≪第四五話≫ No.47-Ⅱ
≪第四五話≫ No.47-Ⅱ
「おのれ!小癪な。御屋形様、稲島が攻めて来ましたぞ。」と義兼に義興が叫んだ。「おゝ、向こうが先に来たか。ならば、手筈通り、黒江隊を向わせよ。義興。」
「はっ。心得た!」と愛馬に乗って、左翼の黒江勝重の陣営に走った。10月の秋の早朝は、大分冷え出していたが、日が出始める頃には、湖面の水温が上がってこの時期は決まって、この時間帯から朝靄が出始める。
「勝重、出陣じゃ‼ 采配の如く、後方から敵を砕け!!」義興が着いた時には馬上で既に身構えていた鉄扇で有ったので、「承知!!」と吐くと、右手に持っていた黒い鉄扇を半開きにして、軍配の様に振り上げ、振り下ろした。「出陣!!」「お~お」の掛け声と共に騎馬240騎、足軽隊700が火矢を放つ稲島騎馬隊に隊列を組んで向って行った。
稲島の騎馬隊は三列に横並びとなって、夜空に花火を打ち上げるかの如く、斎藤方の歩兵に向かて矢を放っていたが、黒騎隊が近づくと、一斉に駒の向きを変え、元来た道を引き返し始めた。それを見た鉄扇は回りに気を使いながら、敵軍団を追った。距離にして凡そ3町(約300m)。
双方の騎馬軍が怒涛の様に、朝駈けの原野を突っ走る。板橋を渡る時には更に太鼓の音のように
「ドドドー」と響いたので、再び水鳥達が一斉に騒ぎながら飛び立った。黒騎軍団は勢い良く駒を
走らせ、逃げ出した稲島騎馬軍を追った。
黒騎隊が二本目の水路を渡った直後に岸部に潜んでいた疾風の透太が矢に火を点けて、稲島陣に
向けて飛ばした。
それを確認すると、俊高は待機していた400人の奇襲隊に号令を発した。彼らは一斉に、湖畔に
用意していた鎧潟で用いている板舟に向った。5人一組で動いた。二人が舟に寝そべり、左右に
一人づつ、下半身を湖水に浸けて板舟を運ぶ。もう一人は後ろから舟を押した。その板舟凡そ80
曹が静かに鎧潟を滑る様に湖面の東側を靄に包まれながら、進んで行った。水鳥達が騒いでも、
もはや誰も気にしない程、辺りは騒然とし出していた。
黒騎隊は敵の騎馬隊に追いつこうとした時、稲島の足軽150が一斉に矢を射掛けてきたので、一旦、鉄扇たちは駒を緩めた。稲島兵は、味方の騎馬軍が通過した後、今度は、小隊に分れて、一目散に自陣に向けて走り出した。それを見て、黒江鉄扇は、全軍を止めた。
丸で自分達を誘い込んでいる様に見えたからである。まだ日の出までは時が有ったが、可なり空は明るく成りだしていた。しかし、朝靄の為、視界が悪い。敵の罠があるかもしれないと思った。
鉄扇は、3騎の偵察を前方に送らせた。暫くして3騎の者たちが返って来て報告した。「総騎長(黒騎隊の者達は、鉄扇をこう呼んだ)、前方5町(約500m)先に、稲島の騎馬隊200余りと足軽200程が横並びに対峙しておりまする。」「うん、他は変わった所はないか?」「はい、特に気になる様な仕掛けもないと思われまする。のお」と左右の偵察兵に確認した。
鉄扇は稲島俊高が、このまま何もせずに恐れている我らを向える筈はないと考えたが、今は任務を全うして敵の背後を突く、万が一、罠が有れば、その時はその時、我らを一網打尽にする手立て等の無いはずと心を決めて、全軍に侵攻命令を出した。遠く、朝日連峰から、朝日が直に登って来る時刻となっていた。
丁度この頃、斎藤本陣の義兼の所に三条からの伝聞が忍びの者によって届けられた。俊高がこの戦の為に外部からの伝言を断ち切る防備をさせていたので、義政の知らせが届けられたのはこの一通だけであった。しかも、黒騎隊は既に出撃した後であった。義兼は、父の文を見て暫く思案した。「鎧潟に伏兵有り、此度は兵を引け。」とあった。しかし、太刀は鞘を離れたのである。敵方は友軍の半分もいない。多少の伏兵が出て来ても幾らでも対応出来ると義兼は戦を決断し、文を近くの篝火で焼くと、義興にも話さないでいた。
400の奇襲隊を率いて、鎧潟の東側湖面を這うように、音を立てず俊高達は進んでいた。兎に角、敵の本隊から、少しでも鉄扇の黒騎馬隊を引き離し、少なくても一刻(2時間)近くは、時を稼がねばならると、俊高は板舟の上で次第に近づいて来る敵陣に向いながら、祈る思いを馳せていた。
黒騎隊は薄い朝靄を抜けると、偵察隊が報告した様に、400近い稲島軍が隊列を組んで、待ち構えていた。鉄扇は馬上で「槍扇~」と叫ぶと240騎の黒騎隊は、中心点から、扇が開くように30騎づつ、一本の槍の様に8本の隊列となって、飛んでくる弓を避けながら原っぱを突き進んだ。敵の2町先に来た時、稲島勢は再び背を向けて、逃げ出した。そして、今度は敵の騎馬隊は飛落川の板橋を渡り始め、150の足軽達は、5列になって稲島陣営に向って全力で走り出していた。
「逃すな~、右槍3本・左槍5本分れ~い!!」と叫びながら、自らも稲島の騎馬隊を追った。先頭の騎馬隊が、板橋を渡る寸前、向こう岸に待機していた稲島兵が橋の欄干に取り付けられていた滑車をグルグル回すと、板橋は真ん中で二つに折れ、向こう岸に手繰り寄せられた。川の巾は5軒以上(約9m)有ったので、鉄扇達は渡る事が出来なかった。
稲島の騎馬隊はそのまま、川沿いに駆け抜けて行ったので、鉄扇は止む無しと駒の向きを変えて、敵の本陣に向かう足軽隊の後を追った。