追撃したが、今度は、支城の和納城から笹川常行の嫡男で勇猛な常満が100の軍勢で押し寄せて来たのだ。

 攻防は一進一退どちらかに転ぶか判らない状態であった。笹川常満は、俊高の子供の時からのライバルで戦ごっこの良き相手でもあった。2つ年上の彼は剛直で一本義の強い性格の為、いざ、戦になると近辺でも並ぶ者がない豪の者であった。その常満が出て来たのである。態勢は徐々に笹川方に傾きつつあった。

 其の時である。「うわ~!!」と笹川勢の後方からどっと大軍が押し寄せて来た。俊高は、はっとして軍勢の旗印を確かめるとまごう事なき高野家の旗印であった。先頭に金色に輝いた半月の前立てを付けた高野和久が駒を進めている。

 「来てくれたのか。・・・助かった!!」と胸を撫で下ろして俊高は喜んだ。笹川勢は今度こそ総崩れとなって帰還して行った。


(三)夜 襲

≪第三十話≫  その1. No.39

 戦場で俊高は、和久と抱合って出会った。「叔父上、よう来てくれました。嬉しゅう存じまする。」「いや、なんの、遅れてすまぬ。もっと早く駆けつけるべきものを」二人は両手でしっかりと握り締めた。高野家の内情がこの遅れとなった事は云うまでもない。其の事をまだ口に出せぬ和久であった。

 両軍は諏訪橋を渡って、諏訪神社にて戦勝の敬拝を捧げた。兵を休め、損傷の把握をすると、稲島軍は死傷者53人中、死亡した者23名、残りの30名は深負いで戦力から外さなければならない。高野勢は最後の突入の功も有り、殆ど犠牲者は出なかった。一方、笹川方は100人以上やられた様である。

死者と負傷者を先に帰還させ、俊高は和久と談合した。「俊高殿、この後、如何にするおつもりか、佐藤・柿島勢は無傷で800人を越す勢力が残っておる。迂闊(うかつ)には攻められまい。」と和久が問うた。「夜まで待ち、夜の闇を使って奇襲を掛けまする。すでに手筈(てはず)は整っておりまする。政綱は我らの勝利を聞き、退却するかもしれませぬが、この好機を逃したくはござらぬ。どうか合力下され、叔父上。」「そうか、ならばこのまま、待機いたそう。」

 両軍は、次の戦の為に素早く、平沢城まで移動した。時は(たつ)の刻(午前10時)を少し回っていた。

 これより一時(いっとき)(2時間)前、燃え盛る松野尾砦を背に、佐藤・柿島本軍は竹野砦に向かっていた。更に、笹川軍が確実に鷲の木砦や平沢城を押さえられる様に、別動隊として政綱の四男である政時が250人を率いて西川沿いに兵を進め、巻村の割前(わりまえ)辺りまで来ていた。

 卯の刻半(午前9時)には、其々が目標の場所に着いて陣を置いていた。政綱は敵の抵抗が殆ど無く、先ずは目標の仁箇山の(ふもと)に着き、目の前の竹野砦と仁箇山の頂上に陣取っている稲島の本隊を見詰め、半ば手応えの無さに少し拍子抜けの感であった。(同じ手は食わんぞ!)と昨年の痛い思いを思い出し、あの小倅(こせがれ)に今度は煮え湯を飲ませてやると内心奮起していた。

≪第三十話≫  その2. No.40

 一時(いっとき)(2時間)後、別動隊を率いているはずの政時が二人の従者を連れ、駒に鞭打ち激走して来た。「親父(おやじ)殿(どの)、一大事だ!・・・」息が詰まって声が出ない。「(あわ)てるな!どうしたのじゃッ。」水を貰い、一呼吸置いて喋った。

「大変じゃ。笹川軍がやられた。!」

「何!」と慌てている政時の前宛(まえあて)(つか)んで(にら)みつけた。「和納辺りで、稲島・高野勢に奇襲を駆けられ、既に城に退却したらしいぞ。親父(おやじ)殿、」「・・・・。狙いは笹川であったか!?・・・・」暫らく頭を(めぐ)らした。(しかし、国境には500人近い笹川軍がいるのだ。・・・稲島・高野両軍でも500近くにならねばなるまい。?ならば、高野軍が300人とすれば、稲島軍は200人が動いたというのか?・・・・待てよ・・)政綱は仁箇山の頂上を疑視した。「政時、すぐに別動隊を合流させよ‼」「相判った!」と云って政時は馬を走らせて帰って行った。

 政綱は即座に側近の者に命じ、仁箇山の敵本陣の詳しい様子を探らせた。政時率いる別動隊が到着する頃、仁箇山の様子を探らせた斥候が戻って来て報告した。「山の頂上には200人程が待機しておりますが、どうやら全て農兵の様でござった。正規軍らしきものは一人も見当りませぬ。」政綱は空虚な顔で聞いていたが「判った。御苦労であった。」と答えた後、座っていた床几(しょうぎ)を思いっきり蹴飛ばした。

「親父殿、どうされた?」政時が(のぞ)き込むと、天を仰ぐように「あやつの策に(はま)ったわ!」と叫ぶと、周りにいた重臣たちも動揺を隠せなかった。「仁箇山に居る兵は我らをここに足止めする(おとり)よ。稲島の本隊は伏兵と見せ掛けた平沢城の兵と始めから笹川軍を攻める手筈であったのだ。」「なるほど、やりおるわい」と半ば感心して政時が(うな)った。「されど、ここにいて良いのか?敵は意気追いに乗じて攻め寄せるのではないか?親父殿、」

「うむ!・・・いや、直ぐにはこれまい。勝利したとは云え、少なからず兵を失っておるであろう。我ら、無傷の900名がおる。数に於いてはまだ、我らが有利!・・・攻めて来るとすれば夜半だ。」政綱は話しながら、冷静さを取戻していた。

 (ここは思案のし(どころ)よ。陣を引くか、決戦に持っていくか?・・・このままでは帰れぬな・・・)そこに重臣を連れて、柿島信(のぶ)(よし)が駆けつけてきた。味方(あじかた)勢は上堰(かみせき)(がた)がある北国街道の稲島村入口に180名の陣を張っていたのだ。急遽(きゅうきょ)(いくさ)評定(ひょうじょう)を行う羽目(はめ)になった。


  


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